第39話


「え?」


 百が彼女の存在と声に気づくのと、ニュー口裂け女が彼を突き飛ばすのは、ほぼ同時だった。都市伝説でもない彼は悲鳴と共に、居間の奥に吹き飛ばされた。


「うわぁっ!」


 百は気絶こそしなかったが、その声と衝撃を聞いて、ターボ達はようやく彼女の存在に気づいた。いや、声こそ聞いていたが、響いていたのが背後からだったのと、まさかこんなに早く相手が動き出すとは思ってもいなかったのだ。

 振り返って見てみれば、邪魔者を一人始末して嗤うニュー口裂け女。ただし、もう一人の口裂け女の姿はどこにも見えない。気配を隠している、その身を隠しているのは間違いないが、この好機で姿を現さないのは、生来の弱気ぶりが影響しているのだろうか。

 いずれにせよ、敵がニュー口裂け女一人なのは幸いだ。仮に隠れているとしても、二人同時に出てこられるよりは、先ず一人を確実に始末出来る方が良い。

 それが、必ず倒さなければならない相手なら、尚更だ。

 ターボ達は身構えて、作戦通りに事を進める。つまり、『ポマード』の言葉でニュー口裂け女の動きを止めて、その間にターボとてけの攻撃で仕留める、王道パターンだ。


「百クン! てけ、リカ、作戦通りいくよ!」


「う、うん! ぽ、ポマ……」


 ポマードと言うのは、リカの担当。耳元でなくとも、これくらいの距離であればポマードの言葉を相手の耳に残響させるのは容易い。

 上手くいけば、ニュー口裂け女の動きを阻害出来る。

 ところが、彼女はそんな行動を黙って見ているほど、甘くはなかった。

 ニュー口裂け女はターボやてけには見向きもせず、どうにか三回ポマードと言おうとしているリカに向かって、思いきりタックルした。


「うぐう!」


 もしかすると、姉からリカの能力について聞いていたのかもしれない。自分達の弱点を鳴り響かせる都市伝説がいて、それさえ先に始末してしまえば、とりあえず敵の思い通りにはさせられないと。

 リカも壁に叩きつけられ、ずるずると畳に伏せた。

 同じようにやられた百は辛うじて蠢いているが、彼よりも耐久値が低いのだろう。リカの場合はすっかり気を失ったようで、ちっとも動かなくなってしまった。

 こうなると、焦るのは派遣チームの方だ。敵の動きを縛る為にも、リカの代わりに、他の誰かがポマードと叫ぶ役割を担わなければならない。


「リカ! ちくしょう、こうなったら、ポマード、ポマード、ポマード!」


 てけはこの場で最も冷静だった。だからこそ、叫ぶ役割を直ぐに自分に置き換えて、ポマードと三回怒鳴った。口裂け女を止める、都市伝説の対処法だ。

 ところが、今回は様子が違った。

 ターボとてけが睨みつける中、ニュー口裂け女は叫ぶてけをニヤニヤと見つめるばかりだった。夕方のように、苦しむ様はちっとも見られない。それどころか、無意味な策を弄する彼女達を見下すように、ケラケラと嗤っている。

