第13話 妖精さんと特別修行♡

「まずはオーソドックスなものを作れるようになってから、アレンジしていきましょう」


 瑠香るかの指導方針はいたって真面目だった。

 僕を困らせるくらいにおふざけ満載な色ボケ妖精のことだから、練習内容が脱線しまくって大変なことになるんじゃないかと少し覚悟していたけれど、そんなことはなかった。


 カルボナーラを作る練習をすると言っても、一回作る度に一人前を作っていたら材料費も食う量も半端ではなくなってしまう。

 だから僕らは基本的な一人前の量と言われている百グラムを、だいたい三分割した量を一回の分量として作るというようにした。


 僕的に助かったのは、ベーシックなカルボナーラの具材で包丁を使うものがパンチェッタ代わりのポークランチョンミートだけということだ。

 おかげで指を切ったりするような事故がなくて済む。

 それでも油をはねさせたりして、キッチン周りを汚してしまったりしたんだけど。


「どうして油が跳ねるのか、ご主人様は知っていますか?」


 跳ねた油をふたりで拭き取りながら、瑠香が問題を出してきた。

 僕は首をひねる。

 さっぱりわからない。


「油が跳ねるのは水分のせいなんです」


「水分のせいって言っても、油はそもそも液体じゃん」


「でも水と油は相性が悪いとよく言いますよね? 高温の油に水を混ぜようとすると、反発して跳ねちゃうんです」


 そういえば火事の時でも、油が原因の火災では普通の消防車じゃなくて、化学車という車両で消火剤を放水するって聞いたことがある。

 あれは水を使うと油が飛び散って火災が余計に広がるからなのか。


「だから水に濡れたトングなどで、油でいためている材料を混ぜようとしたりすると、油が飛び跳ねてしまうんです」


「じゃあパスタソースを乳化する時はどうなんだ? その時も飛び跳ねるはずだよね?」


「ただの水を入れればそうかもしれませんが、乳化する時にフライパンに加えるものはゆで汁ですよね? 塩が入っていたり、麺を茹でたことで小麦が溶け出しています。そういうふうに不純物が混ざると、油は反発せずに馴染もうとするんです」


 そういえば菜摘なつみさんの店『ヴィーノ』のメインキッチンに立った時も、フライパンで作っていたから揚げを混ぜようとして濡れたトングでやった記憶がある。

 あの時、菜摘さんはブチ切れて文句しか言ってこなかったけれど、なぜ油が飛び跳ねたのかについては教えてくれなかった。

 謎が今になってスッキリ解けた気分だ。


「もちろん、油とゆで汁も『水よりは』親和性があるというだけです。ふたつを混ぜれば中の分子が激しく動きますが、飛び跳ねるほどではないんです。その分子の動きも利用して乳化を促進させます」


 なんだか料理と言っても科学的なんだな。

 瑠香からガッツリ教わることになってから、しみじみとそれを感じた。


「さて、ご主人様に問題です。パスタソースの乳化に大事なポイントをふたつ述べてください!」


 いきなり問題を出されてしまった。

 なんだろう?

 いやしかし、いましていた話が無関係とは思えないし……あっ!


「フライパンがあつい状態で乳化する必要があるのか」


「その通りです! 正解したご褒美にわたくしからキスをプレゼントです!」


「いや、いらない。初めては神楽坂さんにって決めてるんだ」


「もうっ! これだから童貞なんですよ?」


「うるさいわっ!」


 などと軽口を挟みつつ、考えを整理する。

 ゆで汁は水と比べて油への親和性が高いため、跳ねることなく混ざりやすい。

 けれど熱されているため分子の動きは活発。

 その活発になった分子の動きも利用して乳化を促進する。

 ということは熱してアツアツになった状態じゃないと、ゆで汁を混ぜても乳化しにくいということだ。


「フライパンがアツアツである必要はわかったけど、もうひとつ乳化に必要なことってなんだ?」


 ふたたび首をかしげる。

 そんな僕に瑠香がヒントをくれた。


わたくしがペペロンチーノを作った時に言ったことです。言われたことを三歩で忘れてしまうご主人様でも、ここまで申し上げれば思い出していただけるはず!」


「人をニワトリみたいに言うなよ!」


 とツッコミを入れつつ、瑠香が初めて来た日のことを思い出す。

 あの時たしか僕は、瑠香が放尿しようとしたことに戸惑ったり、瑠香が自らの手をフライパンに突っ込んだりするのを見て驚いたり……。


「……もしかして、油と同量のゆで汁を混ぜるってのが大事なのか?」


「ピンポンピンポン! 大正解です! 今日は全裸で添い寝してあげます!」


「いや、結構だ」


「はあんっ♡ ご主人様の冷酷なお言葉がわたくしの身に染みますぅ」


「クネクネして悶えるな気持ち悪い」


 真面目に料理を教えてくれてるなあと感心した瞬間にこれだよ。

 僕は大きくため息をついた。

 少しして悶え癖から脱却した瑠香が、また真面目な顔をして口を開いた。


「実は乳化に最適なフライパンの中の状態というものがあります。普通の料理人はこれを何度も繰り返して覚えていくのですが、ご主人様にはそんな時間はありません。けれどこの乳化の工程をクリアできないと、絶妙なとろみのカルボナーラは生まれません」


 パスタ作りの初手にして最大の難問。

 僕の前にその壁が立ちはだかっている。


「これからご主人様にそれを叩き込みます。覚悟はよろしいですね? ご主人様?」


「もちろんだ」


 ここで引き下がるわけにはいかない。

 僕は僕にできる最高のカルボナーラを神楽坂さんに届けたいんだ。

 そのためには厳しい修行だって乗り越えて見せるさ!

