第1回 言語と感情について
さてさて第1回目に選びました内容は言語と感情についてです。
これは私が投稿した『言語治療法』という小説の中でも書いたのですが、今回は理論だけにまとめてみたいと思います。(勝手な妄想です)
簡単に要約すると、感情は言語の登場によって生まれたという理論です。
いきなり何を言っていると思われるとは思いますがどうかお付き合いください。
感情とはいったい何か?まずそこから考えたいと思います。
感情、まずいえるのはそれが人間の内面で起きている現象で、人はそれを感じとることができるということ。そして、人は誰もが同じように感情を有していることでしょうか。
では、本当に人は他人と全く同じ感情を持っているのでしょうか?全くとは言えませんが、ほとんど同じような感情の枠は有しているのではないでしょうか。皆さんの中にある喜怒哀楽のそれぞれのイメージは私の持つイメージとほぼ同じはずです。でなければ私はこの社会の中で他人と円滑なコミュニケーションをすることは難しくなるでしょう。では、どうして人の感情はここまで統一されているのか。今回のテーマはそこにあります。
それでは、感情のはじまりを生まれたばかりの赤ん坊の視点から想像してみましょう。
ここから語るのはあくまで私の想像です。流石に生後何か月の記憶をいまだに持っているわけではありませんので。
あなたは生まれて間もない赤ん坊です。
今日は日当たりのいい窓際で寝っころがっていました。目の前にはくるくると回るおもちゃがカランコロンと音を立ててあなたの気を引いています。
すると、そこに大きな影が二つ現れました。大きな影はあなたの顔を見て、顔を緩めます。喜んでいるようですね。これはあなたの両親です。
あぁ、でもあなたにとっては誰かなんてわかりませんよね。あなたは生まれてからまだ数か月しか経っていない赤ん坊なのです。あなたにはまだ知識も記憶も認識も不十分で、目の前にいるのが誰かなど理解するには早すぎます。
おや?あなたの視線が大きく変化していますよ。空中に浮いたかと思ったら、今度は壁が見える。どおやら両親が椅子に座らせたようです。その証拠に先ほどよりも二人の顔がよく見えるようになりました。
二人はこちらに向かって何かをしています。なんでしょう?目を細めて、口角を上げています。そしてぱちぱちと手を叩きながらなにか高い音を出しています。両親はあなたに笑いかけているようです。するとどうでしょう。あなたもつられて笑い・・・ますでしょうか?誰かもわからない人が目の前で笑いかけてくるのです。なかなかの不審者に映ることでしょう。
しかし、あなたにはまだそれがおかしいことかどうかの基準がないため、疑問には思いません。しかし、どうでしょう。目の前の二人のように口角を上げ、高い声を出しながら手を振り動かすと、体の内側がぽわぽわと暖かくなってきました。それに呼応するように目の前の二人もまたさらに動きを激しくさせます。あなたも負けじとより大きく声を、手を、口角を変化させるとまた体の内側がぽわぽわとします。あなたはこれが気持ちのいいことだと感じました。
これがあなたの内側にはじめて感情が生まれた瞬間です。
そう、あなたは両親の真似をすることで感情を生み出したのです。
これは口角を上げると幸せを感じるホルモンが出ることに起因します。あなたの両親がよく笑いかけてくれる方々で良かったですね。
しかし、皆さんは何も笑顔になった時だけ幸せだと感じるわけではないですよね。嬉しいことや楽しいこと、好きなものを見た時や何かに取り組んで成功を収めた時など、人間の感情はレパートリーが豊富です。それもそのはず、人間には幸せを感じさせるホルモンが三つも存在するのですから。それだけたくさんの幸せの形があるわけです。
果たしてそんな細かな違いを私たちは把握できるものでしょうか?
そこで登場するのが言語です。言語にはイメージを与える力がありそれにより感情には具体的な形が生まれるのです。
さて、ここからは言語の側面からさらに掘り下げていきましょう。
あなたはあれから成長して、自分という自己と母親や父親といった他者との区別がつき、相手の言っている内容を理解できるようになりました。今日はお外に遊びに来ています。転がるボールを追いかけていると自然と口角が上がり体の内側がうずうずとしてきました。あなたはその瞬間幸せだと感じました。
すると、近寄ってきた母親にこう言われました。
「ボールで遊んで“楽しかった”ね」
またある時、あなたはお誕生日にプレゼントをもらいました。あなたは美味しいケーキにプレゼントをもらいとてもドキドキしています。あなたはその瞬間幸せだと感じました。
すると今度は父親がこう言いました。
「お祝いしてもらって”嬉しい”かい?」
お分かりいただけましたでしょうか。
あなたはどちらの場面でも同じく幸せを感じています。しかし、そんなあなたに対して両親はそれぞれ「楽しい」と「嬉しい」という二種類の表現を使い分けました。こうした会話を繰り返すことであなたの中に、こういう時に感じる幸せは「楽しい」、ああいう時に感じる幸せは「嬉しい」という認識の違いが生まれます。
まるで一つの塊をいくつもの穴に通して違う形に変形させているみたいですね。(ところてんをにゅ~~っと押し出しているところとかそんな感じですかね。ところてんはあまり食べたことはありませんが。)
これが言語の力です。曖昧な違いだったものに明確な変化。全く違う感情である、という認識が生まれました。しかし、こうして想像してみるとまるで型にはめ込んで整えているようで気持ち悪くも感じます。私たちはこうして同じ存在へと変化させられていたのかもしれません。
さて、いかがでしょうか。
言語はイメージを与えることによって感情の細分化と修正の役割を果たします。つまり言語を通さなければ今、私たちが感じている感情は元々存在しなかったことになっていたかも知れません。
つまり、言語は人間の内面で起こるホルモンの変化に別々の形を与えます。そうすることで感情という認識を形成するのです。これは最近の若者言葉というものに目を向けてみるとわかりやすいかも知れません。
少し古い言葉になりますが、私が高校生の頃、周りの学友が「ワンチャン!」と口にするようになりました。これは「ワンチャンスあるかも!?」という小さな期待を表す言葉と伺っていますが、どうなのでしょう?私も一応若者だとは思うのですが、よくわからないです。
また最近だと「エモい」や「尊い」という言葉もよく耳にします。どちらも感情が高ぶるという様子を表す言葉ですが、全く違う印象を受けます。
ここであげたどの言葉も既に存在する感情表現と似ているようで全く違う感情として認知されています。内面で起きている反応は同じでも言語による型を変えればそれは違う感情として認識されていくのです。今後さらに新たな感情表現が生まれることもあり得るでしょう。
ここまでは言語と感情の関係について(妄想を)語ってきましたが、せっかくなので記憶との関係性についても(妄想を)語っていきたいと思います。
皆さん、記憶とは一体何のために存在するのか想像したことはありますでしょうか?いや、大丈夫。さすがに皆さんに私のような暇つぶしを期待していたわけではないので。無くて当然です。皆さんちゃんと時間は有効活用しましょう。
さて記憶の役割ですが、人一人の人生の規模で考えれば、その役割は生きるために必要な情報や経験を留めることにあるといえるでしょう。ですがこれを人類の歴史の観点から見た時、違った役割が見えてきます。
ここまでの説明をお読みいただいた方には分かるかもしれません。重要なのは言語によって感情の修正を行うことです。
では、記憶の役割とはなにか。それは感情の形を一定に保ち続けるための言葉、物語です。親からの子、そのまた子へと語り継がれることで今なお私たちは感情を常に有することができているのです。
その証拠として、和歌があげられるでしょう。
和歌とは平安時代に詠まれた歌で、その当時に恋をする人々の心情がつづられています。その和歌を読んで私たちが今も昔も人は恋をしていた、と感慨深げにうなずけるのは記憶によって感情の形が一定に保たれてきたためとは考えられないでしょうか?
実際、時代の変化と共に恋愛の形は大きく変化しています。それでもなお人が恋をして結ばれる様を描いた物語が人気を誇っているというのも、人の内側にある本能、感情を残そうとする機能が働いているからかもしれませんね。
恋愛の先にあるのは生殖、つまりは子孫を残すことですから。
(まったくこれだからこの人は。ロマンが無いですね)
さて、第1回のお話はこのへんできりましょう。
今後もこんな感じで(妄想を)語っていきたいと思います。注意書きにあった通り、私は結構サバサバしたこと言ってロマンチックな雰囲気をぶち壊しにすることもあるのでご容赦ください。あくまでこれは言語から人間を紐解いてみようという暇つぶしなのですから。
それでは、また次回お会いしましょう。
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