第二章
第一話――秘抱く地下の祠
空を引き裂いて雷が落ちる。
瓦礫の中に立ち尽くすその体を、天変地異と呼ぶに相応しい突然の豪雨が打ち据えていた。携えられた身の丈程の杖が、稲光を反射して冷たい光沢を示す。
「ひめさまっ」
半壊した塔の上の人影へ、赤い少女が叫んだ。本来繋がっていた渡り廊下は、塔の先端が崩れた巻き添えになったのだろう、遥か下に落ちて二つの足場を切り離している。
「待ってて今そっちに」
吹き荒ぶ嵐の中、途切れた廊下から飛び移ろうとする小さな騎士。彼女の腕を咄嗟に掴み、負った怪我に顔を歪めながら少年が声を荒げた。
「無茶、だ」
「はなしてよっ、じゃなきゃ」
暴れて振り解こうとする少女の赤く澄んだ瞳に見据えられ、ひとりぼっちの人影は首を振る。共に揺れる長く重たい髪の毛は、暗い空の下に正しい色を失っていた。
「アルファ」
激しい風の中でも何故か消えることなく、呼んだ声は相手に届いた。かなしげな視線が少女と、その後ろで顔を歪める少年に向けられて。
「もう、よいのじゃ。妾は、……もう」
疲れてしもうた、と。
呟いた言葉をきっかけに、シルエットが変わった。金属製の杖がぬらりと怪しく光を含み、歪な翼が雨を打ち払う。
「まって、まってよ」
厚い雲に覆われた空に攫われていく姿を見上げて、少女は叫んだ。
「ひめさまぁ――!」
長閑な昼前の旅路であった。
進む道のりは一度通ったものであり、順調ならば日暮れ前に街に着けると分かっている。そんな事情が反映されてか、徒歩で進むふたりも気楽な表情であった。
「晴れてよかったですねぇ」
朗らかに言う男は、黄褐色の瞳を細めて眼鏡を直す。肩から提げた鞄から水筒を取り出し、一口あおってタウは息を吐いた。
空にある太陽の光を映す金糸を、首を覆う長さまで伸ばしてひとつに結んでいる。同じ年頃から比べれば長身の部類だが頼りない体格には、六柱教の神官であることを示す白いコート。その右二の腕に取り付けたベルトを使って、削り出した木に輝石を填め込んだ
「前んときは酷かったからな」
そう返しながら、隣を歩くゼータは肩を竦める。爽やかな黄緑色の髪を乱雑に掻く癖に合わせて、左の耳でイヤリングの輝石が煌めいていた。
丈夫な生地で仕立てられた旅装に、旅の荷物のほとんどを収めたリュック。更に革と金属板を組み合わせたロングブーツと、いかにも旅人といった装いだ。羽織ったマントの上を、頭の低い位置でまとめた長い髪が流れている。
「ちょうど雨期だったそうですからね。知ってるひとは避けるらしいですよ」
「避ける、っつーと」
進む街道を見渡して、ゼータが唸った。
「例の話、どうなんだろうな」
全く人通りが無いわけではないが、多いとも言えない。話題にした雨期がこの後に控えている以上、その前にと急ぐ旅人が増えるのが例年のことだと立ち寄った宿で聞いていた。だが、酒場や井戸端を賑わせていたのは別の噂だ。
「伝わってるのは王都で騒ぎが、ってだけでしたけど……、この様子からすると本当かもしれないですね」
憂い顔で俯くタウの背を、鼓舞するように手のひらが打った。つんのめる様子をおかしげに見ていたゼータは、しかし前方に視線を戻した途端に眉間にしわを寄せる。
「……おい、あれ」
指した先に、タウが眼鏡越しに目を凝らした。そしてたなびく雲ではないものを視認すると、険しい顔で隣を見やる。
「急ぐぞ」
「っ、はい!」
行く手に見え始めた街から細く立ち上る黒煙に向かって、ふたりは駆け出した。
「これは、一体」