 同じ都市伝説であれば、姉のように悶えるはずなのに、一体なぜ、どうして。


「ポマード、ポマー……なんでよ、どうしてよ! なんで苦しまないのよ!」


 何回言っても効いていない彼女の様子を見て、とうとうてけはポマードと唱えるのを止めた。その代わりに彼女が手に取ったのは、背部に携えた鎌だ。

 魔法の言葉が効かないのであれば、頼れるのは己の力。高速で動き回り、鎌で男女問わず体を切り裂いてきた、己の都市伝説に寄る、人間離れした力だ。


「この、こうなったら、ターボ!」


 てけに名前を呼ばれ、ターボも臨戦態勢だ。


「分かってるよ! 女性に攻撃するのは気が進まないけど、いや、夕方にもやっちゃったけどあれはノーカンで、つまりは痛いよってことだ、ニュー口裂け女!」


「もう一人がいない今のうちなら、アンタ一人なんて余裕よ!」


 都市伝説の臨戦態勢に加えて、こちらにはまだ策がある。ベッコウ飴だ。

 このベッコウ飴を使えばどのような効果があるのかは不明だが、一瞬でも相手の気を逸らせれば上出来だ。あとはターボがタックルして、てけの鎌で攻撃すれば敵を倒せる。

 この手は夕方には見せていない。奇襲性は十分だ。


「へえ、ポマードが効かないとみて、今度はそのポケットに隠し持ってるベッコウ飴を使おうって魂胆かしら?」


 ただ、その思考すら、どうやら敵は見抜いているようだが。


「なッ!?」


 今度こそ、ターボもてけも驚愕した。

 一度も使っていない菓子の名を看破された動揺から、てけとターボの動きが止まった。

逆の立場であれば、もしかすると相手の隙を突けなかった可能性があるが、ニュー口裂け女はそこまで甘くない。むしろ、その好機を狙っていたかのように、硬直してしまった二人に向かって突進した。


「私だって口裂け女よ、対策なんて見え見えだって……のっ!」


 てけは鎌を用いて反撃しようとしたが、彼女が構えて攻撃するよりも先に、ニュー口裂け女の十六文キックが、彼女の胸部に直撃した。


「きゃあ!」


「てけ! この……」


 ターボも持ち前の速さでタックルし返そうとするが、彼が有利なのは広い空間だけ。


「口裂け女より早い男? この狭い空間で何が出来るのかしらねえ!」


 ニュー口裂け女はそれすらも把握していたのか、ターボが動くより先に動き、鋏を持った右腕を彼に向かって振り下ろした。

 運よく、鋏はターボの制服に切れ込みを入れるだけに留まった。だが、ターボが高速で走る余裕も与えないまま、ニュー口裂け女は何度も鋏を振り、彼の肌に赤い傷をつけるべく連続で攻撃する。

 二度、三度、四度鋏を振られ、遂に五度目に、ターボの右手を鋏が引っ掻いた。


「うおわぁっ! 痛ってぇ!」


 流石に攻撃が命中すれば、歴戦の戦士でも何でもない、都市伝説であることを除けば普通の男子高校生のような存在であるターボは、動きを止めてしまう。唯一止まらないのは、感想を述べる口だけだ。


「この、なんでポマードもベッコウ飴も……ぐっ!」


 そんな間抜けな隙を逃すほど、彼女は甘くない。

 ニュー口裂け女の右足による渾身の蹴りで、ターボは箪笥に体を叩きつけられた。

 老朽化した箪笥はターボがぶつかった衝撃で、あっけなく崩れた。同時に、ターボは簡単に意識を手放してしまった。

 その様子を見ていた百は、どうにか這いずりながら、その原因を言った。


「……予測してたんだ、僕達の対策を……」


 予測していた。

 こちらが口裂け女について調べ、対策を練っていたように、向こうは自分達の弱点を調べ上げて対策していたのだ。

 よくよく考えてみれば、おかしな話ではない。ベッコウ飴を持っているかもしれない、ポマードと言うかもしれない、曖昧な返事をするかもしれない。生まれたてのニュー口裂け女だけならまだしも、相手には歴戦の口裂け女がいるのだから。

 とはいえ、謎もある。

 ベッコウ飴は持っていれば使わせないだけ。しかし、ポマードの言葉は言わせていた。ならば、どうして効かないのか。


「ベッコウ飴は分かるわよ、ポマードは……うぐあっ!」


 てけがその謎を代弁し切るより先に、ニュー口裂け女が腹を蹴り上げた。

 流石の強靭なてけも、腹を抉るような一撃には耐えられなかったのか、振り切った足の勢いに乗せられたまま、居間から玄関まで吹き飛ばされた。暗がりで様子は分からないが、恐らく気を失っているのだろう、声はちっとも聞こえない。

 誰も返事をしないのを分かっているが、百は言った。言わずにはいられなかった。


「…………耳栓だ。何かで栓をしてたんだ」

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