第25話


 ポマード。

 男性用の、油性整髪料。ただ、それだけ。

 以外に何の意味もないのだが、口裂け女にとっては違う。

 かつて口裂け女の噂が流行った時、ポマードと言えば助かるという噂も流れた。

 曰く、口が裂けた原因である整形手術失敗の際に、執刀医が臭うくらいポマードをたっぷりとつけていた。曰く、別れ話を切り出した彼氏に、顔に熱いコーヒーをかけられた際、彼がポマードをつけていた。諸説あるが、その整髪料が苦手なのには変わらない。

 ポマードと聞いた途端、彼女の目が、かっと見開いた。耳の穴に百足を入れられたかのような、不愉快を具現化したような表情が、マスク越しにも見て取れた。その反応は間違いなく、リカの発した言葉からきたものであるのは明白だ。


 口裂け女のリアクションを見たリカは、すかさず彼女から離れた。

 ところが、口裂け女の苦悶は終わらない。頭の中で金物同士を何十回、何百回とぶつけられている時に、きっとこんな暴れ方が出来るだろうと思うくらい、彼女は頭を抱え、歯を食いしばっている。

 何故なら、口裂け女の耳の奥、頭の中では、彼女が何よりも嫌う言葉がこだまし続けているのだ。『三本足のリカちゃん人形』の力、言葉の反響によって。

 かつては呪いの言葉を、相手が狂い死ぬまで耳元で鳴らし続けたその力が、今はリカが呟いた言葉を相手に聞かせ続ける力となっている。ただの可愛らしい人間が放つ言葉であれば、ある種の趣向を持つ者にとっては幸せだろうが、今の口裂け女にとっては違う。自身を追いつめるタブーワードが、頭を行ったり来たりしているのだ。


「ポマード、ポマード、ポマード、ポマード、ポマード……」


 とても、正気ではいられない。

 死ね、殺すと狂うまで言われ続けた人間がどうなるか、想像に難くない。

 その様子を体現したかのように、口裂け女は頭を抱えて、掻き毟り、一層苦しみだした。


「う、あう、うううううう!」


 そう、これこそが都市伝説課派遣チームの作戦、第一段階。

 リカに至近距離でポマードと言わせて、反響させて、苦しませて隙を作る。

 これで、リカの役目は終わった。予定通り電信柱に向かって走ってくるリカを見て、ターボとてけが、これまた予定通りに飛び出した。


「グッド、グッド、ベリーグッド! よくやった、リカの『ポマードこだま』作戦は成功だ! 行くよてけ、一気に畳みかけるっ!」


「言われなくても分かってるから、命令しないで!」


 リカとすれ違って、二人が駆けだす。

 特にターボのスピードは、百を助け出した時と同様、ターボジジイの名を代弁するかのようなものだった。一瞬で最大加速に達し、ターボの姿がたちまち揺らめき、風になる。

 直進する方向にいるのは、口裂け女。

 周囲の風景が見えなくなるほどの速度で、物体に向かって思いきり走れば、どうなるか。


「どりゃあああ――っ!」


 だがしかし、それこそがターボの目的だった。

 ターボは自身の出せる最高速に近い、とてつもない勢いでタックルを繰り出したのだ。


「うぐうっ!?」


 口裂け女が頑強である可能性は、四人の予想でもついていた。そうでなければ、人間相手に鋏を持って暴れまわる体力も、ターボジジイを相手に追いかけまわすスタミナもないだろう。

 そんな口裂け女の姿勢を崩すほどの一撃をどうすれば叩き込めるか。その回答が、リカの不意打ちによるノーガード状態からの、ターボのタックルだ。

 作戦の第二段階は見事に大成功だった。アニメや漫画のように彼女が何百メートルも吹き飛ぶことはなかったが、彼女はターボの肘が腹部に直撃したのと同時に、ポマードとは別の意味で酷く歪んだ。効いているのだ、彼の一撃が。

 全てが上手くいっている。


 ならば、てけの行動は決まっている。作戦の最終段階だ。

 電信柱から飛び出した時点で、てけの下半身から車椅子はなくなっていた。その体に下半身は存在せず、ところがターボに追従するくらいの速さで、肘だけで疾走している。

 ターボの一撃でよろめく口裂け女の視界に入らないように、ドリフトをかけるようにして彼女の横に滑り込んだてけは、制服の後ろに縄で縛ってあった二本の鎌を取り出した。ぴかぴかではなく、何度か使い込んだのかと思えるほど錆が目立つ小さな鎌だったが、てけが使えば立派な凶器だ。

 鎌を構えて、てけは一気に、口裂け女に飛びついた。

 彼女がリカに話しかける直前の状態であったなら、いかに早いと言っても、てけの直線的な攻撃をかわせただろう。そうなるのを予測していたからこそ、ターボは先に自分が攻撃して、回避不可能の状況を作り出したのだ。

 倒れ込んだ口裂け女の背後に、てけが回り込む。

 そうして後ろから鎌を突き出して、刃を彼女の首に引っ掛けてから、てけが言った。


「……動かないでよね。女の子程度の腕力になっても、この鎌ならアンタの首くらい、かっ切れるから」

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