黒煙の元は、街の外れにあるひとつの建物だった。六芒星のモチーフが地面に落ち、壁の一部が崩れて煤けている。倒壊が引き起こした火災は既に収まったようだったが、付近は未だ騒然としていた。
上がった息を整えることも忘れて茫然と呟いたタウ。彼を背に庇って辺りを窺うゼータへ、
「あんたら、神官と護衛官か?」
通りがかった赤褐色の髪の神官が、腕に薬を抱えたまま呼びかけた。そちらへ近づきざまに、
「何か手伝えるか」
「助かる」
ゼータが尋ねると相手は頷く。そのまま三人が早足で向かったのは、倒壊した建物からは離れた位置にある中庭だった。運び出されたのだろう怪我人や、その手当をしている神官たちの姿があちらこちらで見られる。
「あんた、レイティス様の神官だな、こっちに」
「分かりました」
傷が深く動かせない者が寝かされた一角へ、タウは短杖を手にしながら駆け寄った。
「火傷が酷い、水聖霊の術を頼む」
「私が代わるわ。誰かこっちをお願い」
鮮やかな青髪の女性が立ち上がり、声を上げた焦げ茶の瞳の男性の隣にしゃがむ。手にしていた杖をかざして言葉を紡ぐ、その一連の動きに応えて光が集い横たわる男性の脚を覆った。
「豊穣もたらす大地よりグランディスの息吹を」
詠唱した男性が、輝石を縫い止めた手袋を地に押し当てる。広く一帯に効果を及ぼす代わりに、大きな傷を癒やすには時間の掛かる術だった。表情を険しくさせて目の前の怪我人を見る地聖霊の神官の横に、すっと人影が膝を着いた。
「この方でいいですか」
「……光の術か、有り難い」
タウは、瓦礫に打たれたらしい腕を押さえる神官に向かい短杖を向ける。柔らかな光は痛みを和らげ、傷口を徐々に再生させていく。
一方でゼータは別の一団に加わっていた。訓練着姿の護衛官が軽度の怪我人を背負い、また街から物資を運んでくる。邪魔になるマントと荷物を片隅に置いて、ゼータは疲れた様子の年老いた女性を負ぶって立ち上がった。
「どこまで運べばいい?」
「街の宿が場所を用意してくれた。そこまで頼む」
屈強な護衛官が先導し、街の中心へと向かっていく。背に乗せた老婆を気にしつつ、ゼータは最大限の速度で足を動かした。
「何があったんだよ」
その合間に投げられた問いに、前を行く護衛官は眉根を寄せた。
「俺たちも、よく分からないんだ。急に聖堂の壁が崩れて、火の手が上がって……」
低い声には戸惑いと、わずかだが確かな恐怖が滲んでいた。それを感じ取ったゼータは口を噤み、街の通りを駆け抜ける。
「だが」
背中の神官を背負い直し、護衛官は石畳を蹴る。
「助力があってな。こうしてすぐ対処に回れたのもそのおかげだ」
その内容についてゼータが尋ねる、その前に視界に大きな建物が映った。こちらでも神官や、手伝いを買って出たらしい街の人々の姿が見える。
「……あれは」
その中に見覚えのある姿を見つけ、ゼータは目を凝らした。その強い視線に気がついたように、ふたつの人影が振り返る。
シーツなどの布類が押し込められているのだろう布袋を担いでいるのは、本人もその袋にすっぽり収まってしまえそうな小柄な少女だった。立派な鎧をワンピースの上に身につけて、桃色の髪はふたつに分けて結んである。赤い瞳が丸まって、近づく相手の名前を呼んだ。
「ゼータぁ?」
高く通った声に、少女と共に荷物を運んでいた少年も振り返る。こちらは軽量の革鎧と、腿の辺りに二丁の拳銃を吊り下げていた。少女と揃いのベレー帽を波打った茶色の髪に乗せ、驚いた表情からウインクを見せて。
「久し振りだね」
出迎えた顔に、ゼータも声をかける。
「なんでお前らが居るんだ」
言われて、少女と少年――アルファとデルタは顔を見合わせた。
