第30話
「て、てけちゃあぁぁん……」
「大丈夫、大丈夫よ、リカ」
口裂け女が何者かの隣まで走り、それらを挟むようにしてターボと百が立ち、リカがへたり込んで泣き続け、てけが傍によって慰める。
こうなると、正しく彼女が言った通りの形勢逆転だ。
突如乱入した部外者は、優位な状況を喜びながら、鋏をくるくると回しながら嗤う。
「さて、要求にさっさと応えてくれたのには感謝するわ。なんせ」
そうして、未だに何か落ち着かない様子の口裂け女を一瞥して。
「こんな愚図でも、私の姉なんだからッ!」
その頬を、思いきり引っ叩いた。
「うぐううっ!」
いきなり叩かれたからか、口裂け女はマスクの内側からでも分かるくらい赤く腫れた頬に手を当てて、目を丸くするばかりで、反撃もしない。というより、先程からの挙動を見ると、どうやらこの、新たな口裂け女に怯えているようだ。
ここで黙っていられないと言わんばかりに、ターボが口裂け女に向かって怒鳴った。
「何やってんだよ、お前!」
「何って、決まってるでしょ。私の命令一つも聞けず、人も殺せない無能にお仕置きしてやってるって、それだけよ……いつまでキョドってんのよ、このカス!」
「う、あう……」
気の強い口裂け女が一喝すると、気の弱い口裂け女はとにかく彼女を怒らせないようにと、体を震わせながら縮こまるばかり。
遭遇してまた数分も経っていないが、大体の上下関係は分かっていた。さっきまで話していた口裂け女は、人を殺したくない性分で、気弱。もう一人の口裂け女は、今この場で空間を解いて人が通れば今直ぐ殺しかねないほど血気盛んで、強気。
その強気な口裂け女は、これ以上もう一人を見ていると苛立ちで殺しかねないとでも思ったのか、彼女への侮蔑を吐き散らかしながら、話し相手を変えることにした。
「ったく、私がいなけりゃ何の価値もないゴミ女が……それで、そこの人間?」
「僕、ですか」
百が自分を指さすと、彼女はにやりと、気味の悪い笑顔を見せた。
顔の作りは口裂け女と同じはずなのに、話し方や表情の作り方ひとつでここまで印象が変わるものなのかと、百は驚いていた。こちらの方が、幾分都市伝説的だとも。
「そう、そこのあなた。あなただけ、口裂け女が二人いるって予想していたみたいだけど。その根拠を教えてもらえないかしら?」
彼女の問いに、顎に指をあてがってから、百は答え始めた。
「……まず確かめたいことがあります。貴女は、この伊佐貫市で発生した口裂け女ですね?」
「ええ、そうよ」
「だったら間違いありません、貴女はたった一つ、あるいはごくごく僅かな噂で誕生してしまった、力のない都市伝説です。口裂け女の噂があまりに出回らなくなった現代で、貴女は恐らく消滅を待つだけだったんだと思います。
百の仮説は、やはり間違っていなかった。
彼女はこれまでの都市伝説と同様の口裂け女。ただし、どこかの誰かが何となく話した噂によって誕生してしまった都市伝説。ごくごく僅かな噂で、ごくごく稀な確率で生まれてしまった存在。
生まれてしまった、と百が思ったのは、その命が短いであろうことを予想していたからだ。噂がなければ都市伝説は消滅してしまうからだ。
そして口裂け女などは今や創作上の要素でしかなく、実際に怖れる若者などいない。長く続く話で恩恵を受けられたのは、存在を世間に認められたほうだけなのだろう。つまり、彼女に力を得る要素は与えられない。ただ、死ぬばかりだ。
この伊佐貫市に、都市伝説が集まってこなければ。
「そこに、『過去の口裂け女』が伊佐貫市にやってきた……理由は分かりませんが、引き寄せられたと仮定します。貴女は彼女の存在に目をつけ、何かしらの理由で懐柔して、自分の代わりに、この地域で出没させた。人を怖れさせる為に」
もとより存在して、まだ命を長らえさせていた、古い口裂け女が来なければ。
彼女は閃いたはずだ。力がない自分では、恐怖を広められない。しかし、今までこうして生きてきたもう一人なら、出没するだけでも噂になる。そして伊佐貫市で広まった噂は双方を強め、いずれは自分自身が恐怖を拡散させられる。
四月末から起きた一連の口裂け女騒動の正体は、曖昧な都市伝説の存在に関わる定義と、口裂け女は一人だけという確信の虚を突いた、彼女なりの復活の作戦だったのだ。
「――そして、力を得て、自分がこうして出回れるようになる為に」
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