第2話 仔犬を追いかけて
暗い森のなかで、仔犬を追いかける。
「わふぅ、わふっ」
くそ、けもの道をちょろちょろと……!
「ぜはっ、ぜはっ」
部屋にこもりきりで、運動不足な肉体には、足場の悪い夜道の走破は想像以上にキツいものがあった。
「ぜはっ、ぜはっ……ぁ、あれ?」
立ちどまり、滝のように流れる汗をぬぐってあたりを見渡してみると、もはやそこに仔犬がちょろついてる気配はなくなっていた。
「……見失った」
最悪だ。
伝説の魔力生命体『精霊』を発見したと思ったのに、その正体に指をかけることすら叶わず、逃げられてしまうなんて。
森のなかで死ぬのなら、せめて個人的な興味くらい満たして死にたかったが……。
「それすら、叶わない、か……」
俺は自分へ嘲笑をむけながら、あてもなく森を歩いた。
あの黒い仔犬型の精霊を追いかけたせいで、完全に帰り道はわからなくなった。
こちとら、魔術を失った魔術師。
魔物に見つかれば、あとは死ぬだけだ。
「ん? なにか、音が……これは水の音か?」
耳がキャッチした、ばしゃばしゃ、という不規則かつ自然的でない音。
「やめろっての、フー! あたしが水嫌いなの知ってるのに! ああ、もう、いじわるだあ!」
ん、これは、人の声?
「ヒアラちゃんは、洗濯物をため込んでいた罰を受けなくちゃ、だと思う……。わたしも水をかけたくて、かけてる訳じゃないんだよ……でも、ちょっと楽しい。フッ……」
「絶対、面白がってんじゃん?!」
ーーバシャバシャっ
女の子の声が、この木々の向こうから聞こえる。
こんな夜の森に、いったい誰が?
俺は枝木をかき分けて、顔をだしてみた。
「っ、凄い……」
草木の向こう側には、焚き火がたかれており、その温かなあかりの近くの水辺では、淡くひかる不思議な光の玉が浮いていた。
幻想的な光景に心を奪われていると、ふと、もっと心を奪ってくるものを見つけてしまう。
「あ」
「え?」
水辺……正確には、泉ほどのちいさなその水たまりの中の人影。
しなやかな肢体をあらわにする、
赤い瞳が、パチクリ、パチクリ。
状況が掴めてないのは、お互い様らしい。
俺は、彼女のつつましい胸部を見てしまった申し訳なさに、いたたまれなくなり……思わず目をそらした。
ついでに、何か嫌な予感がしたので、来た道を引きかえして逃げることにした。
すると、俺の背後から「ど変態だぁ?!」と心外すぎる叫び声が聞こえてきた。
「にゃごーんっ!」
「っ、変な猫が追いかけて来てるだと?!」
走って逃げる俺を、追跡してくるものがいた。
それは、ちいさな
耳先と、尻尾の先に炎がともったおかしな姿をしていて、体毛を、たぬきの尻尾みたいにぶわっと逆立てて追ってきている。
杖のない現状では、あんな仔猫にすら八つ裂きにされかねない。
俺は必死に走った。
しかし、
「ぜはぁ、ぜはぁ!」
「にゃあご!」
「は、速い! いや、俺が遅すぎるのか!」
とうとう俺は燃える仔猫に、背中にひっつかれてしまった。
「ぬっ!?」
ビヂィっ、という熱が、黒い仔犬に出会ったときと同じように俺の『魔感覚』にほとばしった。
まさかこの猫も精霊だというのか?
この精霊が、さっきの紅髪の少女の指示で俺を捕らえに来てると、したらもしかしてあの少女の正体はーー。
「にゃごんっ!」
「痛ぃ、痛い、やめろ、爪を立てるな!」
チクチクする痛みと、本能的に炎がうつってきそうな恐怖から、俺は体をひねって思いきり振りまわした。
結果。
「にゃごーん?!」
「あ」
仔猫は思いきり吹っ飛び、べたーんっ、と木にぶつかって大人しくなってしまった。
自分を襲って来ていた敵なので、これで安全確保できたわけだが……。
「うっ、猫相手にムキになりすぎた……」
俺は気まずくなり、耳先と尻尾の先が燃える、あやしげな精霊猫を拾いあげ、大事に抱えた。
幸い、死んではいない。
ただ、炎が小さくなってる気がする。
「精霊の治癒の仕方なんて……でも、あの女の子ならわかるかもしれないな」
俺は泉に戻ることにした。
さっきの少女のペットなら、こんな事で殺してしまっては可哀想だ。
あの少女も、もうひとりいた子も、話せばきっとわかってくれるだろう。
「にゃご……」
「よしよし、今、あの子のところに連れて行ってやるからな」
「しゅるるぅ……」
「っ、あれは!」
泉に戻ろうとすると、草木の影で黒い仔犬が倒れていることに気がついた。
俺が追ってた精霊だ。
どこでヘマしたのか、足を怪我して、こっちもまた気を失っているようだった。
そんな無防備な姿さらしてるところへ、どっからどう見ても、食べる気満々な腹を空かせたヘビが、のろりと近づいていっている。
俺は″やるしかない″と思い、仔猫を片手に抱きながら、もう片方の手で魔力を操作する。
通常、杖がなければ魔術など使えるわけがない。
ただ″術″になる手前の、不完全な魔力の発散くらいなら、『
ヘビと仔犬のあいだにある土を、すこしだけモコっと隆起させて、ヘビを驚かせる。
「よし」
見事、撃退できそうだ。
ふふ、流石にただのヘビ相手に手こずる『黄昏』ではないということだよ、ふふん。
「しゃあぉあ」
「ん?」
なんだろ、嫌な予感がする。
あのヘビ、こっちに近づいて来て……。
「あ」
ーーガブっ
とぐろを巻いて飛びかかってくる、蛇の速さに目を奪われた、次の瞬間。
俺の腕にはヘビが、がっつり噛みついていた。
「?! くそ、やばい!」」
「しゃああ?!」
俺は大声で叫び、腕をぶんぶん振りまわす。
すると、ヘビはボトンっと重そうな音とともに落下して、驚いてどこかへ行ってしまった。
汗だくになりながら、俺は震える足で黒い仔犬を抱いてもちあげる。
まずい、まずい。
疲労のせいで頭が働かなかった。
攻撃したら、反撃してくる。
当たり前過ぎる自然の摂理だろうに。
「はあ、はあ、まずい」
冷静に対処しろ。
俺はヘビに噛まれた。
毒はあるのか?
