第三十〇話 朧月夜の契りの盃<後編>

その腕の中の甘くて優しくて激しい熱が私の体を包み、すばる様はそのまま私を抱きしめ続けた。

私はどうしていいのか分からずに目を閉じる。


長く静かな沈黙の時間が続いた後、昴様がつぶやいた。


「・・・椿つばきが、いるような気がした・・。」


「・・母様が?」


昴様の肩が震えていた。


「・・昴様?」


昴様が無言のまま私を抱きしめる。

すると、かすかに嗚咽おえつが漏れた。


「・・・泣いているのですか?」


「・・・・。」


「・・母様のことを想っているのですね。私も母様のこと、いつも想っています。」


「・・・忘れたことなんかないよ。」


「私も。」


昴様の腕がもっと強く私を抱きしめる。


「死ぬほど愛してるよ。今でも、ずっと・・。」


「・・私も、ずっと愛しています・・・。」


昴様は声を出して泣いた。


「昴様・・。」


--・・大切な人が泣いている。


そしてせきを切ったように自分自身へ強い言葉を投げ付ける。


「・・情けない男だろ!俺は、椿を、守れなかった!桜ちゃんも犠牲になった!

 誰も、・・助けら、・・な、か・・った。」


私は昴様の背中をさすりながらその声に耳を傾ける。


「ふざっ、けんな!!」


昴様は酷く泣きながら何度もひたいを床に打ち付ける。


「あの時・・、二人の代わりに!俺が、死ねば!よかったんだ!!」


--それは昴様が悪いんじゃない!昴様が命を落とせばいいなんてことはない!


「どうして、何も・・、できなかった?!どう、して・・、どうしてなんだよ!!!!!」


--昴様は悪くない!


しばらくの間、昴様の止めどない嗚咽おえつの声が響いた。

顔の横で涙の重い湿り気がもる。

私の目頭も熱くなって耳の横を涙が流れ落ちた。

そして、私は何度も昴様の背中を優しくさすり続けた。

やがて、激しく震えていた昴様の呼吸が落ち着いていく。


「・・ごめん、桜ちゃん。痛くなかった?こんなことされて嫌だったでしょう。」


昴様は腕の力を抜いて私から自分の体を遠ざけようとする。

けれど、私の体が咄嗟とっさに反応する。


--昴様、行かないで・・!一人で行かないで!!


私はその温もりを離してはいけないと思って、昴様の首に腕をまわした。

昴様は驚いたけれど、もう一度私の頬の横に自分の顔を沈める。


「なんでそんなに優しくしてくれるの?こんなこと、父親にされたら嫌でしょ?」


「私は昴様が大切なんです。それに、昴様は私を傷つけるようなことはしません。」


--だから。


「昴様を嫌いになんてなれません。昴様は私の大切な人だから。」


--大切な人を悲しませたくない。


左胸のあざが熱を帯びはじめる。

私は両方のてのひらで昴様の体をそっと押す。

すると、昴様が少し起き上がって泣き顔のまま私を見下ろす。


--私が昴様の苦しみを救えるのなら。


「昴様が泣いているところを初めて見ました。でも、こうすれば涙が少し治まりますよ。」


私は自分の手を着物の袖口そでぐちに入れて、昴様の涙でれた瞳を隠した。


「桜ちゃん・・。ふふ。これ、椿の好きだった着物でしょう?俺が椿に贈ったやつだ。」


「私と母様で昴様の涙をお拭きします。」


「・・ありがと。優しいね。もう大丈夫だよ。」


「桜ちゃんの顔が見たい」と言って昴様が私の手を優しく包むとそのまま床にそっと置いた。

昴様が泣きはらした瞳で優しく微笑む。

そして、綺麗な指先が私の涙を拭う。


「桜ちゃんの涙も拭いてあげるね。」


「ありがとうございます・・、昴様。」


私はふと空を見上げる。

軒先の向こうの空に月が浮かんでいて、さっきまでかかっていた薄雲はどこかへ消えていた。

いつの間にか、夜空は晴れていた。


「昴様の星が見える・・。」


星空を見ながら私がそう言うと昴様が身を起こして隣へ横になった。


「ほんとだ。西方白虎七宿の第四宿、昴星。」


「綺麗。」


「綺麗だね。」


私は横になったまま昴様の方へ向き直る。

昴様が私の顔にかかった髪をそっと耳にかけた。


そして、私はなぎ様の言葉を想う。


『桜に生きてほしい。桜が生きることが俺が生きる理由だから。』

『俺は生きるために桜を守る。』


--凪様は私を守りたいと言ってくれた。だから、私も。


私は昴様にはっきりと言う。


「昴様。私は大蛇オロチと戦います。生きるために、私の大切な人たちを守って皆様と一緒に生きるために大蛇オロチと戦います。」


「・・わかった。」


昴様が私の手を握る。

すぐにその優しい手の温もりが伝わってきた。

私もその手を握り返す。


「桜ちゃんに生きて欲しいから、俺も桜ちゃんを守るために戦う。」


私と昴様は静かに夜空を眺めた。

雲一つない美しい星空だった。

ずっと眺めていたかったけれど、私が「寒い」と言うと昴様が部屋まで抱きかかえてくれた。

そしてまた一緒に眠ろうと私を離してくれなかった。

昴様はいつもの過保護な父様に戻っていた。

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