第48話
この早さで消滅するなら、時間など残ってはない。百がどうにかする、気が変わったターボ達がどうにかするにしても、百が都市伝説の理屈を知らないにしても、百は分かってしまった。
彼女は、消える。覆すことは、出来ない。
当の本人はというと、焦っても、失望してもいなかった。ただ消えるだけなのに美談にしたターボを睨み、舌打ちするだけだった。
「……余計なことを言いやがって、ターボジジイ」
腰より上が消えかかる。腕の先も、指から順に消滅してゆく。
慌てて百が触れようとしたが、虚空を手が掠めるだけだった。息も絶え絶えに、百はどうにか必死に、流れる涙も構わず、彼女の消滅を止めようとする。
「ああ、ダメだ、ダメです、消えないで! 僕が噂を綴ります、語り継ぎます!」
叫ぶ百とは真逆に、落ち着いた様子で、ニュー口裂け女は言った。
「いいわよ、そんなの。代わりに」
口裂け女を見つめて、言った。
「代わりに、あのうすのろの――私の姉の話を語り継ぎなさい。私なんかより、よっぽどこれからを生きる価値がある、アイツのね」
「あ、あう?」
きっと、この時初めて、彼女は口裂け女を姉と認めたのだろう。
立場だけの姉だった。どうしようもない愚図で、自分の命令すら全う出来ないのに、一丁前に人の心配ばかりする。都市伝説として生まれたくせに、人間に同意して、人間と共に進む道なんて見つけた愚か者。
きっとターボやてけから見ても、自分とは違って、口裂け女はどうしようもなく愛しい、大馬鹿者だ。
だからこそ、生きろと願った。生き永らえさせろと願った。
初めて、心の底から他人の為に願った感情。
不思議と悪くない気分で、ちょっぴり恥ずかしくもなって、誤魔化すように、言った。
「それじゃあ、元気でね。せいぜい頑張って生きなさい、都市伝説ども」
その言葉が、最期の言葉だった。
彼女は皮肉っぽく笑って、消滅した。
その存在を示す唯一のものであった、百の手に刺さった鋏すらも消え去った。掌の塞がった孔が空しく残り続けたのを見て、全員が、彼女の消滅を嫌でも感じ取らされた。
呆然と彼らが立ちすくむ中、口裂け女がしゃがみ込み、咽び泣いた。
「……う、うう、ううううう……!」
世の人が聞けば、恐ろしい声だと言うだろう。
だが、百達からすれば、悲しい声だった。唯一の肉親を失った時のように、口裂け女の目から涙が溢れ、汚れた畳の上に水たまりを作った。
「口裂け女さん……」
百だって同じだった。自分が泣いている、涙を流しているのは分かっていた。
「てけちゃん、こんなの、こんなのって……」
たまらず、リカはてけの胸元に飛び込んだ。
「ほら、おいで、リカ。ターボ、これでよかったの?」
泣きじゃくるリカを慰めながら、てけはターボに聞いた。
彼女だって、やりきれない気分だった。夕方からずっと、ニュー口裂け女の体を二つに切り裂いてやりたい気分でいっぱいだったが、今は事情が違う。自分から敗北を認め、消えた相手に対しててけが持つ感情は、煮え切らないものだった。
複雑な顔をするてけに、ターボは静かに答えた。
「オレ達じゃあ何も出来なかったさ、百クンが今あり得る最良の結果を出してくれた、そう思った方がいい。姉さんにはオレから事情を説明しておくよ。それともてけには、二人とも説得して、公認都市伝説に出来たってかい?」
「……出来るわけ、ないわね」
「そういうこと。皆、落ち着いたら帰るとしようか……口裂け女も、一緒に」
誰も頷かなかったが、イエスであると、ターボは分かった。
全員が泣き止んで、結末を飲み込むのには、少しばかり時間がかかった。
暫くして、複数の影がこの廃屋から出てきた。
その姿が示すのは、口裂け女騒動の終末。
一つの犠牲――または納得を以って幕を閉じた、小さな騒動。
それぞれの心に小さな傷を残した、終わりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます