第18話
リカが一瞬怯えて、てけがじろりと睨む。
作戦成功と言わんばかりに百が微笑み、口から指を離して話を続ける。その様子は、さっきまでの陰鬱な表情しか見せない百とは大違いだ。
オタクらしいこちらが、彼の本性なのか、はたまた。
「返答はイエスでもノーでも、大体のケースでは、手にした鋏で殺される。対策はポマードという言葉を三回言う、ベッコウ飴を投げつける、普通ですと答える……地域によってさまざまだけど、今言った三つがオーソドックスな対策かな」
そこまで話して、百はバインダーを閉じた。大まかに彼が知っている情報、またはターボ達でも分かるような噂を話し終えた証拠だ。
ふう、と一息ついた百に、間髪入れずターボが問いかける。
「……でも、どうして、今になって、また?」
「今になって噂が再燃したか、だね。七九年以降、この噂は急速に衰退して、翌年にはほとんど聞かれなくなった。九〇年代でも細々と続いていたみたいだけど……」
「ミレニアム以降は、ほぼ昔ばなしってわけか」
「そうだね。いずれにしても、伊佐貫市で噂を流行らせたのが彼女自身なら、ターボ君達の予想通り、もっと市民が襲われる。僕みたいな高校生を狙ったんだ、小中学生なんて簡単に殺されるよ」
さらりと百が言ったが、彼を含めて、それがどれほど危険な状況かは理解していた。
かつて噂の中で、口裂け女は何十、何百という子供を殺し、恐怖のどん底に叩き落とした。真偽はともかく、彼女にはそのスペックがある。持ちうる力を遺憾なく発揮すれば、口裂け女はかつての栄光どころか、ずっと強い怖れを抱かれるだろう。
そうなる前に、彼女を止めなければ。
「目下必要なのは、次に誰が襲われるかってとこね。それは分かる? 都市伝説オタク」
挑戦的なてけに対して、百は淡々と返事をした。
「僕は刑事じゃないんだ、でも、噂からそれに近い情報を得ることは出来るよ……早速、やってみる」
だが、その手が動くのは早かった。
長机の上に載せられたバインダーをまとめて開いたかと思うと、窓辺に積まれた本の一番上にあるメモ帳とペンを掴んで、百は何かをそこに書き連ね始めた。
「そんなこと可能なのかい、百クン?」
ターボが話しかけるが、百はちっとも反応しない。動きが止まっているのかと思ったが、ペンはひっきりなしに動いているし、立ち上がったかと思うと、他の資料を探す為に本棚に向かい、がさがさと本を漁り出す。
「……百クン?」
てっきり無視されているのかと思ったが、違うようだと、ターボは気づいた。
「もしかして、集中してるのかな? オレの声が聞こえないくらい?」
そう。彼はただ、集中しているのだ。こうなると、きっと何回呼び掛けても、百は見向きもしないだろうと、三人とも直感した。
「かもね。放っておいて、あたし達は先に帰ってもいいんじゃない?」
「そうだね……あ、待って。一つだけ、試しときたいんだ」
ここで妙な悪戯心が芽生えたのか、ターボは百の後ろから、明らかに彼が聞こえるくらいの声で、答えられるなら答えてみろといった調子で、声をかけた。
「ねえ、百クン! ターボジジイの噂の発祥時期なんだけど――」
「一九八〇年、兵庫県六甲山を中心にターボババアと同様に噂が流れ始めたってのが通説だけど、僕の調べなら一九六三年の中国地方での目撃証言が一番古い情報だよ。目撃人数は十五人、どれも老婆じゃなくて老人でターボジジイなんて言葉が出来る前だったうえに、都市伝説なんてのが流行り出す前だったから直ぐに掻き消されちゃったけどね」
返ってきたのは、ターボの笑顔が固まるくらいの早口による、明確な答え。
「証拠になる資料なら扉の横の棚にあるから勝手に見てもいいよ。というより、都市伝説本人なら、発祥時期は君が一番詳しいだろう?」
「……聞こえてるんだね。というか、詳しすぎてちょっと、うん」
「キモいわよ、はっきり言ってキモい」
三人が三人、同じリアクションをして、物置から出て行った。
百は一人、扉が閉まる音を聞いていた。自分の趣味が人からすれば気持ち悪い内容そのもので、奇怪だ、異常だと判断した三人の反応は当然だとも思っていた。
しかし、百はどういうわけか、口元が笑っていた。
誰とも関わらなかった少年の、誰にもかけられなかった言葉。これでなくとも、どんな言葉でも、彼にとっては初めて。どんな言葉でも、今の百は傷つけられなかっただろう。
本人の意思か、それとも深層心理の体現か。
「……知ってるよ、それくらい」
百は誰にも聞かれないくらい小さな声で言ってから、作業を続けた。
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