第三十四話 丑の刻参り<前編>

その後、私たちは山道に入り京の北側を通ってから鞍馬くらま川に沿って北へ向かった。さらに行くと貴船きぶね川と合流し、そちらの方角へ馬を進めた。


「やっとついたー!みんな大丈夫?」


そう言ってすばる様がこちらを振り返ると、なぎ様が返す。


「俺たちは大丈夫だけど、桜は平気?かなり疲れたんじゃないか?」


「・・・いいえ、大丈夫です。」


私は久しぶりの乗馬で疲れを感じていたものの、我儘わがままを言うのがはばかれるような気がしてそう答えた。

すると、昴様が私を気遣う。


「・・あともう少しで着くから、着いたらおうちゃんは体を休めたほうがいいよ。」


昴様が馬を降りて手綱たづなを木にくくりつける。

私たちも同じように馬を降りて、一緒に馬に水をやったりでたりした。

そして、段々と辺りに仄暗ほのぐらい闇が迫り、夜が世界を包み始めていた。


「ここから石段を登った先に境内けいだいがあるんだけど、さらに奥に行ったところの奥宮おくのみやまで行く。そこで『儀式』を行うからね。その前に準備があるからみんなにも手伝ってもらうよ。」


昴様は提灯ちょうちんを手に持ちながら先導をはじめる。

私と凪様がその後ろに、私たちの後ろに白丸様と黒丸様が続く。

石段の両側には赤い灯篭とうろうがいくつも並べられ境内へと続いていた。

そして、灯籠の蝋燭ろうそくの炎がゆらゆらと薄闇を照らし、木々をざわつかせる妙に生温かい風が通り抜ける。

私は抱えた小虎に少し身を寄せて薄暗い階段を一歩ずつ登っていく。


「人の気配がまったくありませんね・・。」


白丸様と黒丸様が辺りを見回しながら小さく言う。

すると、前を行く昴様が答えた。


「今日は御所の歌合わせがあるから、ここの人たちもみんな駆り出されているんだよ。だから、誰もいないし『儀式』をとどこおりなく行うためにも丁度いい。ここの奥宮おくのみやはなかなか入れない場所だから尚更のこと・・。」


「伯父上、その『儀式』とは何をするのですか?』


白丸様が昴様に問いかける。


うし刻参こくまいりだよ。丑の刻というのは常夜とこよに繋がる時刻、つまり鬼の世界に繋がる時間。その特別な時間に『儀式』を行うことで夜だけの神の国から鬼を呼び出す。ここは一方で縁結びの神様がまつられている場所だけど、一方では丑の刻参りの場所でもあるんだ。」


「鬼・・・。もしかして大蛇オロチのことですか?しかし、陰陽道では丑の刻参りで呼び出した鬼は使役しえきするものです。伯父上は大蛇オロチを呼び出して使役するおつもりなのですか?」


今度は黒丸様がたずねた。


「陰陽道のイロハに沿えばその通り。だけど、なんだよ。つまり、鬼を呼び出して使役しようが逃そうがそれはこちらの自由ってこと。俺は大蛇オロチを呼び出してと決着をつける。桜ちゃんを助けるために。」


--大蛇オロチを呼び出す。


私は昴様の言葉を聞いて背筋が凍っていくような感覚におちいった。

手が震える。

そして、迷いが生まれる。


--私は自分の心を決めたはずなのにまだ怖いと思っているの?


「桜、大丈夫だよ。」


ふいに凪様が私の背に手をあてると、その温もりが背中の強張りを柔らげた。

小虎がおもむろに私の肩へのぼり、首巻きのようにりよる。

小虎の柔らかいお腹のあたりが首筋にあたって温かい。

すると、凪様が私の手をしっかりと握って話す。


「俺たちがいるから大丈夫。」


「我々もいます。」


昴様が「ふふ」と笑う。


「桜ちゃんのまわりには、みんながいるから大丈夫だよ。」


言葉の一つ一つに皆様の温かさを感じる。

そして、私は戸惑いながらも自分の気持ちを正直に話し出す。


「・・それでも私は、覚悟を決めたはずなのに迷ってしまうのです。」


私が凪様の手を握り返すと、凪様が優しく微笑んだ。


「迷うのは当然だ。俺も戦場で何度も心に迷いが生じた。だけど、弱い自分の心の奥にある。『俺は本当はどうしたいのか?』それがわかれば自ずと答えが出る。桜は本当はどうしたいの?」


--私は・・。


「・・私は生きたい。大蛇オロチを倒して皆様と一緒に生きたいのです。だけど、同時に怖さもあるのです。逃げ出してしまいたい自分もいるのです。」


「怖いと思うのは仕方のないことだよ。逃げ出したい気持ちもわかる。だけど『生きたい』と思った気持ちも本物だ。それが桜の心の弱さの奥にある本物の強さだから。。」


凪様の温かい手が私の手を握り返す。


「桜は自分が思うよりもずっと強いんだよ。」


「若様の言う通りですよ。それに桜姫は一人ではありません。若様や伯父上や我々がいます。我々は桜姫をお守りします。必ずお約束しましょう。」


白丸様と黒丸様が私を勇気づけようとしてくれる。

すると、昴様が背を向けて先導をしながら私に語りかける。


「桜ちゃんが生きることが俺たちの望み。桜ちゃんも俺たちと生きるために大蛇オロチと戦いたいんでしょ?生きるために怖いと思うのは誰だって同じだよ。だけど、怖いから生きることを諦めたら本当の自分の気持ちを自分で殺してしまうことになる。そんなの勿体もったいないじゃないか。桜ちゃんは弱い人間じゃない、弱さの向こう側に強さを持っているんだ。例えそれが他の誰の目に見えないものであったとしても、自分にはわかる。だったら、自分の強さを自分で信じてあげたっていいんじゃない?」


私は昴様の広い背中を見つめる。


「・・皆様。そうですね、心の弱い自分がいるのは確かです。だけど、生きようと思う自分もいます。それは恥じることではないのですね。」


「そうだよ、桜ちゃん。」

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