「その話は後で。先に、そのお婆さんが休めるところに案内するよ」
迷い無く誘導するデルタを、未だ怪訝な顔をしつつもゼータは追いかける。神殿へ祈りを捧げに行っていた老婆は、ゼータの背中の上で予期せぬ疲労から眠りに落ちていた。
日が暮れて、疲れ果てたひとびとはそれぞれの休める場所を求める。そこに手を差し伸べた宿のひとつ、その一室に四人が集まっていた。
「怪我人の治療がひと段落したのが幸いですね」
言ったタウが温かいミルクティの入ったカップを配る。そこにどさどさと砂糖を溶かすゼータを少し引いた目で見つつ、デルタは渡されたカップに口を付けた。
「あれだけ壊れちゃうと、建物の修復にはだいぶかかりそうだけど」
「それは神殿側の仕事じゃん、大神殿で勝手にやってよ」
こちらも甘くしたミルクティをごくごく飲みつつ言ったアルファを横目で見て、
「で、お前らなんで神殿に居たんだよ」
空いたカップをタウに渡しながらゼータは頬杖をつく。無愛想な態度にアルファがむすりと顔をしかめた、不穏になりかけた空気を察してタウはお茶菓子を机に乗せた。
「おふたりが居合わせたおかげで死者も出ずに済んだとは伺いましたけど、いらしてたからにはそれなりの理由があるんでしょう?」
皿に開けられた焼き菓子をつまんで食べるので忙しそうなアルファとゼータを見やりつつ、デルタはまあね、と応えた。
「そうじゃなきゃ、わざわざ君たちと話がしたいなんて言わないって」
そうしてクッキーをひとつ頬張った、対面の少年騎士に神官は頷く。
「突然のことで、誰も何が起きたか把握出来ていませんでした。知っていることがあるならこちらも聞いておきたいんです」
真剣な声音に空気が張り詰める。手を止めたアルファが顔を上げ、大きな赤い瞳が戸惑って瞬く。
「……うん」
「オレが話すよ」
紅茶で口を湿らせて、デルタが口火を切った。
「まず、非常に申し訳ないことなんだけど。今回の件には、オレらの事情が関わっててさ」
「お前ら……騎士団、国か」
ゼータの呟きで思い出したように、タウが言葉を投げかける。
「王都で騒ぎがあったと聞きましたが、それに関係が?」
内容にアルファは顔を強張らせる、一方でデルタは苦笑してみせた。
「流石にこの辺りには噂が広まっちゃってるかぁ」
「具体的なことは何も知らないですけど」
言ったタウに当然、とばかりの顔を向けて、
「賊が入ったけど騎士団が対処しましただいじょーぶ、って言ってあるもん」
アルファが両手にカップを抱える。
「実際そんなんじゃないんだろ」
「まあ、ね。ここでの話は他言無用、ってことで」
肩を竦めてゼータは立ち上がり、四人が収まるには狭い一室の唯一の出口に寄りかかった。それでも話を聞くには支障ないということだろう、顎をしゃくって続きを促す。
「王都バシレイアの王宮での騒動の原因……って言えばいいかな。そのひとがここの神殿でのことにも関係してるはずなんだ。オレらはそのひとを追ってきたってわけ」
「おふたりが動いてらっしゃる、ということは第二王女様に関係が……?」
眼鏡を直し、タウが窺ったのはアルファの方だった。小さな手にカップを砕かんばかりの力がこもっているのに気がついて、デルタは手袋を外した手で少女の腕を軽く叩いた。
「そういうこと。だからさぁ、こっちとしても信頼出来る相手じゃないと選べないんだ」
身を乗り出して、デルタはタウと目を合わせる。
「タウ、君ならそのひとの行方を捜せないかな」
「そうですね」
訊かれて、タウは左手に短杖を握った。試す様にテーブルをこつこつ、と叩いて、伏せていた瞼を持ち上げる。
「可能、だと思います」
「つまり俺たちにも手伝えってことだな」
黙ったままだったゼータが口を開けば、デルタは少しからかいを含んだ表情をそちらに向けた。
「タウが協力する、って言ったら君も来るでしょ。オレとしては嬉しいね」
「デルタさん」
眉をひそめたタウに怪訝な顔をして、ゼータは扉から背を離す。
「そいつひとりを勝手に引っ張り回されちゃ困るっつってんだよ。俺はそいつの護衛官なんだから」
「え、じゃ護衛官じゃなかったら来ないってこと?」
笑ったままのデルタに何を言っているのか、と言いたげに見て、ゼータはタウの隣に座り直して残っていた紅茶を流し込んだ。
「デルタ、そんなのどーでもいいでしょ」
刺々しく赤い瞳が少年を睨みつける。
「うちらは急いでんの。決まったんならさっさと追いかけなくちゃなの!」
強い語気にタウは呆気に取られた顔をした。対してゼータは凪いだ緑の目でアルファを見る。
「……そんな言い方しやがるくせに、今日は一日潰してんじゃねえか」
「それは、だって」
言葉を喉に詰まらせて、少女騎士は証のベレー帽を外した頭を俯かせた。
「見失っちゃったん、だもん」
「アルファさんが、皆さんのために尽力していたと聞きました。それはとても有り難いと思います」
意識のあった怪我人は、赤い騎士に庇われて助かったと呟いていた。それを聞いたときと同じ優しい顔で、タウはアルファに語りかける。
「それは、すぐ追いかけるのを諦めてでも皆さんを助けてくださったということですよね」
少女は何かを堪えて唇を噛んでいた。代わりのようにデルタが口を開く。
「……それも、オレらの都合さ。今回の件で、誰ひとり犠牲を出したくなくって」
「それでも、救われた皆さんは感謝していましたよ」
微笑んだタウの隣で、ゼータは対面の騎士ふたりにぶっきらぼうに言い放つ。
「お前らに借り作りっぱなしってわけにゃいかねえだろ」
「……なんであんたがえらそーなの、ゼータ」
俯いたまま、少し震えた声音でそれでも減らず口を叩き返した相手に、護衛官は薄く笑った。
かつての旅路で進むべき道を探したように、タウが聖霊に祈りを捧げて得た導き。それに従い昼前に街を発った四人が目的地に着いたのは、太陽が天の真ん中を過ぎた頃だった。
「……ここ?」
前を行くタウへデルタが問うと、体ごと振り返って頷く。
岩肌にぽっかり穿たれた洞穴は、それが放置されたものではないと示すような門が入り口に備えられていた。年月を経ても朽ちる気配の無い石造りのそれを見上げ、ゼータも背後を振り返る。
「ここ、祠だよな」
「ほこら?」
背負った身の丈ほどの大剣を木々に引っかけないよう、ひょこひょことアルファが門の前まで進んできた。
「ええ、地聖霊グランディスを祀る祠です。街から離れているので、五年に一度の祭事以外は定期的な清掃を行うだけだそうですが」
事前に地元の神官から聞いておいたのだろう、淀みなく説明するタウが右腕に留めていた短杖を手に取った。二言三言呟いて輝石に息を吹きかけ、光源となる泡を生み出す。
ゼータがイヤリングを外して軽く放り、得物である鎌を喚び出す横でアルファが大剣を背から下ろす。右腿の銃を抜き弾丸を確認したデルタを殿に、土を踏み固めた道へ足を踏み入れる。
「結構綺麗なもんだね」
警戒を怠らぬまま、軽い調子で少年が言う。
「祠自体が、祀っている聖霊の加護を受けていますから。特にここは、かつて聖女が立ち寄ったという記録が残る由緒正しい地なんだとか」
短杖を動かし道の先を照らしながらのタウの説明に、
