第二章

第十四話 はじまりの拍子木<前編>

なぎは長い廊下を歩きながら昨日の夕刻に起こった襲撃のことを考えていた。


あやかし妖蛇ようじゃを使う天狗てんぐだった。

黒丸が傷を負い、天狗を討ち取る寸前で取り逃してしまった。

昨夜は帰着するなり、すぐに父親に事の詳細を報告したのだが、天狗の放った言葉までは言わなかった。


--俺の左腕のアレが、天叢雲剣あまのむらくものつるぎ


天狗の発した言葉が頭をぎる。


『僕は凪君に用がある。--』

『・・・やっぱり君だったのか。』

天叢雲剣あまのむらくものつるぎ・・。まさか君の体が絡繰からくり仕掛けになっていたとは。』


--あいつは俺を探していたということか?天叢雲剣あまのむらくものつるぎを持つ俺を。


凪は幼い頃から自分の左腕にやいばが眠っていることを知っていた。

だが、それが何なのかはっきりとは分からなかった。

父親はその刃を人目から隠すように凪に厳しく教えた。

だから、刃を出さざるえない状況にならない限りそれを使うことはなかった。


凪が過去にその刃を使ったのは戦の激戦地での限られた状況だけだった。

左腕の刃を振るうとき、冴え切った思考の中の獰猛どうもう苛烈かれつな感情が戦の中の凪をたかぶらせる。

腕から生えた刃の異様な姿は戦場での敵軍の動揺を誘い、激戦の苦境を有利にさせた。

凪は自分の体に馴染む左腕の力で戦いにのめり込んでいった。



「若様、お待ちしておりました。」


父親の待つ大広間の前で双子の側近が片膝をついてこうべを垂れていた。


「黒丸、怪我の具合はどうだ?」


「はっ!傷はそれほど深いものではありません。毒抜きもしましたので数日で治ります。」


「そうか、分かった。お前たちも中へ入れ。親父の命令だ。」


「はっ。」



凪が双子を従えて大広間のふすまの前に立った。


「父上、凪が参りました。」


「ああ、入れ。」


襖を開けると奥行きのある空間が広がり、凪の父親が奥の正面に座っていた。

父親の後ろには唐絵からえの珍しい山水屏風せんずいびょうぶえられている。

屏風には雄大に広がる山や水の情景に花や樹木が描かれおり、若き貴公子や老隠士ろういんしが自然の中で詩吟しぎんを楽しんでいる様が風情をかもし出していた。

凪は館のあるじの前に座り、後ろに控えた双子と一緒に深々とこうべを垂れる。


「顔を上げろ。もう二人来る。」


--もう二人?


凪は顔をあげて双子の方を見やる。

双子も誰が来るのかは知らないとでも言うように顔を小さく横に振った。

しばらくして、聞き覚えのある男の声がする。


「大殿、すばるでございます。娘も一緒に連れて参りました。」


--なんだ、昴か。

--・・ん?・・・娘?


凪は首をかしげた。

昴が自分の父親と昔から親交があるということは知っていたが、娘がいるということは初耳だったのだ。

やがて、自分が座っている背後で襖が開くと衣擦きぬずれの音とともに足音が近づいてくる。


先に昴が座り、その横に娘が座った。

親子はやや後ろに座っているが、娘を挟んで凪と昴が横並びに座る形になった。

二人は深々とこうべを垂れる。

凪は昴の娘がどのような女なのかを確認しようとちらりと横目をやった。


女は上等な絹で織られた装束姿で、見るからにみやびな公家の装いだった。

中でも目を引く唐衣からころもは、満開の桜模様がほどこされている。

二人はあるじの許可とともに顔を上げる。


その容姿は、容顔美麗ようがんびれいな昴に劣らずの美貌だった。

美しく長い髪、白いつややかな肌、薄紅色の形の良い唇、そして瞳は黒曜石こくようせきのように深くうるんでいる。

凪の思考が一時停止した後にはっとする。


「え!?おう!!?どうしてここに!??」


凪は驚きのあまりそのまま桜に顔を向ける。


「・・・凪様、お久しぶりでございます。凪様もいらしているなんて知りませんでした・・。」


桜も困惑したように笑みを浮かべた。

昴は顔を正面に向け、黙ったままだ。


「ほう、二人は知り合いなのか?」


あるじが珍しそうに凪の顔を見つめると、凪は「しまった」というふうに顔を伏せた。


「いえ、知り合いというか・・。偶然に話す機会がありました。」


凪がぎこちなく答えると、昴が口を開いた。


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