第12話 また全裸なんですけど!?

 ヴィーノが開店時間を迎えて、一時間近くのんびり過ごした後、お客さんの入りが増してお店が混み合ってきた。


「とっとと出てけ。働かない奴は邪魔なんだよ」


 菜摘なつみさんに言われてお店を後にする。

 時刻は十八時過ぎ。

 空は夕焼け色に染まっていた。

 今から急いで大学に戻ったところで、最後の講義の終わりにギリギリ間に合うかどうかくらいなので面倒臭い。

 今日はそのまま帰ることにした。

 電車を乗り継いで僕が住んでいるアパートに戻ってくる頃には、十九時を回りそうになっていた。

 僕の部屋の前で鍵を取り出す。


「そう言えばアイツ、ちゃんと荷物受け取れたんだろうか?」


 いろいろなことがあってすっかり忘れていたけれど、瑠香るかが配達員から荷物を無事に受け取れたかどうかが今日の一番の山だ。

 ドアの郵便受けに不在票が入っていないところを見ると、届いた荷物はしっかりと受け取ったみたいだけれど……。


「ただいま」


 鍵を開けて部屋のなかに入る。

 すると玄関のすぐそこで、瑠香が正座をして待っていた。

 彼女は上体を前に倒して土下座の姿勢でそこにいる。

 腰まであるアッシュブロンドがサラサラと流れ、床に触れている。

 昨日、バイトから帰ってきたときに見た光景だ。

 でも決定的に違う点がひとつある。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


「……なあ瑠香。ひとつ聞いていいか?」


「なんなりとお申し付けください!」


「なぜ服を着ていないッ!?」


 瑠香はパッと見るかぎり全裸だった。

 西洋的な真っ白な肌がまぶしかった。

 瑠香は上体をあげる。

 右腕で胸を隠す、いわゆる腕ブラをして僕を上目遣いで見つめてくる。


「ちょっ!? おまぅ、お前っ!? 服を着ろ、服をっ!」


 何してんだよこいつは。

 頭おかしいのか?

 僕はあわてて目を固くつぶった上に手のひらでフタをして、絶対に見てしまわないようにする。


「ご主人様。指の間が空いております」


「なにぃっ!?」


「まぶたも空いてますよ?」


「くっ!? なんだとっ!? 馬鹿なッ!?」


 この僕がペチャパイごときに興味津々だとでもいうのか!?

 おのれえっ!


「大丈夫ですよご主人様。わたくしこう見えてちゃんと着けているんです」


「どこからどう見ても何も着けてないんだがっ!?」


 まさか馬鹿には見えない服とでもいうのか――――って、誰が馬鹿だよこの野郎!

 などと内心でひとりノリツッコミするほど混乱していると、瑠香がウィスパーボイスでこう言ってきた。


「絆創膏、貼ってるんです」


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッッッ!?」


 僕はその場で前かがみになって膝をつく。

 そのまま両手もついて、敗北者の構えをとった。


 ばんそうこう、だとっ!?


 胸の無い瑠香がそこまでの勝負に出てくるなんて。

 貧乳だからブラはいらない、絆創膏で十分だ――――とでも言うような、自身のコンプレックスをさらけ出す自虐的なエロスの扉を開いたというのか!?

 それはまさにエロス界の無我の境地。

 この境地に達することができる者は十年に一人の逸材と言われる(僕調べ)。

 つまり瑠香は十年に一度の貧乳っ!?


「……あのぅ。ものすごく失礼なこと考えてませんか、ご主人様?」


 いつの間にか立ち上がっていた瑠香が、ゴミを見るような目で僕を見おろしていた。

 さっきまで土下座といううずくまった体勢だったから気づかなかったけれど、こうして彼女を見ると丈の短いショートパンツをしっかり着ていた。

 胸まわりもチューブトップみたいなものを着けている。

 背面が紐みたいに細くなっているから、背中側からパッと見ただけではなにも着けていないように見えてしまう。

 それはどれも部屋着や睡眠時の下着として僕が買ってやったものだった。


「ちゃんと服を着ているのに裸だと勘違いしてしまうご主人様、じつはわたくしよりもエッチなのでは?」


「う、うるせえよっ!」


 お前がチューブトップの上からTシャツでもなんでもいいから着てたら、こんな恥ずかしい勘違いしなかったよ!

 そろそろ肌寒くなってくる季節だってのに、よくそんな軽装でうろちょろできるな!?

 とはいえ、どうやらちゃんと荷物を受け取れたみたいで良かった。

 僕は立ち上がると、瑠香のそばを通って部屋の奥へ歩き、ベランダに干されている選択物から僕のTシャツを一枚とって彼女に投げつけた。


「とりあえずそれ着てくれ。目のやり場に困るよ」


 そう言うと彼女はニマニマとイヤらしい笑みを浮かべた。


「あれれ? ご主人様はわたくしのおっぱいを馬鹿にしていたのに~」


「うるさいよ! 今だって巨乳の方が好きだよ!」


 でも瑠香は顔だけはすごく可愛いんだ。

 胸の大小にかかわらず、煽情的な格好をされたらそこに目を向けずしてどこに目を向けるというんだ?


