第42話
音と、沸点を超えた怒りと、自分より劣る者の反逆による明確な殺意が頭の中で混ざり合った時、ニュー口裂け女は口を開くよりも先に、首を刎ね落としかねないほどの勢いで、口裂け女の頬を裏手で引っ叩いた。
いかに同じ都市伝説と言っても、力を持つ者とそうでない者、殺意を携えた者と温厚な者では、能力の差がはっきりと出る。能力だけを見れば紛れもなく同じ都市伝説なのに、叩かれた勢いで、口裂け女はその場に倒れ込んでしまった。
「あ、うぐうう!」
だが、その程度ではニュー口裂け女の怒りは収まらない。
彼女は蹲り、芋虫のように震える口裂け女の傍に立つと、その体や手、足、顔を無差別に勢いよく踏みつけ始めた。勿論、その行為も一度で済むはずがなく、二度、三度、何度も、仮にも姉である相手に向ける力ではないほど勢いよく、攻撃する。
「この! ゴミの分際で! 先に生まれただけの無能が! 私に! 指図するんじゃないわよ! 力もない! 殺す度胸もない! クソカスの愚図がぁッ!」
一言、一言、ナイフのような言葉を投げかける度に、彼女は姉を踏みつける。
口裂け女がしっかりと言葉を発せて、やめてくれと懇願したところで、ニュー口裂け女は絶対にその口と足を止めなかっただろう。その狂気と殺意に満ち溢れた目は、もはや口裂け女を姉とも、同士とも見ていなかった。
ただ、自分の覇道を邪魔する下衆。誇りを忘れて、自分の力を失わせた元凶。そんな相手に、手加減も、遠慮もする必要があるだろうか。
「う、う、ううう! あうう!」
身を丸めて、口裂け女はぼろぼろと涙を零しながら呻く。その無様さが、ニュー口裂け女の嗜虐心と憎悪を強め、一層彼女を踏む力を強める。
「もうお前なんて必要ないのよ、私にこれだけ力が戻れば、もうお前みたいな出来損ないなんて必要ないの! 分かる? 分かってんならごちゃごちゃ反論してないで鋏をよこしてさっさと死ね、クソアマ!」
同情の余地などなかった。
ただただ、ひたすらに邪魔だった。
最後に都市伝説として生きる機会も与えてやったのに、それすら反故にした。
そんな相手を何十回も踏みつけ、罵倒して、ようやくニュー口裂け女は足を止めた。口裂け女は震えこそしなかったが、もう呻くだけで、抵抗の余地、余力すら残されていないようだった。
「うう、ぐう……」
口裂け女の成れの果てを見て、ニュー口裂け女はせせら笑った。
「……人を殺しちゃダメ? それ以外に生きる目的がないやつから、それを取ったら何にも残らないのよ。だからお前はそうなったってのに、どうして理解しないのかしら」
彼女は嗤いながら、口裂け女の落とした鋏を拾った。ニュー口裂け女の鋏より錆びていて、長年使われていないように見えるが、百の顔を滅茶苦茶にして、都市伝説連中を皆殺しにするには事足りる。
鋏を見て、自分の在り方を再認識しながら、彼女の笑みは止まらなかった。
その様子を見ていた百は、なんとなく気づいた。
彼女の本質と、自分と重なる何かについて。
そんな彼の変化など気にも留めず、ニュー口裂け女は最高に恐ろしい笑みを浮かべながら、百の方に向き直った。
「さて、待たせたわね。殺してあげるわ、人間」
鋏をカチカチと鳴らしながら、わざとらしく、ゆっくりと近寄ってくる。
「喜んでいいわよ。人々が私を怖れる、その礎になれるんだから。都市伝説が好きなんだって? よかったじゃない、最高の死にざまよ、アハハ!」
そうして、たっぷりの時間をかけて、ニュー口裂け女は百の隣に立った。大袈裟に鋏を鳴らして、百の恐怖を増大させるように、耳まで裂けた口を吊り上がらせて、百の慄きと許しの懇願を待っているようでもあった。
その怖れが自分を強くする。そして、怖れも何も、彼女は許すつもりもない。ただ無惨に殺し、後悔の渦中で口裂け女の件に関わったことを呪い、恨む顔を見たいだけだ。そうすれば、くだらない姉の反逆の怒りの気も晴れるだろう。
だからこそ、彼女は待った。百が泣き喚き、叫び散らすのを。
鋏で風穴を開けてやった時のように、苦しみ悶えるのを。
だが、少しばかり、彼の様子は違った。
「…………」
どこか寂しそうな顔で、彼は、ニュー口裂け女を見ていた。
口も開かなかった。目を瞑らなかった。ただ、彼女を見ていた。その様子を見て、ニュー口裂け女も奇妙だと思ったのか、鋏を下ろして、彼に聞いた。
「……どうしたの、急に黙り込んで。今更後悔してるの?」
「…………」
返事はないが、彼女は構わず続ける。
「だとしたら、もう遅いわね。人を殺さない口裂け女なんて妄想に囚われた、間抜けな都市伝説にホイホイついて行った自分の愚かさを恨みなさい」
くるくると手に持った鋏を回し、いよいよ百の顔に突き刺してやろうとした時、ようやく百が、口を開いた。
「…………あの」
「あら? 命乞い? だったら聞かないわよ、さっきも――」
「違います。ニュー口裂け女さん、一つ聞かせてください」
もう一度、彼女は鋏を下ろした。
予想していなかったリアクションだが、言わせてみるのも悪くない。開き直って罵詈雑言を投げつけるかもしれないし、やはり怖れが勝って命乞いするかもしれない。いずれにせよ、少し楽しめそうだと思ったのだ。
「……何かしら?」
少しだけ間を空けて、百は言った。
微かな怖れもない、怒りもない、ただ純粋な疑問を孕んだ声で、言った。
「貴女は――貴女は、何を怖がっているんですか?」
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