第八話 蛇の影<前編>

死が近づいてくる。

あの時と同じ、血と汚泥おでいの混ざったような臭骸しゅうがいとともにズルズルと地獄からい出てくる影の気配。

母様を殺したあいつが今度こそ私を殺しにやってくる。


--嫌だ・・・!逃げなくちゃ!!


私は影に向かって叫ぶ。


--来ないで!


逃げ口を探して震える体を引きずるように走る。

恐怖で息が上手くできない。

喉が乾きすぎて吐きそうになる。


--足が・・、お願い!!動いて!!!


獲物を狙う爬虫類はちゅうるいの目がおのれの体を這わせて近づいてくる不気味な音が聞こえる。

その音は段々大きくなって、黒い影が私をおおうように気配を大きくしていく。

やがて、私の足をからめとろうとする・・


--やめて!嫌だ!


私は大声で叫びながら、震えで上手く動かない足を必死に前へ進めようとする。

鼓動こどうが不規則に脈打つ錯覚さっかくおちいる。

息があがる。


--お願いだから来ないで!!!


影は容赦ようしゃ無く迫り、私の足先に絡みついて頭まで這い上がっていく。


--もうダメだ!逃げられない!!


うねるような影の筋肉が圧力をかけて私の体を締めつけていく。


--苦しい・・。


必死にもがいて影を引き離そうとするけれど、意識が遠のいて力が入らなくなっていく。


--息が・・・。


ぼやけていく視界の片隅かたすみに小さな光がともる。


おう。』


誰かが呼びかける声がかすかに聞こえる。


--・・誰?


『桜、生きなさい。』


私は自分の手を声のする方へ伸ばそうとする。

優しい声が私に語りかける。


『生きなさい。』


--生きる・・・。


薄れていく意識が光に満たされていく。

胸の中を温かいものが満たしていく感覚。






「桜ちゃん!」




ゆっくりと目を開けるとすばる様の顔が視界に入ってくる。

昴様は私の手を握り締めて心配そうに顔をのぞき込んだ。


「大丈夫!?随分とうなされていたよ。」


--ここは私の部屋?


私は少しだけ顔を横に動かして、ぼんやりと部屋を眺める。

昴様は脇息きょうそくにしがみつくように倒れていた私の体をそっと抱き抱えた。


「怖い夢を見たのでしょ?」


可哀想かわいそうに」とつぶやくと私の頭を優しく撫でる。


「・・ごめんね。怖い思いをさせて。俺のせいだね。--もう少しだから、もう少しだけ待ってて・・。」


昴様はかすれそうな声で何かを呟くと私の体をそっと自分の方へ引き寄せる。


「私・・。」


「夕食の時間になっても中々来ないから心配になって見に来たんだよ。そうしたら桜ちゃんが倒れているものだから。」


昴様は何度も私の頭を優しく撫でた。


--昴様が御当主ごとうしゅ様にご挨拶へ行くというから一人になって・・、その後少し眠くなってうたた寝をしてしまったんだ。


「昴様、謝らないでください。昴様が謝ることではないのですから。夕焼けをながめていたら少し眠くなってしまって・・。」


私はまだ震える手を胸のあたりに押し付ける。


「まだ震えているね。深呼吸をして手をぐーぱーぐーぱーしてごらん。」


言われる通りに深呼吸をして少し震えるてのひらを眺めてからこぶしを作ってまた開く。

緊張で強張こわばった手は中々思うように動かないけれど、昴様がそっと手をえて手助けをしてくれる。

開いた手のひらに赤い血潮ちしお波紋はもんが浮かび上がる。


私はまだ生きている。


「あいつの夢を見たのでしょう?」


昴様が私の頬を指先で撫でながら話しかける。


「・・はい。もう久しくは見ていなかったのですが、大蛇オロチの影を見ました。」


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