第10話 毒舌姉妹、ここにそろう

 瑠香るかが部屋に居座ってから二日が過ぎた。

 この日はネットで注文した瑠香用の衣類が届く日だった。

 僕は大学の講義に出かける前に、瑠香にしつこいくらいに言い聞かせる。


「いいか? 非常識なことはするなよ? 全裸で宅配に出るな?」


「失礼ですね。ご主人様はわたくしのことを何だと思っているんですか? ご主人様以外の人の前では裸になりませんよ!」


「僕の前でも裸になるな!」


「承知いたしました。着エロをお望みということで?」


「なぜそうなるっ!?」


 毎日恒例の不毛なやり取りを交わしながら、僕は玄関へと向かった。

 最後にもう一度、瑠香のために確認をしておく。


「お金は支払い済みだから、何も渡さなくていい。もしかしたらサインか印鑑を求めてくるかもしれないから、その時はこれを使ってくれ」


 僕はボールペンとハンコが一体型になっているペンを瑠香に渡す。


「大丈夫ですよ。受け取り方は知ってます。オリーブだって宅配で届けられたりするんですよ?」


 瑠香はオリーブの妖精だ。

 だからこの世界のすべてのオリーブと意識が繋がっている。

 にわかには信じられないことだけれど、でもそれはおそらく本当だ。

 だから宅配受け取りのやり方も、オリーブたちの意識を通じて知っていると言う。


「なので心配しないでください、ご主人様!」


 正直に言うと心配すぎてたまらないけれど、大学の講義をサボるわけにはいかないし、ここは瑠香に任せるしかない。

 いちおう配達時間は指定してあるんだけれど、今日の僕の時間割は十九時過ぎまで講義が入ってしまっている。

 しかも最後にある講義が少人数制のもので、四年次にある研究授業――――通称ゼミの体験版みたいなものだった。

 そのため終了時刻が長引くことも多い。

 だからこうして瑠香に口酸っぱく伝えていた。

 最後にもう一度念押ししておく。


「いいか頼むぞ? 変なことだけはするなよ?」


「安心して勉学に励んでください! そして夜はベッドの上でわたくし相手に励んでくれれば」


「じゃあ行ってくる」


「そんなっ!? ツッコミすらいただけないなんてっ――――」


 瑠香がなにか不満げに言ってたけど気にしない。

 僕は玄関を締めて、ドアに鍵をかけた。





   ◇◆◇◆◇





 大学の講義は、ぶっちゃけるとものすごく暇だ。

 あまり頭のいい大学ではないからかもしれないけれど、出席とレポート提出さえしっかりしていれば単位が勝手に降ってくる。

 受験であんなに必死こいて勉強したのが嘘に思えるほど楽だった。

 だからみんな遊びまくっているんだけれど。


波瑠はるくん、隣いいかな?」


 頬杖をつきながら教授のつまらない話を聞いていると、思いがけない人に声をかけられた。


「か、神楽坂かぐらざかさまっ!?」


「もう。またそうやってからかうような呼び方して」


 困ったように微笑みながら、神楽坂さんが僕のとなりに腰掛けてきた。

 神楽坂さんは今日も世界一可愛い。

 黒髪のハーフアップがよく似合っている。

 今日は細身のデニムというパンツルックで、カーディガンを持ち歩いている。

 季節は秋に入り、肌寒くなる日もあるからそうしているのだろう。

 半袖Tシャツの僕とは違ってなんて聡明なんだ。


「もう授業の出席って取り終わっちゃったかな?」


 不安そうに眉根を寄せる神楽坂さん。


「まだだよ。いつも通り講義の最後に出席をとるみたい」


 講義の最初に出席をとらないと意味ないんじゃないかといつも思うけど、あの教授はかたくなにそれをしない。

 だから講義の最初よりも、後半になるにつれて学生が増えていく。

 みんな出席のためだけにこの講義に来ているみたいなものだ。

 神楽坂さんがホッ、とひと息をつく。


「よかった」


 ひと息つく様子も、自然に横髪を耳のうえにかける仕草も、優しそうに微笑む姿も何もかも気品にあふれている。

 もし来世があるとしたらきっと女神に昇格しているに違いない。

 そう思えるほど素敵な女の子だ。

 そんな子が隣に座ってきて、僕の鼓動が痛いほど早くなる。

 何かしゃべらないと。

 そんな強迫観念にかられてしまう。


「神楽坂さんが遅刻ってめずらしいね?」


「わたし? そんなことないよ? 遅刻率四割超えてるから」


 すごいや、野球選手なら首位打者だよ! ――――じゃなくて。


「もしかして神楽坂さん、朝弱いの?」


「そうなの。いつも夜更かししちゃって」


 なんだか意外だった。

 もっと規則正しい生活を送ってそうなイメージがあったのに。

 でもそういうちょっと抜けてるところがあるのも可愛げがあっていい!