「……聖女……、ヴィアレスタ……」
ソプラノで小さく呟かれた名前を聞いたゼータは、けれど声をかける前に行く手の突き当たりに視線を取られた。
「開くのかこれ」
周囲が暗いことがもったいなく思える精緻な細工が施されたそれが、どうやら扉らしいと悟ってゼータは指先をなぞらせる。
「動かしたっぽい跡があるし、そうなんじゃない?」
しゃがみ込んでいたデルタの視界で、赤いワンピースが揺れた。
「この先に行けばいーんでしょ」
大剣をぽいとゼータに渡し、アルファは扉に両手を着いた。
「おっも、おい危ねぇだろ!」
「うっさい」
慌てて柄を掴み文句を言ったゼータには見向きもせず、頼りなく思えるほど細い両腕に力を込める。低い地響きと共に押し開けられた石の扉の向こうには、広い空洞が待ち構えていた。
「なにここ」
「いつまで持たせるつもりだてめぇ」
ひとひとり通るには充分なだけの隙間から、するりとアルファが中に入る。その手元へ大剣を押しつけ返して、ゼータはぐるりと辺りを見回した。
おそらく儀式に使われるのだろう広間には、松明を立てるための台が壁際に並んでいた。そして中央には、長身のゼータでも遥か見上げる大きさの石像がひとつ。
「これグランディス様だよね。御利益あるかなぁ」
ベレー帽を押さえて見上げたデルタに頷こうとした、その瞬間にタウが青ざめる。
「ゼータっ!」
咄嗟に出たのだろう名前の主が、弾かれたように跳び退る。それに引きずられるように腕を引っ張られたアルファが文句を言う、その前に。
――ずどがぁああん!
けたたましい音が全員の鼓膜を殴りつけた。
「……っな……?」
立ち込める土煙を振り払い、咳き込みながらゼータは音の発生源――ついさっきまで自分たちの立っていた場所を振り返った。
「なんなの、落石……?」
咳き込みながら同じく視線を動かしたアルファの目の前で、突如落下してきた大岩が、
「違いますそれはっ、」
ふわり、と浮き上がった。その石の拳が再び振り下ろされようとする、その軌道を阻んで銃声が連続した。
「ふたりとも一旦引いて!」
両手に握った銃を交互に撃ち、掠めさせることで直撃から逸らす。出来た隙を逃さず後退した前衛ふたりは振り返り、揃って絶句した。
悠然とそびえ立っていたはずの石像。厳かな雰囲気を何処かへ消し去った代わりに、禍々しい気配を宿したそれが背を屈めて四人を見下ろしていた。
「は……?」
ぽかんと見上げていたゼータが、我に返って大鎌の柄をぐるり、と構え直す。引いて振り回した、大きな刃の峰が落盤じみた足の落下を受け流した。
「どうして聖霊の石像がこんな……」
左手に短杖を握り締めていたタウは、轟音を伴う振動に耐えかね片膝を着いている。その傍へと舞い戻ってゼータは息を整えた。
「おい何ぼさっとしてんだ!」
その合間の怒声はアルファに向けられていた。防戦もそこそこに周囲を見回していた赤い瞳が、一点を捉えて見開かれる。
「いた」
そちらに駆け出そうと地面を蹴る、そのアルファの思惑を瞬時に汲み取ったかの様に石像の頭がぐりんと振り向いた。妨害の意思を明らかにしてアルファを狙う、その攻撃を大剣で防ぎながら少女騎士は叫んだ。
「……っ、見つけた! ひめさまぁ!」
広間に響き渡った声は、明かりの無い部屋の隅に居た人影に届いた。
「姫様……?」
タウの呟きは石像の暴れる音に掻き消され、またそのことについて問いかけるだけの余裕もない。
「探したんだよ姫さま、ねぇ!」
