第二十四話 蓮華の水に在るが如し<前編>

館の主とすばるはまだ話があるというのでその場に残り、なぎと双子がおうを部屋まで送ることになった。

凪は一緒に廊下を歩く彼女を見る。

桜はうつむいたまま、無言で少し後ろを歩いていた。


--不安・・、だよな。


「・・桜、少し庭でも歩く?」


凪は歩みを止めて桜の顔をのぞき込もうとする。


「部屋に戻る前に庭を歩いて気分を晴らそう。桜がよければ。」


桜は俯いている自分に驚くように顔を上げるとしばらくの間、凪の顔を見つめた。

黒曜石こくようせきのような深い瞳が凪を映す。


「・・はい、ありがとうございます。私もお庭を歩きたいです。」


双子が凪と桜の履き物を用意する。

春めいた柔らかな昼の日差しが庭園を緩やかに包み込む。

凪は飛び石の上を先に歩きながら、桜が転ばないように手を差し出す。


「大丈夫?」


桜は美しい着物のすそが地面にこすれないように片手で持ち上げている。

そして、もう片方の自分の手を凪の手に重ねた。


「ふふ、このくらいでしたら大丈夫です。」


桜に少し笑顔が戻ってくる。


「よかった・・。」


凪は桜の真っ直ぐな笑顔に顔が熱くなるのを覚えると、彼女の手を持ったまま慌てて前を向く。

二人はゆっくりと歩き出す。


「桜、足元に気をつけて。」


「はい。」


続いて、凪と桜のやや後ろに控えている白丸が歩き出そうとすると、弟が兄の腕をつかみ小声でささやいた。


「兄上、我々はここまでにしましょう。」


「え?何でだよ?若様と桜姫をお守りしないとダメだろう?」


「兄上・・・、あれだけ色恋の噂話が好きな割りには肝心なところが鈍いですね・・。」


黒丸は白丸の前で呆れたようにひたいを押さえる。


「はぁ?何を言ってるんだ?」


黒丸がさらに溜息ためいきをついた。


「そういうところが兄上らしいのですが・・。とにかく、ここは館の敷地内ですし、若様がいれば桜姫は大丈夫です。ここで待機しましょう。」


黒丸は鈍感な兄の腕を掴んだまま凪と桜から距離をあける。


館の庭は広く、手入れが行き届いていた。

凪と桜は庭園にある大きな池の前まで歩いていく。

池には朱色の橋がけられていて、凪は桜の手を引きながら橋の中央で歩みを止める。


「桜、疲れてない?」


凪が桜を気遣う。


「ふふ、疲れるどころか歩くのは久しぶりでとても楽しいです。それにこんなに広くて素敵なお庭、植物がたくさんあって小鳥のさえずりが聞こえます。池には魚もいるのですね。あちらには紅色の魚も・・、可愛い。」


池のコイに無邪気に微笑む桜の横顔に見惚みとれていると、凪もつられて笑みがこぼれた。


--可愛い人だな。


池の水面には所々小さなはすの浮葉がゆらゆらと揺れている。庭園の蓮池は庭師がことに端正込めて手入れをしており、夏には清らかな花を水面一面に咲かせるだろう。


「夏が来ればこの池にたくさんの蓮の花が咲く。この橋から見る景色はすごく綺麗だよ。桜にも見せたい。」


桜に向き合った凪が優しく話すと、桜は水面の浮葉を眺めながらまだ見ぬ花に想いをせる。


「池の一面に蓮の花が・・。どんなに綺麗なんでしょう・・。」


すると、そよそよと風が舞って桜の美しい髪がそよいだ。

風が収まると、ふわりと桜の肩に髪がかかる。

思わず凪の手が彼女の御髪みぐしに触れようとする。


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