波瑠はるくんはいつも遅刻してないイメージだなあ」


「男は黙って早寝早起きって古事記に書いてあった」


「そうなんだ?」


「嘘ですデタラメ言いました」


「なにそれ? 変なの」


 僕なんかのしょうもない軽口にいちいち笑ってくれる神楽坂さんは天使です。

 いずれ僕が作るであろう歴史書にそう記して、四千年後の日本まで語り継がせよう。


「そういえばカルボナーラは作った?」


 ふと神楽坂さんがたずねてきた。

 僕は首を縦に振った。


「すごく美味かったよ! ポークランチョンミートも合ってたし。パンチェッタと比べると食感や風味が違ったけど、塩気がきいててぜんぜんいけた」


 などと瑠香の言葉の受け売りを述べる。

 すまない瑠香。

 僕の恋のいしずえになってくれ。


「波瑠くんって料理できるんだね」


「さ、最近やり始めたばかりなんだよ」


「そっか。うらやましいなあ」


 神楽坂さんが遠い目をしながらつぶやいた。

 うらやましい?

 変な感想だと思った。

 僕の中に芽生えた疑問に答えるように、神楽坂さんは言葉を続ける。


「いろんなことに挑戦して、いろんなことを経験して、成長して。波瑠くんがうらやましい。私もそうなるはずだったのに……わざわざ上京してまで大学に来た意味なんてあったのかな?」


 はじめて『神楽坂さん』という人に触れられたような気がした。

 いつも雲の上から下界を見守っているような、手の届かない存在。

 そんな彼女が僕みたいな下々の人間に自分をさらけ出した。

 なにもかも諦めているような目が悲しすぎる。

 きっと神楽坂さんはものすごく変に真面目な人なんだと思った。

 もう少し気楽に生きればいいのに。

 だから簡単なことにさえ気づかないんだ。

 そう思ったからこそ、僕は口を開いた。


「よくわかんないけど、大学生活はまだ一年以上あるんだから」


「え?」


「諦めるのはまだ早いって」


 時間が一年以上あればいろんなことができる。

 総理大臣になりたいとか、そういう無茶な願望じゃない限り、頑張ればかなえられると思うんだ。

 だから神楽坂さんにそう言ったんだけど、当の本人は信じられないものを見るような目で僕を見ている。

 あれ?

 なんか僕、調子乗ったこと言っちゃった?


「な、なあんてね! 僕は難しく考えるよりとりあえず歩いてみるタイプだからさ。神楽坂さんが何に悩んでるのかも知らないくせに偉そうにしてごめん!」


 とりあえず取り繕ってみたけれど遅かったみたいだ。

 神楽坂さんは思案顔でうつむいている。

 やっちまった。

 これで彼女に嫌われでもしたら、もう来世で頑張るしかない。

 やがて彼女はふたたび僕に顔を向けてきた。


「波瑠くんってバカなんだね?」


 うおおおおおおいっ!?

 いきなり辛辣すぎるでしょ!?

 僕がバカかどうかは置いとくとして、人間だからつらいこと言われて傷つく心はちゃんとあるんだよ?

 僕の傷心なんてどうでもいいとでも言うように、神楽坂さんは嘲笑する。


「二年以上なにもなかったんだから、あとほんの一年あまりに希望を持てるわけないじゃない」


 その嘲笑は僕のことを笑ったのか、それとも自分に対してだったのかわからない。

 そんな中途半端な神楽坂さんの表情を見て、僕は心が締め付けられる思いだった。

 僕は神楽坂さんじゃないし、神楽坂さんのことはわからない。

 ふつうこんな風に突き放されるような言われ方をしたら、見限るのが一般的だろう。


 ――――でも。


 僕は奥歯を噛みしめる。


 ――――そんなこと言わないでほしい。


 ――――そんな顔をしないでほしい。


 それらはぜんぶ僕の勝手な気持ちだ。

 そんなことはわかっている。

 それでも僕は神楽坂さんに笑顔でいてほしい。

 好きな女の子が頑張っている姿を見たい。

 僕は意を決して口を開く。


「神楽坂さん。今日、時間ありますか?」


「いきなりなんなの?」


 彼女は警戒の色を見せる。

 警戒して当然だろう。

 彼女がもし中世ヨーロッパの貴族だったら、僕はスラムで生まれ育って毎日ウンコを漁ってるような汚い男だ。

 それを十分理解したうえで僕は彼女を誘う。


「ちょっと付き合ってほしいところがあるんですよ」





   ◇◆◇◆◇





 今日の十六時以降の講義はすっぽかした。

 神楽坂さんがその時間までしか講義を入れてなかったからだ。

 大学は学生ひとりひとり時間割が違う。

 自分が受けたいと思った講義を自分で選択していくためだ。

 そういうわけで、僕は神楽坂さんに合わせるようにして大学を自主早退した。


「良かったの? 波瑠くんは今日、少人数講義入ってたんじゃない?」


 隣を歩く神楽坂さんに心配される。

 僕は「問題ない」と言って笑った。


「僕ら学生の理解が及ばない異次元の研究をしている教授の話より、神楽坂さんと話をしている方が有意義だからね」


「なにそれ? おっかしいの」


 神楽坂さんがクスッ、と笑う。

 午前中の講義で一緒になってから時間が空いていることもあって、神楽坂さんはもういつもの様子に戻っていた。

 少しホッとする。

 不機嫌なままだったらどうしようかと思っていた。





 僕が神楽坂さんを連れてきたのは、菜摘なつみさんのお店『ヴィーノ』だった。

 あと三十分もすれば今日も元気に開店するだろう。

 大学の最寄から少し離れているため、神楽坂さんは初めて来るようだ。

 店の前に立っている彼女は少し戸惑いを見せている。


「大丈夫だよ神楽坂さん。店長が美人版セガールって感じだけどいい店だから」


「だれがセガールだッ。刻むぞクソ野郎?」


「うおおおぅっ!?」


 不意に後ろから声をかけられてびっくりした。

 ふり返ると電子タバコを片手にこちらを睨んでいる菜摘さんがいた。

 どうやら開店前の一服中だったみたいだ。

 いつもの白いコック服に黒いエプロンをかけた姿だ。

 こうして明るいところで見ていると、その衣装はところどころ落ちない汚れが黒ずんでついており、まるで返り血のようだった。

 利き手に牛刀を持たせれば『沈黙シリーズ』の料理人を務められそうだ。


 菜摘さんは僕の隣でオドオドしている神楽坂さんをチラッと見た後、また僕に視線を戻してこう言った。


「誰だか知らねえけど、アタシとアタシの店に文句言うやつはお断りだよ」


「いやいやいや、僕ですよ僕! 相原あいはら波瑠はるです!」


「下手な嘘やめろよてめえ。波瑠が人間の女を連れて歩いてるわけねえだろうが」


 酷い言われようだった。

 菜摘さんの中で僕がどう思われているのかよくわかる。


「――――もうお姉ちゃん! またお客さんを追い返そうとして……あれ? ハル兄さん?」


 そこへ店の裏口からトテトテと小走りで女の子が駆け寄ってきた。

 幼い顔に小柄な体。

 パッチリとした大きな目と、頭の横で結んでいるサイドテールが特徴的な少女。

 菜摘さんの妹の羽柴はしば桜子さくらこちゃんだ。

 僕の出勤時と同じ、バーテン制服に身を包んでいる。


「お疲れ様です、ハル兄さん!」


「うん。おつかれ桜子ちゃん」


 桜子ちゃんは菜摘さんの八つ年下で、僕の大学の一学年下の後輩だ。

 僕がシフトに入っていない日は、桜子ちゃんがカウンターキッチンに入っている。

 僕よりも若いのに、姉の菜摘さんとちがって落ち着いていて面倒見がいいタイプだ。

 菜摘さんが抜身の日本刀だとしたら桜子ちゃんはその鞘みたいなイメージ。

 僕はこの場を治めてくれる者の登場にホッと胸をなでおろす。


「聞いてくれよ桜子ちゃん。菜摘さんが酷い事を言うんだ」


「酷くもなんともねえ。ウチの従業員になりすまして店をまたごうとするやつは、ブロックに詰めて太平洋に沈めてやる」


「お姉ちゃん落ち着いて。どう見てもハル兄さんで――――」


 そこで桜子ちゃんは初めて僕の横に立っている神楽坂さんの存在に気づいて、


「ハル兄さんのにせものっ! 警察に突き出してやるんだからっ!」


 そう言って僕から距離を置くのだった。

 なんでそうなる?


「バカで不器用で頭おかしくてヘンタイでスケベなことしか考えてなくて生きる価値ないハル兄さんが女の子を連れてくるわけないもんっ!」


「辛辣すぎませんか桜子ちゃんっ!?」


 しまいには泣くぞコラ。

 姉妹そろって僕をイジメてくるなんてあんまりだろ。

 そう思いながら歯噛みしていると、隣に立っていた神楽坂さんが声をあげて笑いだした。


「か、神楽坂さんっ?」


「ううん。ごめんなさい。なんか可笑しくなっちゃって」


 さすが神楽坂さんだ。

 笑う顔も世界一かわいくて、鬼畜姉妹にイジメられて傷心中の僕の心を癒してくれる。

 そんな彼女が笑い過ぎてあふれてきた涙を指先で軽く拭いながら、僕をさしてこう言ってくれた。


「正真正銘、相原波瑠くんです」

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