第3回 言語と集団心理について

 最近、集団暴行による痛ましい事件が起きました。事件を起こした人たちはそんな事件を起こすつもりはなかったと発言していて、ならばその当時のあなたは一体何を思って行動していたのか疑問でなりません。

 こういった事件が起きるたびに私が思うことは、集団心理の恐ろしさです。

 人間は社会的な生き物というように集団を形成して生活しています。それは人類がまだ弱者だった頃に、巨大な獲物を捕獲し生き長らえるために編み出した生存戦略です。次第に人間の生活範囲が広がるにつれて、人は大きな社会の中に小さないくつもの集団を形成してこの仕組みを成り立たせてきました。

 それに従って、集団から集団もしくは、集団から個人への攻撃的な行動も生まれるようになりました。戦争やいじめなどがそうでしょうか。

 私は普段から一人で行動することが多く、さらに言うと被害妄想があるタイプなので街中で若い集団を見ると足がすくんでしまいます。若い方をディスるつもりはないのですが、私のようなものからしたら大声あげて広がるみなさんは十分脅威に感じるのです。

 ですが、同じような集団でも脅威に感じる場合と感じない場合があります。これはつまり集団心理が働きそうだと感じる場合と働かないと感じる場合とがあるということでしょう。妄想とはいえこれは誰かを傷つける話になりかねないので、今回は集団に関する条件(人数、男女比、年齢、見た目、学歴、社会的地位など)は省いてあくまで集団内での言葉にだけ焦点をおいて考えてみたいと思います。


 集団が形成されるとその集団ない独自の言語体系ができます。仲間内だけの特別なコミュニティが生まれます。それがまず小さな集団を形成することのメリットでしょう。その特別な関係性に人は重きを置きます。逆に一人でいることは特別なコミュニティに所属していないとして、地位を低く見積もります。これがぼっちという概念(言葉自体は仏教に由来すると聞いたことがありますがここでは言葉のイメージのことです)を生み出し、一人でいる人を可哀想と感じる価値観が生まれました。

 (早急にその価値観を修正するべきだと私は思います。早急に)

 さて、ではその言語体系はどのような影響をあなたに与えるのでしょうか。

 いわばその集団内だけで通じる言葉、コミュニティ以外の人からすれば外国語のようなもの。あなたはその言葉を使うとき、果たして普段と何ら変わらない思考や性格を有しているのでしょうか?ここに集団心理を解き明かす鍵があると考えます。

 

 性格が言語によって変化する。これは前回の第2回で展開したお話です。それを前提として考えてみます。

 あなたはとある同年代の集団に属しています。


 「その集団内で使われる言葉はどのようにして生まれましたか?」

 集団内に明確な力関係が存在する場合、多くはその強者によって作られると考えられます。逆に力関係を必要としない場合には、互いに言葉を積み重ねていくことでコミュニティを発展させていきます。


 「集団内での声量はどのくらいの大きさですか?」 

 会話とは言葉の意味だけで成り立つものではありません。声のトーンや声量、表情が無くてはなりません。ここで声量に焦点を当てます。声の大きさは主張の強さであり、体の中で興奮物質を生成する要因にもなります。

 その集団内の声量は比較的大きいですか?あなたを含めメンバーの多くが互いに主張し、共感し、感情を露にするとき、大きな声を出しますか?


 「あなたはその集団と行動を共にする時、感情に身を任せることがありますか?」

 感情は人の内側に興奮をもたらします。喜びに満ち溢れ気分が高まった時、人は更なる興奮を求めるようになります。幸福に限界など与えないことこそが幸せへの近道です。

 あなたは集団内での言動を受けて、興奮に身を任せて同調することがありますか?


 「集団内において一人の勢いに同調して共に行動を起こすことはありますか?」

 集団内には大きな流れがあります。それは社会において労働がこの仕組みを回すために必要であるという認識のように。皆がみな好き勝手に行動するのでは、集団としての機能を果たしません。だからこそ、同調が必要になります。ただし、自分の意思を無視して行動していては同調ではなく流されているだけということになります。

 あなたは自分の意志ではない流れに過度に同調することはありますか?


 いくつか集団の特徴についての質問を考えてみました。これに当てはまるからといってあなたの集団が暴行のような事件を起こす可能性があるというわけでは勿論ありません。

 注目したいのは、集団内での言葉と声量です。

 言葉が人の価値観に影響を及ぼし、もし誰かを傷つける流れになった時、その流れに対して疑問を抱けなくなってしまったら。

 集団内での円滑なコミュニケーション、主張のために段々と大きくなった声の大きさが他人やほかの集団を批判するために使われてしまったら。

 同調という言葉の塗り重ねによって段々と後には引けない雰囲気になってしまったら。


 集団で起こす言動に身をゆだねてしまうことが幸せだと信じて疑わなくなってしまったら、あなたは気付けるのでしょうか。自分の乗った船が幸せとは真逆の方向へと向かっているかもしれないことに。


 集団を形成することはいけないことではありません。複数人でしかできないことや複数人だからこそできること、そんな色んなことを共に楽しみ、共感し、なにかを成し遂げるというのはとても素晴らしい行為です。

 しかし、そんな未来を言葉と感情に踊らされて潰してしまったり、誰かを踏みにじる行為に手を伸ばしてしまう、そんなことにはならないでほしいと願っております。


 以上、言語と集団心理のお話でした。

 今回は結構短くまとまりました。やっぱりお腹空いてる時って頭冴えるのでしょうか。あまり脱線せずにスパスパと結論へと至れました。ということで私はご飯にします。お疲れ様でした。

 

 

 

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