「とりあえず服を着てくれ。なんのために服を買ったと思ってるんだ?」


「脱がす悦びを味わうためですよね?」


「ンなわけねえだろうがっ! あんまり調子に乗ってると外に追い出すぞ?」


「こんなはしたない格好の女の子を大衆の目にさらそうとするなんて鬼畜すぎます!」


「だからさっさと服を着ろって言ってるだろうがっ!」


 なんなんだこいつは?

 そんなに僕に素肌を見せつけたいのか?

 僕だって男だぞ?

 いつかは襲うかもしれないんだぞ?

 などと思っていたら、


「ちょっとだけ、襲ってほしいかな……なんて思ってます」


「……は?」


 瑠香の頬が色づいている。

 熟した果実のようにほんのりと赤く、まるで色恋の話をする純粋な乙女のような顔をして言葉をつむぐ。


「女の子だからでしょうか。ドキドキが止まらないんです」


「いや、ちょっと待て? おまえ、まさかっ!?」


 この僕のことを――――

 僕までドキドキが止まらなくなっていた。

 そして彼女はうっとりとした表情でこう言った。


「ご主人様のことを見ていると、すごくイジメたくなってドキドキしてしまうんです!」


「…………よぅし、わかった。とりあえずお前帰れ。オリーブの森で寝てろ」


「じ、冗談です! 嘘ですよご主人様。だからわたくしを捨てないでください~」


 ピィピィと泣きついてくるくらいなら最初から調子に乗らなければいいのに。

 まったく。

 しかし今の僕にはこいつがいないと困るというのも確かだ。

 いつもの不毛なやり取りを終え、瑠香にしっかりと服を着てもらった後に、僕は彼女に頭を下げた。


「頼む! 僕にカルボナーラの作り方を教えてくれ!」


 僕は瑠香に神楽坂さんとの約束のことを説明した。

 神楽坂さんをうならせるようなカルボナーラを作る。

 世界中のオリーブと意識でつながっていて、たくさんのレシピを知っている瑠香ならきっと最高に美味いカルボナーラを知っているはずだ。

 やがて頭を下げた僕に、瑠香の声がかかる。


「レシピを知ったとしても、プロの料理人とまったく同じようなものを作るのは難しいです。それをわかっていて、ご主人様はそう仰るのですか?」


 僕はうなずいた。

 神楽坂さんに振舞うまで、もう一週間もない。

 その間にカルボナーラをマスターしなければならない。

 マスターしないまでも、それなりに高いレベルのものにしないといけない。


「どうしてご主人様はその神楽坂という女性のためにそこまでするんですか?」


 僕の中の何かを試そうとするような口調だ。


「そこまでして神楽坂という女性に好かれたいのですか?」


 もちろんそんな邪な気持ちもあるさ。

 でも一番の理由はそれじゃない。


「せっかくの人生なんだぜ? 前を向いて歩いてほしいじゃん?」


 そう言って顔を上げると、瑠香は珍しそうに目を見開いていた。

 僕はさらに続ける。


「その場に立ち止まって見える景色もいいだろうさ。でも大切なモノってのは、歩いて探さないと見つからないと思うんだよな」


「大切なモノ、ですか?」


 僕はうなずく。

 人の心が備わっていれば、みんな好きなものや大切なモノを探して、それを大事にするために生きていると思うんだ。

 その大切なモノっていうのは、もしかしたら趣味かもしれない。

 恋人かもしれない。

 家族かもしれない。

 自分の社会的地位かもしれないし、お金かもしれない。

 はたまた組織に所属している人にとっては部下や家来、同僚や組織そのものかもしれない。

 大切なモノは人によってそれぞれ違う。

 対象は無数にあるんだ。

 だから立ち止まって見える景色の中で、それを見つけるのはすごく難しい。

 たくさん歩いて、人と出逢って、物を見つけて。

 そうしていかないと、本当に大切なモノっていうのは見つからない。


「神楽坂さんは大切なモノを見つける努力をしていないのに、諦めてしまってる。僕はそれが……どちらかというと許せない。そんな気持ちが強いと思う」


 だから神楽坂さんには歩き出してほしい。

 いろんなものを見つけてほしい。

 もしかしたらこうして僕が神楽坂さんと接点を持てたのは、彼女が止まってくれていたからかもしれない。

 彼女がふたたび歩き出したら、きっと僕よりも歩くペースは速いだろうし、二度と関わることができなくなるかもしれない。

 でもそれならそれでいいんだ。


 そんな自己満足的な考え方に浸っていると、瑠香がクスッと笑った。


「やっぱりご主人様はご主人様です」


「バカだって言いたいのか?」


「バカはバカでも良いバカです」


「褒められている気がしないんだが?」


 もうバカでもなんでもいいよ。

 前に一歩踏み出すことができるなら。

 やがて瑠香は満面の笑みでこう言ってきた。


「作りましょう! 最高のカルボナーラを!」


 こうして瑠香のカルボナーラ教室が開かれることになったのだった。

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