第37話
ベッコウ飴。
黄色く平たい、砂糖から作った飴。屋台で売られている物は大抵棒が刺さってあるが、段ボールの中にあるのは、透明な袋で小分けにしてあるタイプだ。都市伝説では、口裂け女の大好物で、これを差し出せば逃げ切れる時もあるらしい。
とはいえ、今のご時世で常備するようなお菓子ではない。ましてやポテトチップスやチョコレートが主流の若者のお菓子の中で、これをあえてチョイスする百の、都市伝説に対する愛着と疑いない感覚が見て取れる。
普通の中高生が部屋に仕舞っていないようなお菓子を、しかも大量に目にして、てけが疑問を呈した。
「……普通、男子高校生の部屋の中にニ十本もベッコウ飴があるもんなの?」
「まあ、使えるものは使わせてもらおう! さっきより相手も警戒しているだろうし、ちょっとでもチャンスを作れる武器はあった方がいいからね、ほら、リカも」
「あ、うん……これ、どう、使うの?」
「口裂け女に向かって投げつける、またはほかの方向に投げつけて、取りに行ってる間に逃げるのが正しい使い方だね。今回は肘走さんがいるから、攻撃にも使えるかも」
名前を呼ばれると皮肉を返す癖でもあるのか、てけがリカに言った。
「あとはお腹が空いた時に食べなさい」
「それもいいけど、いざって時にどうなっても知らないよ」
「冗談に決まってるでしょ。ほら、そうと決まったら行くわよ。ターボ、おぶって」
「しょうがないなあ、ほら……それじゃあ、また後でね」
各々、準備は整った。
ベッコウ飴を出来る限りポケットに詰めて、夕方よりは対処法が増えた。あとはなるべく到着時刻が遅くならないように、早々に出発するだけだ。
そう思った四人が部屋を出ようとした時、ターボお姉さんが言った。
『はーい、いってらっしゃい! あ、そうだ、百クン!』
「はい、なんですか?」
『無事に帰ってきたら、今度おっぱい揉ませてあげるわ! 頑張ってね!』
とんでもない約束と共に、自身の胸を下から持ち上げ、彼女はわざと揺らして見せた。
「え、ちょ、なんですかそれ!?」
『冗談よ、冗談。それじゃ、まったねー』
そうして、言いたいことを言いたいだけ言って、ターボお姉さんはテレビ通話を切った。
百の周囲を、なんとも言えない空気が満たした。彼としては、正直なところ決して全くもって魅力的ではないというわけではなかったし、もしも機会があるならば、と一瞬たりとも思わなかったわけではない。
ただし、今は状況が状況だ。百はなるべく、自分は努めて真面目であり、そんな報酬に惑わされているわけではないと全員にアピールするべく、顎の下をさすりながら、タブレットを担いで話を逸らそうとした。
「変な冗談ばっかり、困るんだよ、ほんと……な、なにさ、皆」
なるべく平静を装えたつもりだった。
尤も、他の三人には、心の内をすっかり読まれているようで。
「鼻の下伸びてんのよ、スケベ」
「不潔、です」
「百クン、あれの言うこと、あんまり真に受けない方がいいからね」
誰一人として、百がそんな気持ちを持っていないと信じてはいなかった。
語部百にそんな経験がないとなんとなくでも知っているし、何より彼の鼻の下が若干伸びているのを、三人とも見逃してはいなかったのだ。
「いや、そんなことないって! ちょっと、信じてよ!」
慌てた百が言い訳をしようとするが、三人とも聞く様子がない。それどころか、ターボと彼に背負われたてけ、リカは部屋を出て、すたすたと階段を下りていく。
「おじゃましましたー」
ご丁寧に、一階にいる百の家族への一声も忘れずに。
そうなると、困ったのは百だ。三人にくっつくようにして階段を降りると、なるべくてけの下半身を見られないようにしつつ、両親達に外に出る旨を伝えた。
「ちょっと、聞いてる!? 別に僕は胸とかそんな……あ、お母さん、お父さん、自転車借りるから! え、いいよ、お土産とかいらないって! すぐに帰ってくるから! ターボ君、車椅子をお母さんの自転車のかごに積んで……手伝わなくていいって、お母さん!」
その一つを伝えるだけで、余計なお世話でいっぱいだ。
自転車を両親から借りると伝えるだけで、このざまなのだから。
なるべく関わらないでほしいと何とか伝えるべく必死で説得する百の様子と声を、家の外から聞きながら、てけはどこか寂しそうな口調で言った。
「……親御さんはいい人なのね、アイツ」
「そうだね、素敵な家族だ。羨ましいかい、てけ? オレ達だって家族だろう?」
「気色悪いこと言ってんじゃないわよ、ったく」
ターボの慰めに対し、彼女の声は冷たかった。
ただ、そこにはほんの少しの羨ましさも混じっている気がした。
百がどうにか両親を説得して、自転車を借りて、怪しい丘に向かって動き始めたのは、四人が部屋の外に出てから十分ほどしてからだった。
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