第二話 鈴のお守り

おうから渡された鈴を握り締めて、なぎは来た道を引き返していた。もう一度ここへ必ず辿り着けるようにしっかりと辺りを確認しながら。


『まぁいいか。ここの敷地は広いし、こんな外れた場所まで来たことは今までなかったから。』


あの時は咄嗟とっさにそう言ったけれど、どんなに考えたって館の見取り図の中にそんな場所は見当たらなかった。館の見取り図を頭に入れることはあるじの息子として当たり前のこと。万が一、いくさになって敵が攻めて来たとしても守りを固められるように館の隅々まで把握することは当然だ。


だけど・・・


あの時、桜を追及すれば、またどこかへ行ってしまうような気がしたから。


桜の部屋へ足を踏み入れようとした時、えんの柱にもたれる彼女の姿を見て息をんだ。すべてがあの頃のままだった。

潤んだような瞳、白いつややかな肌、美しく長い髪、細く上品な指先、たおやかな物腰。


--困ったな、俺はついに白昼夢まで見るようになったのか?


りんと手に持った鈴が鳴った。

ああ、これは紛れもない現実だ。


それはあまりにも唐突な再会だった。

事務的に女が何者なのか尋問じんもんし、父親に報告することだってできたはずだった。

だけど、そうしたくなかった。

強引に音合わせを願い出たのも、もう少し彼女と話したかったからだ。

桜が、目の前にいる女が、あの人であって欲しかった。

それを確かめたかった。


桜は笛を、愛し子に頬を寄せるように、優美な音を奏でた。

凪は笛の調子に合わせてうたう。

時折、互いに目を合わせて笑う。互いの音を楽しむかのように。


音楽が終わる。

もっと話したい。だけど--


「素敵な音色だ。君は笛が上手なんだね。」


「凪様の唄も素敵でした。誰かと音合わせなんて久しくしたことがなかったから少し緊張したけど・・。」


「突然のお願いだったのに、ありがとう。楽しかった。」


「私もすごく楽しかった。」


桜はふわっと笑う。


「あのさ、もっと君と話したいんだけど・・、その、そろそろ戻らなくちゃならなくて。」


すると桜は長い睫毛まつげを伏せてうなずく。

そんな仕草まで美しい。


「だから・・、その、・・またここに来てもいい?君のところへ。」


驚いたように目を大きくした彼女は再びうつむいてしまう。


--また君に会いたい。


「だって、君一人なんでしょう?それってきっと暇ってことだよね。だから、俺がここに来て君の暇つぶしの相手をするよ。別に変なことしようなんて思ってないし心配しなくてもいいけど、あー、やっぱり男が来るなんて嫌?」


--我ながら何言ってるんだ。もう少し格好良く口説けよ。だけど・・、

--どうか嫌だなんて言わないで。


桜は迷うように視線を落としたままだったが、しばらくしてから顔をあげて困ったように笑った。


「凪様がそうしたいのなら。」


「そういう言い方って・・、君の意思は?・・・まぁ、いいか。」


--嫌じゃないってことだよね?


「ふふ、私も凪様とまたお話したいです。」


「じゃあ、約束。」


凪はそう言うと自然と桜の顔をのぞき込むように顔を寄せる。

けれど、何かを思い出したかのようにすぐに凪は顔を横へ向けた。

耳が少し熱くなる。


桜が「少しお待ちください」と言って立ち上がり、

部屋の奥へ行くとまた凪のもとへ戻ってくる。


「・・では、これを。」


桜は少し戸惑いながら凪の手に渡す。


「鈴?」


「はい。こちらへ来られる時にはこの鈴を鳴らしてください。そして、この屋敷のことは誰にも言わないで。」


「わかった。約束する。」


--彼女がここで生活をする理由は何だ?何故・・。


凪は屋敷を後にして歩く。

空を見上げると陽はまだ先程の位置からそんなに移動していなかった。

急ぎ戻りながら、凪はもう一度鈴を握った。

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