遅効性? 即効性?
「獲物を倒す毒なら、即効性……」
俺は死ぬのか?
こんな森の中で?
死を実感すると死にたくなくなってきた。
ぁ、まず、
「即効性で正解……ああ、フラフラして来た……」
俺は立っているのが辛くなり、木にもたれかかる。
毒の効き目を遅らせるため、ネクタイを外して、噛まれた腕の上腕をキツく締める。
さらに、適当な石を拾い脇に挟みこんだ。
圧迫して、血の流れをゆるやかにする。
「ぁぁ、くそ、知識だけじゃ、どうにも……」
俺の苦労むなしく、すぐに地面に倒れてしまう。俺は仔猫と仔犬を潰さぬように仰向けに体を寝かせた。
「わふぅ!」
「にゃご!」
「ぁ、ぁ、お前たちは、無事か……」
全身にひろがっていく痺れが、確実に自分の命をとめようとしてる事をさとり、それが避けられない運命だと知る。
ここが、俺の最期か……。
存外にあっけないものだったな……。
いや、当然だな。
死のうと思ってここへ来たのだしな。
俺はだんだんと、暗くなっていく視界で肉球を押しつけて、起こそうとしてくる可愛い奴らを見つめていた。
⌛︎⌛︎⌛︎
目が覚めたとき、俺は知らない天井を見上げていた。
温かな、ろうそくの光、
視界の端っこに、赤、緑、青、茶色のステンドグラスのカップが置いてあり、そのなかにろうそくが灯されている。
「俺は……」
意識がはっきりしてきた。
どうやら、ベッドに寝かされてるらしい。
おや、ひょっとして、まだ死んでないか?
「っ」
首を傾けると、人を見つけた。
彼女は抱き枕のように、これまた緑色の皮膚をした″ふとったヘビ″のような生物を、大事そうに、そして温かそうに抱えていた。
「すやぁ、すやぁ……は、眠ってた……」
少女はまん丸な緑瞳を開けて、眠たそうな目をこする。
必然、少女と目があった。
「……」
「……こんにちは」
とりあえず、挨拶する。
「喋った……」
「いや、喋るよ? 人間だからね?」
俺のこと何だと思ってたんだ。
「そっかぁ、やっぱりちゃんとした人間なんだ。よかったよかった、ひと安心だよー」
少女はホッと胸を撫でおろす。
「俺を助けてくれたのは、君?」
「ううん、ヒアラちゃんがここに運んできて、わたしが毒抜きしてあげた……あ、だとしたら、助けたのはわたし、かなぁ? えへへ」
少女は頬を気恥ずかしげに染めて、照れると眠たそうな目で俺の顔をじっと見てくる。
そして、何か確信した表情で「合格」とつぶやくと、抱きかかえていた緑色のふとったヘビをイスに置いて、かわりに俺の足元らへんから、黒い仔犬をもちあげた。
どうやら、あの犬も保護されてたようだ。
というかずっと、足元で寝てたのか。
「はい、この子が、今日からあなたの精霊……です。仲良くして、思いきり可愛がって、大事にしてあげること。約束してください。いいですか……?」
少女は眠たげな目を、精一杯にキリッとさせて真面目な顔と口調で言ってくる。
「ぇ……は、はい」
そうして、仔犬を受け取って抱きかかえると、少女は破顔して、満足げに微笑んだ。
「まだまだ他人の″変態″さん。これからよろしくね、フッ……」
「え? え? 何がよろしくなんだ?」
少女はむふーっと半眼であやしげに笑い、イスのうえに乗っけていた、ふとったヘビを抱っこすると、部屋を出ていってしまった。
「………………え?」
「わふぅー、わふ!」
俺は仔犬を抱いたまま、困惑するしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます