その四――Be asimilar non

「楽しみですね」

 にこにこと笑うタウの隣で、ゼータは歩みを止めないまま大きく伸びをした。

「ま、たまにゃいいよな」

 太陽が空の頂点から少し傾き出した、時刻で言うなら十四時前頃。半月以上人里から離れていたふたりは、久々に立ち寄った街の大通りを歩いていた。

砕けた輝石のカケラを追う旅路もひと段落し、神殿へ帰ることを目的としたその道中。心許なくなった食料やその他の物資の調達、そして休息の為に数日の滞在を予定していた。

「よく晴れてんなぁ」

 外套も大きなバックパックも宿に置いてきたゼータは、簡素なシャツに薄手のジャケットを羽織っていた。最低限の荷物は小さなウエストポーチに収まっている。髪型はいつも通りの一つ結びだが、ヘアバンドを外しているために新芽色の前髪を鬱陶しそうに掻き上げていた。

「旅してるとなかなか思い切った洗い物が出来ないですから、助かりますね」

 朝一番でコートを洗って干していたタウは、襟付きの白いシャツにスラックスだけという格好だった。本人としては軽装だが、ゼータにはそれでも堅苦しいと言われていた。肩に触れる長さの金髪はきっちりと纏められ、指先でフレームを持ち上げた眼鏡も丁寧に手入れがされている。

「んで、その店ってのはそろそろだよな」

「その筈ですね」

 最低限旅に耐えうる強度だけを備えたブーツと、金属で補強された分厚い革製の重たいロングブーツが揃って石畳の道を行く。必要な買い出しを終えて一旦宿に戻ったふたりは、従業員の娘から聞いた喫茶店を目指していた。

「ケーキがとっても美味しくて、中でもフルーツタルトが絶品なんだそうですよ」

 タウが反芻した内容に、ゼータは緩みかけた口元をどうにか取り繕っていた。逸らしていた緑色の瞳が、通りの向こうを見て瞬く。

「あれじゃねえのか?」

 指した先には、鮮やかな青い屋根のこぢんまりとした建物があった。脇にある看板には、教えられた店名が流れるような筆跡で記してある。

「ああ、そうですね」

 頷いたタウの前に立って、ゼータが扉の取っ手を掴む。そして開けようとしたまさにその時、

「……あ」

 タウが呟き、肩から提げた鞄を覗いた。ついでぱたぱたとスラックスのポケットを叩き、眉を下げる。

「なんだよ」

 振り返ったゼータに向かい、申し訳なさそうな顔でタウは言った。

「すみません、さっき財布も置いてきちゃったみたいです」

「まじか」

 ふたりの旅費の内、大部分は神殿の仕事として経費扱いになっている。具体的にはふたりに命じた神官長が発行した手形を見せることで、宿や一部の商店で割引きを受けられる形だ。また路銀自体も道中の神殿に立ち寄って手形を見せることで少額得られ、足りなければ仕事を手伝うことで稼いでいた。

 そうして得た路銀のうち、ほとんどはタウが管理していた。ゼータにも自由に使う分を渡すのが常だが、運悪く使い果たしている。

「しょうがねえな、取りに帰るか」

 一度扉から手を離したゼータが腕を組むと、タウは緩く首を横に振った。

「いえ、僕が行ってきますからゼータは先に入っててください」

 言って身を翻した金の尻尾髪が遠ざかるのを、呼び止めようとした手を下ろしてゼータは見送った。走って取りに行くのなら間違いなくゼータの方が速いが、それが分かっていても任せるのは悪いと考えたのだろう。そう悟ってゼータは深く息を吐き、今度こそドアを押し開けた。



 チリン、とベルが高く澄んだ音を立て、店員の声が追って客を迎える。後からひとり来る事を伝えたゼータは、窓際に置かれた二人掛けのテーブルに通された。メニューをざっと見て紅茶を注文し、椅子に寄りかかって去って行く店員の背を目で追いかける。

 見るともなしに眺めた店内には、ゼータの他には接客をする店員がひとりとカウンター席に腰掛ける礼服姿の男がひとりいるだけだった。興味を持つこともなく正面に向き直ると、細かな傷の残る手で革表紙のメニューを開く。

 中には色鉛筆の柔らかなタッチで描かれたケーキのイラストが並んでいた。一ページ目には目玉商品だろうフルーツタルト、その後にはひとつのページにふたつずつ、白桃のムースやレモンのレアチーズ、バナナシフォンなどが並んでいる。

 ゼータの目がショートケーキから苺のミルクレープへ彷徨う、そんな視界に影が落ちる。

「……ん?」

 顔を上げた先には、しかし予想した神官の姿は無かった。代わりに立っていたのは、先程までカウンター席に座っていたはずの礼服の男だった。

「ご機嫌よう、お嬢さん」

 中肉中背、特に目立ったところのない男は、垂れ目を細めて礼をする。身なりは整っており、それなりに金持ちなのだろうとゼータは推測した。

 自分のコーヒーカップをテーブルに置いた男を、ゼータが怪訝な顔で睨んだ。鋭い目つきに男は少し怯んだが、めげずに微笑むと対面の椅子を引く。

「お暇なようですから、ご一緒しませんか?」

「失せろ」

 どこか粘ついた印象のある声での誘いは一蹴されたが、男に立ち上がる様子は無かった。

「つれない方ですね」

「あー悪かったな」

 ゼータは苛立った様子で足を組んだ。自分が立ち去るのも負けた気がして嫌らしく、顔を窓の方へ逸らすのみだった。

「いえいえ。おひとりですか」

「……待ち合わせだよ」

 だから邪魔だ、というゼータの意思は口にされなかった為伝わらず、男はコーヒーを一口啜って流し目を送る。

「貴女のような方を待たせるとは失礼な方ですね。退屈なお時間、どうか僕に貰えませんか?」

 話の通じない相手だと気づいたゼータは、面倒だという気持ちを隠さずため息を吐いた。



「それで、毎日違う服が着たいって言うから店ひとつ分買ってやったんですよ。その前の女性には確か、部屋をひとつ融通してやりましたね」

 続けられる話は、ゼータの耳にはひとつも入っていなかった。黙って紅茶の入ったカップを傾け、空になってからは脚を組んでイヤリングを弄びつつ窓の外を眺めている。

 相手が話を聞いていないことにようやく気がついたのだろう、男はようやく言葉を切るとゼータを見た。

 話に出した女性達から貰ったような反応を期待していた男に、ゼータは呆れた表情を向ける。

「で、それが?」

 低く不機嫌な返事に、男はぽかんと間抜けな顔をした。未知のリアクションは、しかし男には興味深いものとして映ったらしい。

「……貴女は、他の女性とは違うんですね」

 にこやかにそう言った男へ、ゼータは胡散臭いと思っているのがありありと分かる顔をした。男が延々続けていた自慢話は、金遣いの荒さを心配したくなるようなものでしかなかった。ゼータからしてみれば、心配する義理もないといったところだろうが。

「そういえば、誰か待ってるんでしたっけ。随分遅いようですが」

 興味を引けていないのは分かったらしい男が、話題の転換を図った。黙りこくっていたゼータが眉を上げたのを見逃さず、掴んだ関心の糸端に縋る。

「ご友人、ですか。それとも……?」

 下世話な好奇心があからさまに現れた、その表情を据わった目で捉えてゼータは唸る。

「…………ただの、同僚みたいなもんだよ」

 そこに、意図せず含まれた意味に気づかないのか、あるいは些末なことと判断したのか。

「でしたら、そんな方放っておきましょう」

 知らない相手を蔑ろにして、男はおもむろに手を伸ばした。苛立たしげにテーブルを叩いていたゼータの指を押さえ、そのまま手を掬おうとして。

「それよりこれから僕と食事でも」

 ぱし、と小さく乾いた音がした。振り払った手をひらひらと振り、ゼータは再び窓の外に目をやって薄く笑った。甲高いドアベルがけたたましく鳴り響き、つかつかと足音が近寄ってくる。

「いい加減、面白くもねえ話もうんざりだ。……お前のせいだからな」

「……それは、すみませんでした」

 息を切らしたまま、若い男の声が応えた。礼服姿の男が振り向いた先には、走ったまま店に飛び込んできたらしい金髪の男が呼吸を整えている。

「で、貴方、誰ですか」

 ズレた眼鏡の向こうの瞳は、優しい色の中に険しい光を秘めていた。決して頑強ではない、どちらかといえば頼りないといった印象の相手が不機嫌そうに言い捨てたことが、男のプライドに障った。

「お前こそ、僕に向かってその言い草は失礼ですよ!」

 椅子を乱暴に蹴飛ばして立ち上がった、激昂した男に対してタウはひたすら冷静だった。

「そこの彼女は、僕と待ち合わせていたので。知らない方が居れば、聞くのは当然では」

「うるさいですね!」

 淡々とした言葉を一言で叩き切って、男はタウに掴みかかる。その襟元を、

「おい」

「ぐえっ」

 立ち上がっていたゼータが後ろから引っ張った。間抜けな声を出した男は、怒りで真っ赤になった顔で振り返る。

「貴女も、僕をバカにして……」

「バカにするも何も、お前がひとりで勝手に騒いでるだけだろが」

 肩を竦めたゼータの手を、腕を振り回すように男は振り解く。その勢いのまま店の入り口に向かおうとしたところに、

「お忘れ物ですよ」

 タウはテーブルに乗っていた男の分の伝票を押しつけた。もぎ取って今度こそ店の出口に向かう、その騒々しさが収まってようやくタウは深く息を吐く。

「……本当に、すみませんでした」

「別に」

 対して短く返したゼータは、タウに向かって薄く柔らかく笑った。

「ギリギリ間に合ったから、よかったことにしとく」

 言われて、タウは慌てた様子でゼータの手を取った。

「あの、……手、大丈夫ですか?」

「あんなん大したことねえよ」

 そうして席に着こうとしたゼータを、しかしタウは再度引き留める。訝しむ視線に微笑み返して、タウは近寄って来た店員に声を掛けた。

「騒いですみませんでした」

「いえ、そちらの方は……」

 おずおずと訊いてくる少女と呼べそうな相手の様子に、ゼータもタウも先程のようなことが少なくないのだと悟る。

「あー、気にすんな」

 軽い調子の言葉に、店員はほっとした顔をした。

「それで、えっと。そっちの席に変えてもらっていいですか」

 タウが指したのは、店の奥側のカウンター席だった。快諾されて移動し、ふたり並んで腰掛けたところでゼータがタウの顔を覗き込む。

「なんでわざわざ」

「そうですねえ」

 メニューに手を伸ばし、ふたり分の紅茶を頼んでからタウはおどけて笑った。

「まあ、傍に居た方が安心でしょう?」

「お前が頼りになるかよ」

 ゼータが返した口調もまた似たようなもので、顔を見合わせて苦笑する。

「ひどいじゃないですか」

「うるせ。いいから頼もうぜ、俺ショートケーキとタルトな」

 既に決めていた注文を口にして、タウが慌ててメニューを捲るのを眺めるゼータ。その合間に運ばれてきた紅茶を一口啜れば、先程より美味しいような気がして彼女は知らず目を細めた。


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