懸命に振り絞った懇願はしかし、無言の背中に拒まれた。それでも声を振り絞らんとするアルファへ襲いかかる石像の拳を光の盾が阻み、その隙にデルタが滑り込んで小さな背中を叩く。
「アルファ」
「……っ!」
強く唇を噛み、大剣を振りかぶって柱じみた腕に叩きつけ切り飛ばす。その勢いをアルファの胴を抱えたデルタが制御して石像と、人影の立つ場所から距離を取った。
「姫」
バランスを崩した石像が傾く、その間の静けさに呼びかける。長いケープの裾でその声を打ち払って、長い三つ編みの人影は杖を掲げた。
「……時間を稼げ、ゴーレムよ!」
丸い大きな輝石から杖自体を伝い、発生した光は淀んでいた。それがゴーレム、と呼ばれた石像にまとわり付く、その向こうで人影が踵を返して壁に触れた。
「ちっ」
目を凝らして壁の隙間の隠し通路を見定めたゼータは、蹲るゴーレムを回り込もうと駆け出す。しかしその後ろで、
「うわぁあっ!?」
「タウっ?」
上がった悲鳴にブレーキを掛けた。振り返った先に見えたのは、尻餅をついた状態で短杖を両手に祈る神官の姿。彼を守る薄い光の膜を圧迫しているのは、先程アルファが切り落とした筈の腕の残骸だった。
「ゼータ、タウを!」
言ったデルタ、そしてアルファの目の前には岩の巨躯が立ち塞がっていた。蹲っていた筈のそれは周囲の土を吸い上げるように肥大化し、そして立ち上がると数倍の太さを得た腕で無造作にふたりを薙ぎ払った。
「くうっ」
前に大剣をかざしたアルファは、ぶつかる直前に大剣を押し出し上へ跳ぶ。そのまま腕へ飛び移って駆け上っていく背中を見ながら、デルタは跳んで避けた位置で銃をしまった。代わりにズボンのポケットから取り出した包みに導火線を刺し、マッチで火を付ける。
「よっと!」
炸裂する爆薬の轟音を背景に、駆けたゼータは宙に浮かぶ石の塊へと大鎌を振るう。
「――風刃よ切り裂け!」
叫んだ言葉は大鎌が帯びた燐光に宿り、一撃を幾重もの斬撃へ変えた。切り刻まれ崩れ落ちた腕だったものの向こうで、タウが大きく息を吐く。
「助かりました」
「……怪我は」
微笑んだタウから決まりの悪そうな顔を背けたゼータが問うと、大丈夫ですと答えが返る。差し出された腕を頼ってタウは立ち上がり、改めて短杖を握り締めた。
「何だよさっきのは……」
「……分かりません。ですが」
途切れた続きの代わりに、タウは低く詠唱を始めた。大きくはなくとも場に響く声の主を狙うゴーレムを正面に見据え、ゼータは武器を構え直す。
「邪なる力を罰し賜え、その動き静め賜え」
地に目映い波が生じ、ゴーレムがその動きを鈍らせる。その身を覆っていた淀んだ力は、波に洗われるかの如く弱まっていた。
「せやあああっ!」
その機を見逃さず、ゴーレムの首元まで迫ったアルファが大剣を振るう。人体に似た急所は力強い一閃に断ち切られる。動きを止めた大きな的に、デルタは再び爆薬を投擲した。
土塊のまとわりついた胴体が吹き飛ぶ、その直前に飛び降りたアルファは受け身を取って衝撃を殺すと相棒を振り返った。
「あっぶないでしょばかー!」
「ごめんって」
へらりとデルタは笑い、宙に舞った石像の首を見上げた。
「……罰当たり、だよなぁ」
飛んでくる瓦礫を捌いていたゼータが渋い顔で呟き、素早く振り向いてタウの体を正面から抱きかかえる。
「ぜっ、ゼータ?」
「黙ってろ」
集中のため目を閉じていたタウは突然のことに狼狽えた。それを一喝して、ゼータは大の男ひとりを抱えているにも関わらず機敏な動きで走る。ふたりが立っていた場所に落下した頭は歪な外装ごとバラバラに砕け、沈黙した。
「……止まった、な」
「みたいだよ」
