3 幽霊は家に帰るか?

 なるほど。そうきたか。とことん付き合ってやろうじゃないの、とわたしは心の中で腕まくりをする。実際には、少し涼しすぎるからやらないけれど。


「ふむ。水原はわたし以外には見えていない、と」

「うん、そう。藤本が初めて。だから人と会話をするのも久々」


 どこからツッコんだものだろう。


「いろいろ言いたいことはあるけども……じゃあ水原がわたしに声をかけてきたのはさ。わたしに限らず、誰かと話したかったから、ってこと?」

「なのかな」

「その割には、幽霊を信じてないってわたしが言ったら、ずいぶんあっさり引き下がったよね? だって、帰ろうとしてたじゃん」

「確かに」まるで他人事。手応えのない奴である。「確かにそうだな。たぶん誰かと話したかったというよりは、目が合って、びっくりして、反射的に声をかけたんだと思う。今まで人と目が合うなんて、考えられなかったから」


 さっきから一連の流れがずっと芝居だとしたら、その辺の理由もディテールを詰めてきそうなものだが。それとも、自分でもよくわからないという感じまで含めて芝居なのか。そこまで考えるには、わたしは水原を知らなさすぎる。


「ふうん。ということは、もう目的を達した感じなんだ」

「そうなるかな。帰っていいよ」


 さっきは早く帰りたいと思っていたが、そう言われるとなんだか癪だ。ラブコメにありがちな「いつもムカつくことばっかり言ってくるあいつに、気が付いたら恋をしてしまっていたわ! でも素直になれない! やっぱりムカつくわ!」みたいなやつではない。水原の見た目は全然好みではないし、今わかっているぶんの中身もやっぱり全然好みではない。

 単純に、踊らされている感じが鼻につくだけである。


「ところで、幽霊である水原はどこに帰るの?」

 なんとなく会話を続けてみる。

「特に帰る場所はないよ」


 水原は表情に乏しく、どこまで本気なのか、ずっと見えない。前髪が長いから、余計にわかりにくいのだ。


「寝たりとか、ご飯食べたりとか、どうしてんの」

「幽霊は寝なくても平気だし、何も食べなくても死なない。あ、もう死んでるのか」

「ジョークを言うときは、ジョークを言う顔をしてほしいね」

「幽霊ジョーク」

 つまらないジョークのせいで、少し会話が途切れる。恋人に求める要素で、沈黙が苦にならない、というのを挙げる人がいるけれど、今度からわたしもそれを追加することにした。


 あ、そういえば。


「ハーモニカ、好きなの?」

「好きと言えば好き、かな。ハーモニカが好きというより、音楽が好き」


 会話のほとんどがのらりくらりと受け流すようなものだった水原が、少し言葉に力を込めたような気がした。

 ただの朴念仁ぼくねんじん じゃないのか。


「なんでハーモニカなの?」

「ピアノも、ギターも弾けるけど、ハーモニカが一番持ち運びやすい」

「ずいぶん省エネな理由だね」

「ピアノはそもそも持ち運べないけど」

「ピアニカならいけるよ。あれって、小学校までしか使わないもの四天王のひとつだよね。あとみっつ、まだ考えてないけど」

「さて」水原がのんびりと立ち上がる。「暗くなる前に帰ったほうがいいよ。じゃ」

 今度は水原から帰ろうとする。いや、帰る場所はないらしいから、適切な表現ではないか。

「どこへ行くの?」

「どこへでも」

 リュックを担いだ水原が、のそのそと去っていく。まあ、これ以上話し続ける理由もないし、また明日を言うような仲でもない。公園を出て行く水原の背中を、わたしはじっと見つめていた。幽霊って、足もあるし、ボールも蹴れるのだ。

 男の子たちは相変わらずサッカーボールを蹴り合っている。

 さっきのお兄ちゃんのこと、本当に見えてなかったの? 訊いてもいいけれど。なんだかそれは野暮な気がした。暗くなる前に帰ったほうがいいよ、とわたしは心の中で言ってみる。




 髪を洗い、身体を洗い、熱い湯船に浸かりながら、今日のできごとを思い返していた。

 変な奴だった。

 部活になかなか顔を出さない人を幽霊部員と呼んだりするが、そういう存在感の濃淡で言うならば水原はなるほど幽霊っぽい。


 幽霊になってから、人と話すのはわたしが初めてだと言っていた。そうだとするならば、水原はいつから幽霊なんだろう――いつ死んだのだろう。


 なぜ死んだのだろう。


 真面目に考え始めている自分に気付いて、馬鹿馬鹿しくなった。

 近頃テレビのCMでよく流れている曲を歌詞もあやふやなままふんふんと歌う。水原はどんな音楽が好きなのだろう。


 浴室の外から母の「ひかる、お風呂、長すぎ!」という声が聞こえ、わたしは「はいはい」と返事をしながら、年季の入った浴槽から立ち上がる。

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