第11話 約束
開店前に来たというのに、
「仕込みの余りで作るから大したもんはできねえぞ?」
メインキッチンに入る前にそう言っていたけれど、出てきたまかない飯はこの前SNSで話題になっていたドレスオムライスだ。
ケチャップライスを包む卵をフライパンで焼く時に、お箸なんかを使ってねじりながら焼いていくことで、卵にドレスのようなヒダをつけたオシャレオムライスだ。
「これ食ったら自首しろよ
「僕なにもしてないんですがっ!?」
ちゃんと神楽坂さんを誘って、オッケーをもらってここにいるんだからね?
脅迫とか拉致とかしてないからね?
「っ! 卵がふわふわで美味しいです」
神楽坂さんがオムライスをひと口食べて笑顔を見せる。
僕も彼女に続いてスプーンを動かした。
口に放り込むとケチャップライスの濃い味を、半熟のドレス卵が優しく包み込んでくれて、口の中でまろやかになる。
その変化が面白美味しくて、スプーンが止まらない。
五分とかからずにあっと言う間に平らげてしまった。
「いや~、菜摘さんの料理は本当に美味しいです! あの菜摘さんが作ったのとは思えないくらいに!」
「どういう意味だクソ野郎?」
僕らが食べるのをそばで見ていた菜摘さんが、まだ余熱がこもっている鉄フライパンを振りかぶる。
あわてて土下座する勢いで謝ると、菜摘さんはかついでいた鉄フライパンを下ろしてくれた。
そんなやり取りを見て、神楽坂さんがまた笑う。
「波瑠くんはこのお店によく来ているの?」
「いや。ここでアルバイトしてるんだよ」
「そうなんだっ!? じゃあ最近になって料理を始めたっていうのは?」
「それは関係ないよ。僕はカウンターキッチンの方だから」
そう言ってカウンターキッチンの方を指す。
仕込みをしていた
「いつもはこの店でバーテンしてるんだよ。今日はシフトが入ってないから、菜摘さんの妹の桜子ちゃんが入ってるけど」
「そうなんだ。でもいずれはここで料理を作れるようになりたいって思っているんだよね?」
そうたずねられて、僕はそばに立つ菜摘さんをふり返った。
「菜摘さん。僕がメインキッチンで料理を担当したいって言い出したらどうします?」
「くちびるを縫い付けて二度としゃべれねえようにするかな」
いや、あの。
拒否してほしかったのはそうなんだけど、限度ってものがあるよね?
まあいいや。
僕はあらためて神楽坂さんに向きなおる。
「というわけで、僕はこの店でフードの調理場に立つのを禁止されてるわけ」
「どうして? だって調理できる人が少しでも多くいた方がお店的には良いと思うんだけど?」
その問いに答えたのは僕じゃない。
菜摘さんだ。
「この馬鹿は、はっきり言ってキッチンにいられても邪魔だからな。料理は焦がすし調理器具もひとつ壊してる。そのうえ無駄に調理場を汚すから後が面倒なのさ。よそ見も多いから包丁も持たせられねえ」
「よそ見が多いのは菜摘さんのおっぱいが大きいから――――」「なんか言ったか?」「いえ、なんでもありません」
殺気がやばすぎて包丁を突き付けられているような錯覚をおぼえたので、素直に頭を下げておく。
いやでも本当によそ見に関しては仕方ないんだ。
だってすぐそばで菜摘さんがそのおっきいおっぱいをバインバインさせながら鍋を振ってるんだ。
そこを見なくてどこを見るって言うんだ?
僕は料理人である前に男なんだ!
「てめえまた変なこと考えてねえか?」
菜摘さんの鋭い視線が僕をつらぬく。
これだから勘のいい女は嫌なんだ。
おっぱいは好きだけどね!
さて、お遊びトークはここまでにして本題に入ろう。
僕はまだオムライスを食べきれていない神楽坂さんに向きなおる。
「神楽坂さん。今週末の土曜日、またこのお店に来てくれない?」
その日は僕がシフトに入っている日だ。
店に来てくれれば僕がいる。
神楽坂さんが僕の意図を読みかねて、続きの言葉をじっと待っている。
「その時に僕がカルボナーラを振舞うよ。それを食べてほしい」
「……どうしてそんなことを言うの?」
「僕が料理下手なのはわかったでしょ?」
この店のメインキッチンで五年間料理場に立っている菜摘さんが、あれだけ僕のことを酷く言ったんだ。
伝わらないわけがない。
神楽坂さんはコクリとうなずいた。
「そんな料理下手な僕が、人に振舞えるようなカルボナーラを作れるように頑張る。だからもし僕が作ったカルボナーラを食べて美味しかったら、神楽坂さんも諦めないで歩き出してほしいんだ」
料理は簡単そうに見えるものでも難しい。
先人の料理人たちが、何度も試行錯誤を重ねて生み出してきたものなんだ。
それっぽく作るのは簡単かもしれないけれど、美味しく作るのは別だ。
だからもし僕が美味しいカルボナーラを作れたら、それが証明になると思うんだ。
神楽坂さんが何に悩んでいるのか知らないけれど、悲観的にならないでほしい。
頑張る時間はまだ残されているんだから。
「……変な人だよね、波瑠くんは」
神楽坂さんがポツリとつぶやいた。
「どうしてそんなに私に構うの?」
それは神楽坂さんと付き合ってあわよくば真の男になるためです!
