第十〇話 蛇の影<後編>

私は三月みつきの間ずっと眠ったままだったと後から父様が教えてくれた。

私が目覚めた後も父様はずっとふさぎ込んだままで、片時も私を側から離そうとしなかった。


あの時、私は自分の命を人質にして、私自身の体に大蛇オロチを封印した。

その封印は私が死ぬとき、私の命を生贄いけにえにして大蛇オロチ諸共もろとも消滅する。

私にできることは、ただ『死』を待つだけだった。



あの日の出来事をぼんやりと思い出していると、すばる様がもう一度私を抱き寄せた。

父親の胸のあたりに引き寄せられて、その鼓動こどうが伝わってくると安心した。


「具合が悪そうだね。食欲はある?辛かったら今日は無理に食事を食べなくてもいいんだよ。」


「・・いいえ、こうされていると昴様の心臓の音が聞こえてきて何だか緊張がほどけてきました。」


「うん。そっか。」


昴様が安堵あんどの表情を浮かべた。

私は昴様の胸へ頬を寄せて見上げる。


「・・だから、おなかが空きました。」


「へ?」


昴様は私の顔をまじまじとのぞき込むと、次いで呵呵かかとばかりに笑った。

だけど、その顔は一瞬泣きそうな笑顔に変わる。


「そっかそっか。お腹が空くのは良いことだよ。食事の準備は整っているから久しぶりに一緒に食べようか。おうちゃんの好きなもの、たーくさん用意させたからね!」


そう言って私を力強く抱きかかえて立ち上がった。


「あの、昴様・・、もう大丈夫ですから、一人で歩けます。」


「えーダメダメ!さっきまであんなに辛そうな顔してた子が歩くなんて絶対にダメ!それに久しぶりなんだからもっと甘えてくれていいんだよ。」


昴様がふふと笑う。


「もう十分に甘やかされていますわ。」


私もふふと笑う。


「本当?俺は全然足りないんだけどなぁ。そうだ、今日の夜は一緒に寝ようね。桜ちゃんと一緒のしとねで眠ろう!うんうん。」


「一緒のしとねって・・。まったくもう・・、私はもう子供じゃないのですよ?」


私は抱き上げられた体を安定させようと、昴様の首へ腕をまわす。

昴様は秀麗しゅうれいな顔を近づけると嬉しそうに笑った。


「ふふ。俺にとって桜ちゃんは、いつまでも可愛い桜ちゃんだよ!」


そう言って昴様が私のひたいり寄る。


私たちは久しぶりに親子でゆったりとした時間を過ごした。

陰陽術おんみょうじゅつで作った世話係の形代かたしろたちが食事を運んでくる。


「桜ちゃん、これも好きでしょう?はい、どうぞ!」


隣に座った昴様が私の御膳おぜんに好物をのせてくる。


「まったくもう・・、これでは昴様の分がなくなってしまいますよ。同じものが私の御膳にもありますから、昴様がお召しになってください。娘を甘やかすのもほどほどにしてくださいね。」


「いーの、いーの。良い子はたくさん食べないといけないよ。それに俺は桜ちゃんをもっと甘やかしたい。あ!これも好きだったよね!」


昴様がお構いなしに私の好物を分け与えようとするので苦笑した。


「もう、言っても聞かないんだから・・。それではお返しにこれをどうぞ。」


私は昴様の御膳に黒豆の小皿をのせる。


「あ!ダメだよ!黒豆は俺の好物だけど、これじゃあ桜ちゃんの食べる分がなくなっちゃうでしょ?」


「ふふ、昴様だって自分の召し上がる分がなくなっているでしょう?」


「ん?そーだけど・・。」


私がおかしくて笑い出すと昴様も笑い出した。


「じゃあ、半分にしようか。それなら丸く収まるでしょ?」


「ふふ、それでは黒豆も半分ほど差し上げますね。」


私たちは笑い合う。


食事が終わると昴様は私の手を何度も握り、きょうであった可笑おかしな出来事やお仕事のことを機嫌よくお話してくださった。いつくしみを感じる昴様のてのひらの温かさに触れるうちに、いつの間にかさっきの恐ろしい震えが消えていた。

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