第32話


 ニュー口裂け女にとっては正当な理由であったが、その話を聞かされた都市伝説課派遣チームからすれば、エゴの権化、身勝手な暴挙に過ぎない。

 それで自分が勝手に破滅しているだけならば、どうぞご勝手に、で済む話だが、この伊佐貫市、ひいては他の都市伝説の安寧を巻き込む事態になるとするならば、看過するわけにはいかない。


「復讐だか何だか知らないけどね、アンタのクソみたいな屁理屈で暴れられたら、ここに来る他の都市伝説に迷惑がかかるのよ」


「それに、君の姉は公認都市伝説に乗り気だったからね。さっさと開放してやってくれないかい、これ以上に人を襲わせる前にそうしないと彼女の心にもっと傷を作ってしまうんだ、オレとしてはそういうのを見逃すわけにはいかなくてね!」


 てけもターボも、ニュー口裂け女を公認都市伝説として説得する気は毛頭ない。ろくでもない暴力者を引き入れるよりは始末した方が早いだろうし、何より仲間や正しい道を歩む者への暴力を正当化する彼女は、もう悪党以外には認識されていない。

 いつでも攻撃を繰り出せる二人を見ても、邪悪はせせら笑うばかりだ。


「あなた達、自分の立場を分かってる? 説教出来る身分じゃあないのよ?」


「どういう意味かな?」


「私達なら、そこにいる人間を即座に殺せるわ。問答無用でね。それをしないって理由が分からないほど、脳味噌が詰まっていないわけはないわよねえ?」


 ニュー口裂け女は、そう言って百を見つめた。その目の奥にあるのは明確な殺意で、初めて口裂け女に会った時よりもずっと嫌な汗が噴き出すのを、彼は感じた。

 だが、単純な殺意が目的ではない。その裏には、別の目的がある。

 少し考えて、百が言った。


「……見逃してやるから、自分達も見逃せということでしょうか」


「人間だけはまともな思考を持っているみたいね。そういうことよ」


 逃げる為の交渉、というよりは命令。

 百を殺さないから、自分達が離れるのを、指を咥えて見ていろと言うのだ。

 そんな命令を下されて、唯一黙っていられないのはてけだ。生来喧嘩早く、舐められたら舐めた相手の胴を刎ねる、間違いなく過去に人を殺している都市伝説は、口裂け女二人を、瞳孔の開いたような目で凝視しながら鎌を掴む。


「自分達があたし達より上だなんて、ふざけたこと言ってくれるじゃない。二人とも胴体をすっ刎ねてやるから、かかってきなさいよ」


 ニュー口裂け女も言われれば言われっぱなしではいられない性分なのか、ポケットにしまっていた鋏に手をかける。

 彼女達がスーパー都市伝説バトルを繰り広げれば、間違いなく百が犠牲になる、というより口裂け女達は彼を優先して襲うと分かっているターボが、てけを制止する。


「よせ、てけ。百クンがいるんだぞ」


「それが何だってのよ、ナメられたまんまでいられるかっての!」


「落ち着けよ、ここで百クンが殺されたら、オレ達の知識だけじゃあこいつらを追えなくなる! そうなったら、今よりずっと犠牲者が出る! 分かってくれ、てけ!」


 いつになく真剣な表情で、ターボはてけを説得する。

 てけとターボでは、百の重要性の感覚が違った。

 てけからすれば、口裂け女の胴体を捌き、侮辱の代償を払わせる方が大事だが、この場ではターボの大局を見た動きの方が正解だ。ここでもし、口裂け女を討ち漏らし、百が死んでしまえば、もう誰も口裂け女の犯行を止められない。

 だからこそ、ターボは本気で彼女を制した。

 幸いにも、彼女はその意味が分からないほど短気でも、間抜けでもなかった。


「…………クソっ」


 てけが渋々了承するのと、痺れを切らしたニュー口裂け女が彼らに問いかけるのは、ほぼ同じタイミングだった。


「何をこそこそと話しているのかしら?」


 百を襲いかねない様子で問うニュー口裂け女に、ターボが答えた。

 未だに不服そうなてけをリカが宥めるのも無視して、最良の答えを言った。


「……分かった、オレ達を見逃す代わりに、オレ達もそちらを見逃す。これでいいかい?」


「交渉成立。それじゃあ、二度と会わないことを祈るわ。もし、また顔を見たら」


 僅かに間を空けて、百を睨み、彼女は脅した。


「その時は、その人間から殺すわ。どこに隠しても、逃がしても、絶対にそこの人間から殺す。あなた達が巻き込んだことを後悔するくらい、残酷に、凄惨に、ね」


 そう言って、彼女はにやりと笑った。殺戮こそが喜びであると言いたげな表情を前にして、流石のターボも、背筋に流れる汗を感じ取らずにはいられなかった。

 十分に忠告したと判断した彼女は、姉の背中を蹴りながら、その場から消え去った。


「さっさと来なさいよ、のろま!」


「あ、あう……」


 文字通り、透明になって、あっという間に。

 ターボ達が学校で使った技と同じものだろう。まだその場に居続けて、走って立ち去るつもりだったのだろうか、どちらにせよこちらから追う力も、理由もない。

 都市伝説の空間が解除されたのか、少し空気が軽くなった。

 辺りを見回して、ターボが呟いた。


「……行ったね、行ってしまった」


 リカに、車椅子に乗るのを手伝ってもらいながら、てけが吐き捨てるように言った。


「どうすんのよ、これから。せっかくの相手を逃がして、人殺しまでのブランクタイムを縮めてしまったのよ。次からはあの連中、人を殺すわ」


「だったら、時間がない、ないよう」


 もう時間がない。

 明日の昼休みまでなど、悠長なことは言っていられない。

 状況を立て直し、再度行動する為に、必要な事柄と、場所は。


「……ターボ君、肘走さん、三ツ足さん」


 思いあたりがある。

 作戦を立てられて、学校よりも近く、都市伝説について話せる場所が。


「――作戦を立て直そう。ここからなら、僕の家が、学校より近いから、そこで」


 語部百の、実家だ。


「そうしようか。お邪魔するよ、百クン」


 三人が、同時に頷いた。

 遠くから人の声が聞こえてきた。

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