歩み寄るデルタがゼータに賛同する、その背中にアルファの拳がどす、とめり込んだ。
「ぃだっ、……アルファ何するのさ」
むくれた顔のアルファはそっぽを向き、大剣を背負い直した。
「おかえし」
「君、自分が馬鹿力だって自覚してよね……」
背中を擦るデルタたちを呆れた目で見ていたゼータは、ついついと袖を引かれて振り返った。
「んだよ」
「……いえ……その……」
俯くタウが再度ゼータの腕に触れ、そうしてようやくゼータは意味を悟った。急に腕を離されて、よろめきつつも何とか自分の足で立ったタウが照れた顔をする。
「ありがとうございますゼータ」
「…………おう」
目線を彷徨わせたゼータはアルファと目が合って、少女の浮かべる呆れ果てた表情に顔をしかめる。
「何か言いたいことでもあんのか」
「べっつにー。勝手にいちゃついてれば」
「あぁ!?」
喧嘩腰のゼータを無視してアルファはたん、と一足踏み切り駆け出した。当然のように併走するデルタと、一拍遅れて着いてくるゼータとタウが揃って立ったのは例の隠し通路の前。
「うわどうなってるのかなこれ」
確かに開いていた筈の場所には、壁の彫刻に埋もれた溝しか見受けられない。新たに生み出された光の泡が照らす壁面に目を凝らしていたデルタの肩を叩き、
「代わってください」
こつん、と短杖を溝に合わせタウが言葉を紡ぐ。不可視の手が岩戸を引きずり、その先に通路が口を開けた。
「行くよっ!」
「指図すんな」
先頭切って滑り込んだアルファの背中に噛みつくように言い、ゼータはタウの腕を取った。
「デルタ」
「悪いね」
デルタが相棒を追い、タウに先行させてゼータは買って出た殿を務める。狭い通路に四人分の足音が響く時間はそう長くはなかった。
「ひめさまっ!」
その空間に飛び込んで、開口一番アルファが呼ぶ。その声が反響した小部屋にはしかし、既にかの人影は存在していなかった。
「いかにも隠し部屋、って感じだけど」
四人が入れば窮屈に感じる、ごく小さな部屋であった。周囲を見回してから部屋の中央へ目線を戻したデルタは、唯一の設備であろう磨かれた石製の台座を捉える。その上にあったものを見つけて、
「……これは……!」
そう呻いたのはタウだった。最後に足を踏み入れたゼータもまた、同じ物を映して目を見開く。
そこに飛び散っていたのは、砕けた欠片だった。澄んだ色をしていたのだろう輝石の欠片は、辺りに浮かぶ光を反射し台座に崩れていた。
短く舌を打ち、ゼータはアルファの肩を掴む。
「あいつの仕業か!」
「そんなわけっ……!」
否定を紡ごうとした唇は、途中で強張り固まった。なおも言いつのろうとしたゼータを押し止めて、
「……話してくださいますね?」
タウがデルタへ静かに問いかければ、頷きが返された。
「ことはオレたちの想像以上みたいだし、ちゃんと説明するよ」
「デルタ……」
アルファの大きな瞳には未だ躊躇いが揺れる。それでも首を横に振って、
「このふたりなら、ね」
「はっきりしねぇな」
宥めたデルタへゼータが苛立たしげな顔をすれば、向けられたのはいつになく真剣な表情だった。
「あのひとが神殿や、ここに来たってことはきっと何か関係がある。だから」
そうして騎士の少年は、神官と護衛官へと頼み事を口にする。
「オレたちの主を、王族第五子第二王女ユプシロン様を助ける。そのために、力を貸してほしい」
それが、新たなものではなく続いていたことなのだと、未だ彼らは知らないままに。
続
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