第38話


「……ここだ、この空き家だよ」


 その空き家まで、百の家からは自転車でニ十分ほどだった。

 道路の端にある横道を進み、坂道を登り、丘のちょうど中間地点くらいにあるのが、その空き家だった。そこは百の話した通り、奇怪な廃屋だった。

 周囲に街灯などあるはずもなく、百達が乗ってきた自転車のライトがなければ、よほど夜目が利かなければ、そこに家屋があることすら気づかないかもしれない。そしてその家屋は、百から話を聞いて想像していたよりも、ずっと古びていた。

 一体、いつから建っていたのか、いつから人がいないのか。百が不良ですら近づかないと言っていたが、なるほど頷ける。こんなところ、一時間もいれば何十体も悪霊を引き連れて帰宅する羽目になりそうだ。


「なるほど、雰囲気はあるね。オレが近所でちょっと粋がってる程度のヤンキーなら、一度立ち寄って二度と立ち寄らないよ、こんなとこ。傍にいるだけでも呪われそうだ、おお、怖い怖い!」


「どういう例えよ、それ。でもまあ、確かにターボの言う通りね、雰囲気はある」


 ターボとてけの言葉に、百が頷いた。


「うん、いるとしたら、きっとここだと思う。さあ、行こうか」


「オッケー、自転車はもう少し奥に置いていこう。てけ、車椅子を出すよ」


 百とリカはそこに自転車を止めて、ターボはてけを前かごから下ろしてから、後ろのかごに積んでいたてけの車椅子を下ろして、てきぱきと組み立て始めた。

 てけに上半身だけで動いてもらっても構わないが、整地されていないような場所を肘で走らせるほど、ターボ達も鬼ではない。


「ありがと。直ぐにここから飛び出すことになると思うけどね」


 完成した車椅子に乗り込み、それを叩きながら、てけが言った。


「肘走さん、無茶はしないでね」


「そうだよ、てけ。てけに何かあったら……」


 リカと百の心配を受けて、てけはギザギザの歯を見せて笑った。


「心配してくれるのはありがたいけど、あたしをナメすぎじゃない? かの『てけてけ』よ、バカな口裂け女くらい、パパっと鎌の錆にしてやるわよ」


 どうやら、必要以上の心配は無用らしい。てけにとっては、これから自分に煮え湯を飲ませた口裂け女をとことん叩きのめすことで頭がいっぱいのようだ。過剰な戦闘意欲はもとより、ないよりはましと言えるだろう。

 ベッコウ飴、てけの鎌を二本、その他諸々。

 口裂け女への対策は十分。

 というより、これが出来る限界。

 この限界をやりくりして、伊佐貫市の平和を守らなければならない。その為には、ここで口裂け女を止めなければならない。

 四人で大きく息を吸って、吐いて、鬨の声を上げるのは、ターボの役割。


「よし、それじゃあ突入と行こうか!」


「ええ、さっさとぶっ殺すわよ!」


「う、うん……」


「皆、気を付けてね」


 四者四様のリアクションを見て、てけが突っ込んだ。


「アンタも一緒に行くんだから、アンタも自分のことを気を付けるのよ。ヤバいと思ったらあたしかターボに言いなさい、逃がす時間くらいは作ってあげる」


「ありがとう、肘走さん」


「勘違いしないでよ。人間に死なれると、寝覚めが悪くなるって、それだけよ」


 車椅子をリカに押されながら、てけはそっぽを向いた。

 暗さのせいで表情は分からなかったが、きっと照れ隠しでそう言って、百に顔を向けられないのだろう。出会い頭の様子とは、全く正反対のリアクションだ。

 危険な場所だというのに、なんだかおかしくなって、百は笑ってしまった。


「ふふっ」


 つられて、というより事情を察して、ターボも笑い出した。

  

「ハハハっ!」


 笑う男性二人の声を聞いて、顔の赤みが消えたのか、てけが振り返って威嚇した。


「笑ってんじゃないわよ、そこの二人! 今から空き家に入るんだから、警戒しなさい!」


 牙を剥いて怒鳴るてけだが、なぜかリカの笑い声も聞こえてきたような気がして、それ以上は言及しなかった。ターボもまた、てけを怒らせすぎれば鎌が自分の喉に突き刺さると思ったのか、馬鹿なことを言わないように努めるようにした。


「それもそうだな……よっし、おじゃましまーす」


「言わなくてもいいわよ、バカ」


 ターボとてけが漫才をしながら戸を開けて、四人同時に、廃屋へと入っていった。

 玄関を含めて、部屋の中全てが真っ暗だった。

 時代劇で見るような部屋の作りで、玄関の直ぐ先が畳の敷き詰められた居間になっていた。その奥までは見えなかったが、きっと家の外観や柱の状態、踏みしめれば砕けそうな木製の廊下を含めて、ボロボロなのだろう。

 足元は暗く、段差もあったが、幸い車椅子を持ち上げなければならないほど高くはなく、潜入は難しくはなかった。百がスマートフォンをポケットから取り出して、ライト機能をオンにすると、前方の視界だけが明るく照らされた。


「真っ暗だね。スマホのライト機能がなかったら、何も見えなかったよ、きっと」


 ゆっくり、なるべく板を踏み抜かないようにして歩くと、リカが前を指差した。


「でも、明るいところも、あるね。ほら、あそこ、光が入ってる」


 居間の奥に、光が差し込んでいた。

 なるほど、元々は障子があった箇所が老朽化して全て剥がれ落ちてしまったのか、殆ど外の風景と一体化しているのだ。つまり、ライトの明かりや部屋の明かりではなく、月光で部屋が照らされている。

 そこにいれば、とりあえず暗がりから敵に襲われはしないだろう。リカ以外の三人も同じ考えだったのか、ゆっくりと居間に進んだ。

 何かの音、何の音なのかはさっぱりだが、あらゆる音が口裂け女の挙動に聞こえる中で歩くと、ほんの数歩で到着する居間までの距離が、とても長く感じられる。こちらは音を立てず、なるべく誰もいない体で進み、ようやく到着した。

 中央にある古びた机をどかし、スペースを確保して、安心したターボが口を開いた。


「いいね、ここなら明るいし、口裂け女が来ても対抗出来る! この居間をとりあえずオレ達の陣地としよう! いいねえ、侵入ゲームみたいだ!」


 黙っていると死んでしまうのかと、てけは呆れた。

 いつものターボの調子なら、もっと大きな声で話し出しかねないと思えば、彼としても自制している方だろう。百としては内心、薄暗く、妙な臭いの立ち込める、いつどこで誰が出てきてもおかしくないような廃屋で、ターボの明るさはありがたかった。

 しかし、安全地帯を確保したとはいえ、ここは敵陣だ。

 一応はターボを諫めて、真面目な態度に戻しておかなければ。


「だから静かにしなさいっての」


「そうだね、いつ口裂け女が襲ってくるか分からないし」


 分からないので、一層警戒しなければ。

 百はそう言いたかった。

 だが、彼自身、警戒がすっかり緩んでいるのに気づかなかった。

 もう少し、廃屋に入った時点で自分達が監視されているような状態になっているのに気づいていれば、ましな対応が出来ただろう。もう少し、自分達の他にも誰かがいるような雰囲気を悟れたのならば、逃げる手はずだって整えられただろう。

 もう少し、もう少し警戒出来ていれば、恐らくは。


「――こんばんは、お馬鹿さん達?」


 百の背後にいる、ニュー口裂け女の存在にも気づけただろう。

 誰にも気づかれずに百の直ぐ後ろに立って、鋏を携えて嗤う、彼女の存在に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る