第2回 言語と性格について

 前回、感情の仕組みについて言語と記憶から(妄想を)読み解きました。ここからは言語となになにというように、世の中にある色んなものを言語という観点から見ていきたいと思います。

 そんな第2回のテーマは「性格」についてです。

 それではどうぞお付き合いください。


 みなさんはご自身をどのような性格の持ち主だとお考えでしょうか。

 明るい性格、根暗な性格、怒りっぽい性格、色々ありますね。性格とはその人がどんな人かを表すときに重要になってくる指標です。根暗でぶつぶつと不満を口にする人よりポジティブな人の方が付き合いやすいですし、怒りっぽくてすぐ手をあげる人には近づくのはやめようと思うでしょう。そして、性格とはその人自身の価値観や考え方、行動にまで影響を及ぼす内面の特性です。悲観的な人よりも楽観的な人の方が自己肯定感が高く問題解決がうまくいきやすいという話を聞くほどです。私もネガティブな性格なのでもっと気楽になれたらなと常々思っておりました。

 そんなこんなで性格については考えていた時に、性格はいつから生まれるのだろうと疑問に感じるようになりました。具体的に言うと、根暗な子は生まれた時から根暗だったのか。怒りっぽい子は元から怒りっぽかったのか、と思ったのです。

 みなさんも少し考えてみてください。生まれた瞬間から根暗な子や怒りっぽくてすぐ手を出す子はいるのでしょうか?人生2回目ですか?と思いたくなるようなことは恐らくそうないでしょう。では、その子の性格の特性はどこで生まれ何によって変化するのか。言語という側面から見ていきましょう。(というか無理やりにでもそこに落とし込みます。妄想とはそういうものでしょ?)


 第1回のお話の中で言語は感情に形を、イメージを与えると考えました。それは体内で生成されるホルモンの反応を細分化したことによる副産物です。体内の変化が最初に発生し、それを言語化する。この流れを通して生まれたばかりの赤ん坊は感情を記憶していきます。しかし、成長するにしたがって言語には音のトーンと表情とが組み合わさることでさらに複雑な感情の表現ができることを知ります。そしてその特性を人は性格と呼ぶことを知るのです。

 現代で言えばそれはテレビで放送されるドラマや漫画や本で描かれるキャラクターがその気付きを与えてくれるいい機会でしょう。

 さて、みなさんがこうした媒体のなかで描かれている人物を見た時、その性格はどのようにして生まれたと考えるのが普通でしょうか。その人物の過去が影響していると考えるのが普通でしょうか。ドラマでも漫画や本でもキャラクターの過去を描くことでそのキャラの持つ性格の根源を証明するのは、もはや当たり前のことです。ですが、こうしたフィクションのなかでなら、わざわざキャラの過去を絵が描かなくとも性格を形成することが可能です。それは描きたいキャラの性格に合致した言葉遣いを与えることです。

 そのキャラが普段口にする言葉遣いの癖は、そのキャラが過去が影響していると考えるのが普通なので、むしろ言葉遣いだけでそのキャラの過去を想像させることも十分可能でしょう。ここで一つ、疑問があります。

 言葉遣いでそのキャラの性格があらかた理解できるほどに、言語に性格との関連性が見られるなら、言語にも性格を形成する力があってもおかしくはないでしょうか。

 仮説を述べます。性格とはその人が普段口にする言葉遣いによって形成されるものであり、ならば言葉遣いを変えることでその人の性格そのものも変化させられるのではないでしょうか。


 性格とはまず何でしょうか。はじめにお話したように性格とは内面の特性であり、その影響は価値観、行動、考え方とほぼその人の人生そのものを左右するものです。

 しかし、不思議なもので性格とは一度これと決まるとなかなか変化しないものです。毎日ころころと性格が変化していては、まるで多重人格です。それだけ性格とはある意味不変なものと捉えられていると考えて間違いないでしょう。


 では、性格はいつ生まれるのか。

 それは集団内における事故の確立が必要になる時ではないでしょうか。


 突然ですが、みなさん羊の群れを想像してみてください。

 牧場で吞気に草を食べ、時々メェ~~となくあの羊です。さて、できましたでしょうか。ここで皆さんに彼らのご紹介をしましょう。あそこで草を食べているのがキャロルで、あっちで鳴いているのがスミス、そこでぼんやりしているのがレインとボンビです。あとほかに、アンゴラとリルとローンとティップとザビィがいます。みなさん、どの子がどの名前かちゃんと分かりましたか?

