第31話


 百が説明を終えると、もう一人の口裂け女は、嘲るような拍手をした。


「……正解よ。人間さん。私達に詳しいのね?」


「僕の趣味ですから」


 淡々と百が返事をすると、それ以上の関心を持たなかったのか、彼女は百がなぜそこまで詳しいのか、自分達をどこまで知っているかは言及せず、独白を始めた。


「彼が話した通り、私はここで生まれた口裂け女、『ニュー口裂け女』とでも呼んでもらおうかしら。たった一つの、人間の、無責任な噂から生まれた……生まれただけの存在」


 ニュー口裂け女と名乗る都市伝説は、少し悲しげな口調で話す。


「力のない都市伝説、誰も憶えずに忘れ去られて消えるだけの存在、ってわけか」


「これまではね。この古い口裂け女が来てくれたおかげで、その心配はなくなったわ。こいつが目撃されたおかげで、人間は怖れて、私の力を蓄えさせてくれた……けどね!」


 ターボの問いに答えた彼女は、次の瞬間、とてつもなく語気を強めたかと思うと、もう一度口裂け女の頬を裏手で叩いた。

 かなりの力を取り戻しているのか、衝撃で口裂け女は倒れ込んでしまう。そんな自分の姉とも言える立場の相手に、ニュー口裂け女はまるで、自分の親の仇を見るような目で睨みつけながら、何度も何度も、その腹に、足に、腕に蹴りを叩き込む。


「う、うう!」


「誰も殺してないなんてのは聞いてないわよ!」


「う、うう、あうう!」


 どうやら、口裂け女が人を殺していない、目撃されただけに留まっているのに怒っているようだ。人を殺せばより怖れられ、力が手に入ると知っているだけに、殺人への抵抗感など知ったことではないと言わんばかりに、彼女は愚か者に制裁を加える。

 もんどりうち、涙を流して蹲る姉に、妹は一切の容赦をせず、狂ったように攻撃する。仮にやめてと懇願しても、彼女は絶対に虐待を止めないだろう。


「どうして殺してないの、人間一人殺せないっての!? それでよく口裂け女なんて名乗ってたわね、ねえ、何とか言ったらどうなの!」


 たまらず、ターボがまた口を挟んだ。


「おい、やめろ! その口裂け女は人を殺したくないんだ!」


 口裂け女の腹を蹴り上げながら、ニュー口裂け女が吠えた。


「ええ、そうでしょうね! そのせいで私が生まれた頃には誰も私の噂を怖れなくなっていたのよ! こいつが人を殺め続けていれば、今頃こんな地道な、クソみたいな計画も立てずにすんでいたっていうのに!」


 その言い分で、百には分かった。

 彼女は、自分が弱く生まれてしまった理由を、自分の姉のせいにしていたのだ。

 何故自分がこんな不幸な目に遭わなければならないのか、何故過去に生まれた方は責務も果たさずに自由に生きているのか。その不条理な怒りを、彼女はきっと気の弱い姉にぶつけ続けたのだろう。

 どうすればその罪が精算されるのか。姉がそう問いかけたなら、彼女の勝ちだ。自分が悪いのだから、自分の力が取り戻せるまで暴れ続けろと唆せば、後はこれまでの事件通りだ。人を襲い、力を取り戻す。罪の清算など、知ったことではない。

 ターボがニュー口裂け女を睨みつけるのを見ながら、百は彼女に言った。


「……良心につけ込んだんですね。自分が消えかけているのは、彼女のせいだと」


「とんだ卑怯者じゃないの。自分じゃあ何にも出来ないからって」


 てけや百の言葉にも、彼女は開き直った態度だった。


「利用出来るものはすべて利用する主義なのよ。でも、私の噂を話した人間だって同罪よ。話すだけ話して忘れ去って、残された方はどうなるの?」


 答えるまでもない、忘れられた都市伝説は消えるだけだ。人間にとっての死、消滅であるが、人間が罪に思うことはない。なぜなら、そんな存在は実在しないから。


「ええ、分かってるわ、私なんて存在しないもの、気にも留めないわ――だったら、思い出させてやる。口裂け女がどれだけ怖れられていたか、どれだけの人間を殺めたと噂されていたか、すべて思い出させてやる」


 自身の恐怖を思い出させるほどの怖れ。

 際限のない怒りが齎す怖れ。

 彼女にとっては当然の権利であり、表す言葉は、ただ一つしかない。


「これは復讐よ、生み出されただけの存在の、復讐なのよ」


 復讐、人間への復讐そのものなのである。

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