 それが神楽坂さんへの証明にもなるのだから。


「教えてくれ瑠香。僕がまずすべきことを」


 まっすぐに瑠香を見つめる。

 彼女は薄く微笑んでこう言った。


「まずはわたくしとエッチして童貞を捨てるところから始めましょう!」


「ふざけんなよこのクソボケ妖精がッ!」


 この料理修業は、違う意味でも難航しそうだった。





   ◇◆◇◆◇





 料理修業を始めて三日が経った。

 大学の講義にバイトにと忙しい中の修行なので、瑠香に教えてもらえる時間は限られている。

 だから僕はせめてイメージだけでも頭の中で繰り返し浮かべていた。


「今日はいつになく静かじゃねえか」


 僕がヴィーノに出勤して、カウンターキッチンで洗い物をしていると、菜摘さんが声をかけてきた。

 今日も菜摘さんのおっぱいは大きい。

 今日のおっぱいを脳裏に焼き付けて癒されてから、僕は菜摘さんに笑顔を返した。

 菜摘さんが少し目を鋭くしたけれど、きっと僕がおっぱいをチラッと見たことはバレてないだろう。


「料理の特訓のほうはうまくいってんのか?」


「はいおかげさまで……と言いたいところなんですけど、やっぱり料理って難しいですね。いろいろと失敗続きですよ」


「家が全焼しちまったか?」


「そんな失敗はしてませんよっ!」


 いい加減にラノベの料理下手幼馴染ヒロイン枠みたいな立ち位置のキャラと、僕を同列にするのをやめてほしい。

 菜摘さんはにんまりと笑って僕の肩をバシッと叩いてきた。


波瑠はるがまともに料理を作れるようになったら、メインの方でもシフト組んでやるよ」


「マジですかっ!?」


 メインキッチンでも働けるとなると、時給が三百円くらい上がる。

 僕の極貧大学生活のためにも頑張らないと。


「わからないことあったら聞け。いちおうこの店でもパスタは出してんだ。参考になりそうなことは教えてやれるぞ?」


「なんでもいいんですか?」


「アタシにわかる範囲ならな」


「それじゃあ――――」僕は至極真面目な表情で言う。「菜摘さんのおっぱいって何カップなんですか?」


 直後、僕はフライパンで殴られた。





   ◇◆◇◆◇





 約束の日の前日。

 この日、大学に顔を出すと神楽坂さんに話しかけられた。


「明日は何時に行けばいいのかな?」


 今日の神楽坂さんはベージュのキュロットスカートに白いブラウス、そしてカーディガンを組み合わせた、大学生の女の子らしい服装だ。

 その姿を見ているだけで目の保養になる。


「店の開店前、十六時ごろに来てもらえれば」


「料理の調子はどう?」


「それは……明日になってからのお楽しみだよ」


 ちょっと自信満々に言ってのけると、神楽坂さんは可笑しそうに笑った。


「じゃあ楽しみにしてるね?」


 そう言って軽い足取りで彼女は僕から離れていった。

 なんだかデートの約束を交わしたみたいで、心臓がものすごい速さで鼓動を繰り返している。

 いつかは神楽坂さんと、マジもんのデートをできたらいいなあ。

 そう思いながら彼女の背中を見送った。





   ◇◆◇◆◇





 そして運命の日。

 昼の十四時、僕は部屋のキッチンで鍋をふっていた。

 最終確認としてひとりでカルボナーラを作り、出来上がったものを師匠でもある瑠香に試食してもらうというものだ。

 出来上がった一人前のパスタを平皿に盛り付け、瑠香に提供する。


「ありがとうございます。ではいただきますね?」


 そう言って彼女はまず見た目と匂いを確認し、それから割り箸を取ってパスタの山に差し込んだ。

 フォークでもないのに器用にクルクルとまわしてパスタを巻き付けると、それをひと口でパクッと放り込む。

 何度も何度も咀嚼そしゃくを繰り返している。

 その間が一番緊張した。

 やがて瑠香はティッシュで口まわりについたソースをぬぐうと、僕に笑顔を見せた。


「味は大丈夫です。これなら誰に出しても納得すると思います」


 ホッ、と息をつく。

 それと同時にひとつ気になることがあった。

 味『は』大丈夫という言い方だ。

 まるでその他にダメなことがあるとでも言うような感想だ。

 僕が疑問に思うのと、瑠香が口を開くのは同時だった。


「残り時間もありません。料理をするうえで大事な最後のポイントをご主人様に伝えます。これだけは絶対に忘れないでください」


 そうして彼女はいつになく真剣なまなざしでこう言った。


「料理のおいしさは――――」

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