 わかりませんよね。第一そんなことわかる必要あるのでしょうか。だって彼らには見てわかるような違いがないのですから。違いがないならひとまとめにするしかないでしょう。それが一番効率的です。

 しかし、人間にはそれを回避するすべがありました。それは性格の違いによって個々の差異を明確化させることでした。個性、性格とは人間が集団で密集している状況でも自己主張するために生まれたのです。

 そのように考えると皆さんの中に性格が生まれた瞬間として一番有効だと考えられるのは、幼稚園や保育園のような自分と同じくらいの子どもと同じ時間と場所を共有した瞬間ではないでしょうか。目の前に自分と同じような体躯の人間がいれば自ずと自己を埋める何かを欲するものではないでしょうか。自分を忘れないためにも。


 さて、性格が生まれた理由とその瞬間に関する仮説(妄想)を述べたところでさっそく本題に入りましょう。

 そんな性格ですがどうして言語によって形作られると考えられるのか。

 それは言葉はそれを理解する全ての生き物の中に取り込まれ、影響を及ぼすため、つまり普段の会話で使う言葉は相手に向けて発信しているようで実は自分自身に向けて発信していると言っても過言ではないということです。

 (ここからさらに妄想が進みます。ご容赦ください)

 

 言葉は誰に向けて発せられるのか。

 それは伝えるべき相手に向けてでしょう。しかし、それは何も自分以外の他者である必要などないのです。みなさんも一度はしたことがあるでしょう?「大丈夫、自分はやれる」と自分に言い聞かせることくらい。

 そうです。言葉は誰かに届けるためにあります。それは自分であってもおかしくはありません。そして言葉を受け取る相手はその言葉を理解し影響を受けます。なら、自分で発した言葉を受けた自分自身にも影響があってもおかしくはありません。

 そして、そんなあなたの発する言葉を一番聞いているのは誰でしょうか。それはあなた自身ほかなりません。あなたが誰と会話をしていても、一人で想像を膨らませていても、感情的に言葉を口にしていても、その全てを一人で受け止めているのはあなた自身なのです。

 いかがでしょうか。あなたがこれまでの人生を通して聞かせてきた言葉はどんな言葉でしたか?

 もしかしたら、あなたの言葉があなたの性格を、より正確にいえばあなたの中のあなた自身の性格を捻じ曲げてしまっていたかもしれませんね。


 これが私が言語によって性格は形作られると考える(妄想する)理由となります。なんの科学的な立証もない、考え方ですが私は結構気に入っています。最後にこのように考えた時の「認知行動療法」の効果と性格を変化させる行動について語りたいと思います。


 みなさんは「認知行動療法」という精神治療法をご存知でしょうか?

 私も人づてに聞いた話なのであまり偉そうなことは言えないのですが、簡単に説明しますと、物事の捉え方や考え方(認知)を変えることでその行動も変えていこうという治療法になります。

 私にその療法を教えてくれた方が少し実演をしてくれたのですが、正直私にはその効果のほどは全く理解できませんでした。

 この療法は考え方の癖をいい方向へと修正していくのですが、その方は私が思い付いた否定的な言葉を逆の肯定的な言葉に置き換えるというやり方を見せてくれました。結果はというと、ポンポン出てくる私の(ある意味)悪口にだんだんと返す言葉を失いお互い気まずくなってしまいました。

 ですが、敢えてここはその療法を受けてみての感想を述べさせてもらうと、正直言葉を言い換えたところで私の中には認知の変化よりも、じゃあこの言葉はどうだ、という意地悪な気持ちしか芽生えてはきませんでした。本当にあの時はすいませんでした。

