第5話

 百としては当然の発言であった。見ず知らずの相手にお願いされるならまだしも、知っていることを教えろ、知らないと答えたらさらに高圧的な言葉を気圧される。そんな相手なら、きつい言葉の一つだってぶつけたくなる。

 ただ、車椅子の女の子の態度が明らかに変わったのが、見て分かった。さっきまではゴミか何かを見るような目だったのが、たちまち敵を見る目に変わった。


「は?」


「教えてくださいって、そう言えばいいじゃないか」


「よーし、ぶっ殺す。そこ動くんじゃないわよ、すっぱりその首、切り落としてやるから」


 まさに一触即発。百の冷めた態度が気に食わなかったのか、車椅子を動かして百に近寄り、今にも噛み付きかねない様子で話そうとした時、ターボが間に割って入った。


「ヘイヘイヘーイ! 待った待った、てけも語部クンもステイステイ!」


 ニコニコと笑ってはいるが、まるで過剰な接触に内心焦っているかのような表情だ。

 車椅子の女の子は大層不満そうな表情だったが、少し落ち着いたのか、ターボの後ろに引いた。その目がずっと百を見ているのにも気づいていたが、彼は努めて二人の関係を悪化させないようにしながら、話を続けた。


「分かった、オレ達の聞き方が悪かったね、ごめんよ語部クン。でも、知ってることを教えてほしいってのも事実なんだ」


「…………」


「……どうしても、口裂け女については話してくれないかな」


「そんな気分じゃないよ、悪いけど」


「ターボ、どきなさい。このクソムカつく頭、かち割ってやる」


 もう一度、ずい、と前に出た彼女を、いよいよターボも顔を真面目にして宥めた。


「てけ、今だけはマジでやめてくれ、な? 君がそう言うなら、その意思を尊重するよ、語部クン。その代わり、気が向いた時ならいつでもいい、君の話を聞かせてほしい」


 今の百からは、話は聞けそうにない。

 そう判断したターボは、一歩身を引いた。百が引き留める様子も、気が変わって話を始める様子も見られなかったので、彼はこのまま、今日は引き下がることにした。

 百からすれば、自分の趣味やその内容について話す気など毛頭なかった。人に話すようなものではなかったし、人に話したところで、これまで一度だって良いことはなかった。

 だから、百の返答は決まっていた。自分にしか価値のない趣味であり、他人に話す価値もない。そう思っていた百は、頬杖をついて、窓の外を見ながら、呟いた。


「僕の話に、価値なんてないよ」


 干渉を拒む言葉。


「そう思っているのは、君だけさ」


 返ってきたのは、手を差し伸べる言葉。


「え?」


 驚いた百が振り返ると、そこにはもう、誰もいなかった。

 ターボも、車椅子の女の子も、遠くで見ていた金髪の子も、誰一人いなかった。いつもと変りない、普通の生徒が普通に会話をしたり、遊んだりしている、普通の教室に戻った。まるで、彼らが最初からいなかったかのように。


「あれ、いつの間に……?」


  その言葉に返す者も、話しかける者も、もういない。百はいつも通りの、一人ぼっちだ。


「……なんなんだよ、一体」


 自分を教室の風景から切り取るように、百はもう一度、外の風景を眺め出した。

 通学鞄の中にある『趣味』の本なんて、すっかり頭の中から消え去っていた。

 グラウンドでサッカーボールを蹴ってはしゃぐ男子生徒、廊下で新作のマニキュアの話に花を咲かせる女子生徒。その中からは明らかに異端だった、さっきの三人。ただ、自分の内側にずかずかと踏み込んでくるのであれば、これ以上接するのは勘弁だと、百は正直、そう思っていた。


 きっと、もう少しの間は、三人を思い出すことすらないと、彼は思った。


 だが、百がその存在をもう一度思い出す羽目になるのは、その日の夕方である。

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