なんていう下心丸出しの考えなんて言えるわけはなかった。
僕は愛想笑いを浮かべる。
「止まってても時間は過ぎていくんだからさ、歩いた方がいいじゃん」
頑張っている神楽坂さんを見てみたいっていう気持もちゃんとあるから、いい加減なことを言って励まそうとしているわけじゃない。
僕の言葉に、神楽坂さんはクスッと微笑んだ。
これで綺麗に話がまとまる。
そう思ってひと息つこうとしたら、菜摘さんが茶々入れてきた。
「神楽坂って言ったか? 気をつけろよ?」
「? どういうことですか?」
「この馬鹿の原動力は下心だ。あわよくば一発ヤろうなんて思ってやがるぞきっと」
「なななっ、なにを言ってんですか菜摘さんっ!?」
僕はビックリしすぎて、胃の中に入れたオムライスをむせ返しそうになった。
「図星じゃねえか。狼狽えまくりだぞ童貞野郎」
童貞は関係ないでしょうが!
なんで僕の恋路の邪魔をするんですかっ!
せっかく想い人との距離を縮めるチャンスなのに、逆に嫌われちゃったらどうするんですか!
そうなったらもうそのでかいおっぱいを揉みしだかせるくらいしてくれないと、つり合いが取れませんよっ!?
取り返しのつかないことをバラされて、血涙を流しそうになっていると、
「じゃあ波瑠くんが作ってくれたカルボナーラが美味しかったら、一発ヤらせてあげよっか?」
あの神楽坂さんが魔性の笑みでそんなことを言い出したのだ。
「Really!?」
あまりの衝撃発言にアメリカ人もビックリのネイティブ発音で聞き返してしまう。
「うん。波瑠くんがシたいって言うなら別にいいけど?」
小悪魔的な微笑を浮かべ、挑発するような上目遣いで見つめられる。
僕はゴクリと生唾を飲み込んだ。
二十一年近く孤独な童貞をつらぬいてきた僕が、真の男になれる、だとっ!?
しかもその相手は恋焦がれていた神楽坂さんなのだ。
妙に男慣れしてるなとか、もしかして初めてじゃないのかなとか、僕はそんな些末なことを問題にするような陰キャじゃない。
だから僕は神楽坂さんの申し出を――――
「~~~~~~~~~~~~~~~~ッ、え、えんりょしときますっ」
断っていた。
心臓が抉られるような痛みが胸に走った。
「そんなつらそうな顔するくらいならヤッときゃいいだろ? 相手がいいって言ってんだから」
「菜摘さんは黙っててくださいッ」
こんな形で童貞を捨てたとして、果たして僕は真の男になれるのか?
ただのイキり男子になるんじゃないのか?
そんなの素人童貞と大差ない。
初めてはちゃんと順序を守るべきだ。
友達とか恋人という関係をすっ飛ばしていきなりそういうことをするなんてっ!
「だからお前一生童貞なんだぞ?」
「一生とは限らないでしょうがッ!」
なぜ僕の未来を全否定するんだ!?
たとえ魔眼を発動することになったとしても、魔法使いにまではならないぞ!
「あはっ、あはははははははっ!」
そこで唐突に神楽坂さんが笑い出した。
ホールの隅々にまで聞こえるくらいの大きな笑い声だった。
「あ~、やだっ。ほんっとに可笑しい。こんなに笑ったの、上京してきてはじめてかも」
笑い過ぎて泣きそうにさえなっている。
「ウチの出来損ない従業員が馬鹿すぎて申し訳ない」
「菜摘さんっ!? なに真顔で謝ってんですか!?」
「気にしないでください。少し元気になりましたから」
「神楽坂さんだけはフォローしてくれると信じてましたよ僕はっ!?」
僕の味方はこの場にいないのかっ!?
やっぱりこの店に神楽坂さんを連れてくるのは間違いだったのか?
自分の失敗に対して、奥歯が欠けるくらいに強く歯ぎしりしていると、神楽坂さんがスッと立ち上がった。
自分のカバンを肩にかけて帰ろうとする。
お店の入り口までスタスタと歩き、そのまま出ていくのかと思いきや、神楽坂さんはそこで僕らのほうをふり向いた。
「土曜日のこの時間に、このお店に来ればいいの?」
「え?」
僕は呆けた言葉を返してしまう。
神楽坂さんはにこやかに微笑んでいる。
「カルボナーラ。作ってくれるんでしょ?」
「も、もちろんだよ! 神楽坂さんをあっと言わせてみせるから!」
「クスッ。楽しみにしてるね?」
そう言って神楽坂さんは帰っていったのだった。
なんだか神楽坂さんのつかみどころのない態度にあっけに取られてしまったな。
「お前、料理の練習すんのか?」
少しして菜摘さんがそうたずねてきた。
僕の返事を待たずに言葉を続けてくる。
「ウチのキッチンは貸さねえからな?」
「もちろんですよ。お店のオーダーで忙しいでしょうし、僕が練習するスペースなんて」
「いや。練習するスペースくらいならある。お前に貸さねえのは別の理由だ」
菜摘さんはため息をはさんでこう続けた。
「お前に練習させようとしたらキッチンが百個あっても足りねえだろうが」
「さすがに足りますよっ!」
僕のツッコミなんてどうでもいいとでも言うように、菜摘さんはメインキッチンへと向かっていった。
もうあと数分もしないうちに開店時間だ。
店の看板を出すために、カウンターキッチンにいた桜子ちゃんがバックヤードから店の看板を引っ張ってくる。
それを入り口前に運ぶ途中で、僕の方をふり向いた。
「ハル兄さん、頑張ってくださいね?」
やっぱり桜子ちゃんは優しい。
僕の味方でいてくれる。
「うん。かならず神楽坂さんをうならせてみせるよ」
「それは無理ですよ。だからせめて食べた人が死なないくらいのものを」
「…………」
悪気のかけらも感じられない桜子ちゃんの笑顔の追い打ちが、何気にいちばん精神的なダメージを受けたのだった。
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