 認知というのはある意味、言葉の意味に縛られた状態です。私はポジティブだ、ネガティブだという認識自体が言葉の意味によって逆定義されてはいないでしょうか。そうした言葉の意味に従って世界の見方そのものが変化する、それが認知です。そんな意味に凝り固まった頭をほぐすのに逆の意味の言葉を与えるというのは本当に効果的な方法なのでしょうか。ここまで確立しているという事実がその効果を証明してくれているのですが、第一歩としてもっと違う方法があるのではないかと私は提案したいと思います。

 それは普段の会話で使用する言葉を変えることで性格にも変化を与えるという方法です。

 先に述べた(妄想の)ように、自分自身に聞かせる言葉がその性格自体に影響を及ぼす可能性があるとしたら、普段の会話での言葉遣いや声のトーンを変えることで気持ちに変化をもたらすことができるのではないかと考えました。

 認知→行動ではなく、行動→認知という流れですね。

 

 では、具体的にはどのような変化をすればいいのか。イメチェンと称して髪を染めて派手な服を着て、うぇ~~いなんて口にするのも悪くはないですがそれだと精神的に疲れてしまいます。なにもそこまでする必要はないのです。自分に与えるべきなのは言葉だけでいいんです。では、どこでどんな言葉を与えるのか。

 それは挨拶です。

 普段の生活の中で、積極的に挨拶をしましょう。明るい声でマスクをしていても相手に届くくらいはっきりと口にするといいでしょう。

 でも、挨拶が返ってこないと思うと不安、と思われるかもしれません。それで構いません。これは誰かに向けてする挨拶ではなく、あなた自身のためにする挨拶なのですから。

 想像してみてください。気持ちのいい朝に聞く挨拶が、暗くどんよりとした「あ、おはようござい・・・ます・・」というものだったら気分はだだ下がりです。どうせなら好きな子に満面の笑みで「おはよう!」って手を振られてみたくはないですか?そのくらいのほうが気持ちいいものです。

 挨拶はマナーとしての役割もありますが、こうした精神への影響力を考えるとあなたを変える最高の道具になるかもしれないのです。

 あなたが誰かに明るく爽やかな声で挨拶をするたび、あなたの頭の中にはその声の雰囲気と挨拶をする人物のイメージが生成されます。そのイメージは他の誰でもない、あなた自身を客観視したイメージです。そんなあなたはどの様に映るでしょう。決して悪い印象は抱かないと思います。明るく挨拶をするあなたはとても素敵ですよ。

 

 会話が苦手という人もまずは挨拶から意識してみてはいかがでしょうか。会話とは言葉の意味だけで成り立つものではありません。声のトーン、表情、声量なども必要になってきます。それらの特訓にいいのが挨拶です。ただ一言「おはようございます」と言うだけです。ただし、その一言に先ほどの三つの要素を意識してみてください。あなたの中に客観視した自分のイメージとともに聞き取りやすい話し方が段々と身についてくるはずです。(決めつけは良くないですね)

 そうして行動から認知を変えていきましょう。少しハードルが下がったら今度は認知から行動を変えるのもいいです。認知は行動を司り、行動は人生を司る。そして、言葉は認知を司るのですから。

 あなたが自分を変えたいと思っているのなら、その言葉を意識してみてはいかがでしょうか。言葉はあなたの内面を形作る細胞の働きをします。あなたが澄んだ綺麗な言葉を与えれば、細胞も元気に育ちます。逆に濁った言葉を与えると成長はおろか綺麗な花を咲かせることもなくなってしまうかもしれません。

 自分に取り込ませるように、染み込ませるように言葉を使いましょう。言葉はあなたを成長させる最高の栄養になるのです。




 今回のお話はここまでにしたいと思います。

 私も最近挨拶を意識して少しでも根暗な性格を変えられたらなと思って生きております。果たして言葉の力に魅入られた男の末路とは

 次回があればまたお会いしましょう。それでは

 

 

 

 


 


 

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