第二十九話 朧月夜の契りの盃<前編>

皆様との楽しい双六すごろく遊びが終わった後も、私はずっと考え続けていた。


--明日の出発までに私の覚悟を決める・・。


夜になっても考えが頭をめぐるだけで息が詰まってしまった。

私は夜風にあたろうと上衣の着物に袖を通してえんに出る。

その母様がよく着ていた着物は今でも母様の香りがするような気がした。


戸を開けて夜空を見上げると、十日余りの月が不思議な光に包まれて浮かび上がる。

私は月明かりに照らされた庭をゆっくりと見回す。

そして、庭から廊下に視点を移してその向こうに目をやると、人影があることに気がついた。


すばる様・・?」


昴様は自分の部屋の前で一人座って、夜空を見上げていた。

私は昴様の方へ歩みを進める。


おうちゃん?こんな時間にどうしたの?」


「考え事をしていたら夜風にあたりたくなって・・、そうしたら昴様を見つけました。昴様はどうされたのですか?」


「ふふ、桜ちゃんに見つかったか。俺は月見をしながら酒を飲んでた。一緒に座る?」


「ええ、ご一緒にお月見をしたいです。」


昴様はゆったりとした着物の合わせをはだけさせてくつろいだご様子だった。

私もその隣に座る。


「もっとこちらへおいで。」


昴様は私の肩に腕をまわして自分の体の方へ優しく引き寄せる。

私はいつもの温かい胸の中に迎えられる。


「明日のこと考えてたの?」


私はうなずく。


「そっか・・。」


昴様はそれ以上は聞かずに夜空を見上げた。

幻想的な光を放つ月のまわりでいくつかの薄雲が漂っている。


「・・それは美味しいものなのですか?」


私は昴様の手にするさかずきについて尋ねた。


「え?これ?桜ちゃんにはまだ早いよ。・・でも、そうだねぇ、ふふ、・・ちょっとだけ飲んでみる?」


昴様が悪戯いたずらっぽく笑う。

そして、朱塗りのさかずきにお酒を注いで一口飲むと、そのまま私のてのひらへのせた。

私はその小さなうつわに両手を添えて、注がれた不思議な香りのする液体を口に含んでみる。


「美味しい?」


昴様が面白そうに私に問いかける。


「・・・口の中が熱い、だけど、少しだけ甘い。」


「ふふ、美味しいってことかな?じゃあ、残りは俺が飲むからね。」


昴様が私のてのひらからさかずきをひょいっと持ち上げて残りのお酒をぐいっと飲み干した。


「桜ちゃんと酒が飲めるなんて嬉しい!」


昴様は満足そうに笑いながらさかずきを台に戻すと、身を寄せて私の髪を撫でた。

私は少しだけゆるりとした体を預けながら昴様を見上げる。

眉目秀麗びもくしゅうれいな昴様が私を見下ろす。

すると、薄雲のかかった月の光がおぼろげに私たちの顔を照らした。


昴様は私を見つめながらしばらく黙ると、やがてその手が止まる。


「桜ちゃん。」


「・・はい。」


私は昴様にふわふわと返事をする。


「俺と結婚しない?」


私が昴様の唐突な問いかけに言葉を失っていると、その指先が耳元に触れた。


そして指先を滑らせるようにして私の頬を優しく包む。


「ん・・」


私は何だかくすぐったくて身をよじった。

見上げると昴様の瞳が星空のように深くまっすぐに私を見つめる。

私は恥ずかしくなって視線をらすけれど、昴様のはだけた着物の合わせの間から男の引き締まった胸元が視界に入る。

慌ててもう一度視線を外そうとすると、今度は反対側の手が私の腰をさらに引き寄せた。私は行き場がなくなって昴様へ視線を戻す。

昴様は長い睫毛まつげうれうように伏せ、熱を帯びた瞳で私を見つめていた。

まるで、朧月夜おぼろづきよの魔力のように、大人の男の色香が漂う。


--昴様・・?


私の頬に添えられた昴様の手から甘くて激しい熱情が伝わってくるような気がして顔が熱くなる。

すると、その指がなぞるように頬から耳元を通って頭の後ろほうへ動いた。

私の体が肌をつたう指先の感触に敏感に反応する。


「ぁ・・」


月の引力に引き寄せられるように昴様の艶のある唇がゆっくりと近づく。

一瞬、唇が絡めとられそうになって止まり、甘い吐息がかかる。

けれど、すぐに軌道がずれる。

昴様が私の首すじに口づけをして、そのまま私の体を押した。


「・・ぅん。」


昴様が私の体を押し倒す。

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