第7話 オリーブの妖精特製 カルボナーラ
部屋に戻ってきた僕らが最初にやったことは、買ってきた食材を確認することだった。
買い物袋から購入品を四脚テーブルに並べていく。
「塩は多い方がいいのかと思って袋で買ったんだけど、良かったか?」
「はい! むしろその方が良いので」
買い物を終えて、
不機嫌になったりハイテンションになったり大変なやつだな。
情緒不安定か?
「そういえばパンチェッタっていうのがスーパーには売ってなかったぞ? 日本のスーパーでは取り扱ってるところが少ないらしい」
「そうだったんです。すみません。あるものだとばかり思ってました。無いことがわかっていたら代わりにベーコンを買ったのですが」
「いや、代わりのものならもう買った」
「え?」
「これだ」
僕はとある缶詰を取り出した。
手のひらにギリギリ乗るサイズの直方体の缶詰のラベルには、大きな文字で『SPAN』と書いてある。
「ポークランチョンミートっていう食材らしい。豚ひき肉に香辛料を混ぜて成型したものだってさ」
加熱調理がされているものだから、そのまま食べることもできるらしいけれど、基本的には焼いて食べるのが主流らしい。
戦後にアメリカから流入してきたものらしく、米軍基地のある地域ではよく見かけるものとのこと。
沖縄県出身の神楽坂さんが言ってたから間違いはないだろう。
僕も存在自体は知っていたけれど、こうして買ってくるのは初めてだ。
「パンチェッタと比べて、ミンチにされた豚肉っていう違いがあるけど、代用するんだったらベーコンよりも味は似ているんじゃないかって言ってた」
「言ってた? どなたですか?」
そういえば瑠香は神楽坂さんと顔を合わせてないんだっけ。
大学の同級生だよ、と言おうとして口を開いたところで、瑠香が目を伏せて寂し気に笑った。
「すみません。意地の悪い質問でしたね?」
「え? いや、そんなことはないけど?」
「今の質問は気にしないでください」
なんだか瑠香の様子がおかしい気がしたけれど、それも一瞬のこと。
買い物袋から出した食材を閉まって、瑠香はすぐに台所に立った。
「それではご主人様、今日も瑠香にお任せください!」
無い胸を張って偉そうに鼻を鳴らしている。
「今日はみんな大好き、カルボナーラです!」
◇◆◇◆◇
「まずは材料紹介です!」
瑠香がテーブルの上に材料を並べていく。
本当は台所に置いた方が楽なんだろうけど、僕のアパートは部屋自体も狭ければ台所もものすごく狭い。
IHコンロがかろうじて二口あるのが奇跡だ。
そんなわけで別の場所に瑠香は材料を並べて紹介してくれる。
以下、その材料だ。
・1.6mm 乾麺パスタ
・オリーブオイル 大さじ二杯
・厚さ5mmくらいにスライスしたポークランチョンミート
・細かく刻んだパルミジャーノチーズ 大さじ二杯
・生クリーム 60cc
・卵黄 一個
・あらびきコショウ
「卵黄と生クリームとチーズは火を使って調理をしていく前に、あらかじめ混ぜ合わせておくのが定石です」
そう言って瑠香はまずもろもろをボウルに移して混ぜ合わせ、卵液を作った。
「けっこうしっかり混ぜるんだな?」
「はい。フライパンでパスタと合わせた時に、粉チーズをうまく拡散できてないと、熱で溶かすのに苦労しますから」
瑠香は真面目に説明したあとで、僕の方をふり向いてなぜか熱い視線を送ってくる。
「
「そういえばなんで今回のパスタは太いのを使うんだ?」
「サラッ、と流さないでくださいよ!」
さすがに露骨だったか。
「すまない。お前の綺麗な髪みたいにサラッと流してみたんだ」
できるだけイケメンに見えるように爽やかに言うと、
「……えっと、今回のパスタがどうして太いのを使うのか?という質問でしたっけ?」
「なんでお前がドン引きしてるんだよっ!」
「すみませんご主人様。あまりにもお顔がキモすぎて」
「三角コーナーの生ごみを見るようなその目をやめろっ!」
「……それで、ペペロンチーノの時と違って太い麺を使う理由ですけれど」
信じられねえ。
こいつ強引に話を進めやがった。
こんな扱いを受ける『ご主人様』がほかにいるだろうか?
ていうか僕はご主人様になったつもりなんてこれっぽっちもないけどさ。
「クリーム系のパスタは太い麺を使うのが一般的なんです」
だそうだ。
理由は食べる時にソースがよくパスタにからむためらしい。
ちなみに本場イタリアでは僕らが買ってきた丸みのあるパスタではなく、もっとソースがからむように平らなパスタを使ったりするそうだ。
ボウルの中の卵液を作り終わると、今度は鍋に向き合った。
「茹で汁を作ります」
そう言って瑠香は買ってきた塩の袋をあけて、鍋の中で沸騰しかけているお湯にドバドバとぶち込み始めた。
「おいおいおいおい! どんだけ入れるんだよ!? めちゃくちゃ塩辛くなるんじゃないのか?」
「これくらい普通ですよ。茹でながらパスタそのものに塩気を移していくんです」
「でもさすがに入れすぎだろ」
一リットルの水あたりに百グラムくらい一気にドバッと入ったぞ?
目分量で言うなら片手でわしづかみにした塩を入れやがった。
「そこまで言うなら、ちょっとゆで汁を味見してみてください」
瑠香がお玉にすくったゆで汁を少し冷ましてから、自分の口に含む。
そのまま僕に迫ってきたので、おでこにチョップをかましてやった。
「っ!? い、痛いですご主人様!? びっくりしてゆで汁を飲みこんじゃったじゃないですかっ!」
「びっくりしたのはこっちだよ! なに口移しで飲ませようとしてるんだ!」
「ご主人様、そういうの好きかと思って」
「好きか嫌いかで言われると大好きだ!」
「正直すぎて絶句しそうになりました……」
「なんでだよッ!? 誘ってきたのはお前だろ!」
「じゃあ口移しで飲んでくれるんですか?」
「それとこれとは話が別だ」
さすがにそれはまずいだろう。
僕は健全な男子大学生だ。
初めてのキスは神楽坂さんとって決めている。
「……どうしてでしょう? ご主人様がキモい童貞みたいなことを考えているのがわかります」
「キモくて悪かったな!」
あと童貞は余計だよチクショウが!
ていうか好きな女の子でちょっとくらい夢見てもいいじゃないか。
男なら当然の心理だ。
そんな馬鹿丸出しのやり取りをかわしてたら、なんでこんな話になったのか忘れてしまった。
「ゆで汁の話ですよ。ご主人様はすぐ話をそらすんだから」
話をそらしたのお前だろ。
ひとに口移ししようとしてきやがって。
ツッコミかけたけれど寸前のところで踏みとどまる。
僕は瑠香からお玉を奪い取って、ゆで汁を少量すくって飲んでみた。
「あんなに塩を入れたのに意外と濃くないんだな?」
例えていうなら味噌汁くらいか。
もっとしょっぱいものだと身構えていたから肩透かしを食らった気分だ。
「パスタをゆでる時の基本の塩分量ですよ。今回作るカルボナーラは味の濃いパスタなので、ゆで汁の塩加減も気持ち抑え気味にしてます」
瑠香の話では、ペペロンチーノみたいに超シンプルなものだとゆで汁の塩加減を強めにするし、カルボナーラみたいに味が濃いものだと弱めにするそうだ。
ひとくちにパスタと言っても作るもので微妙な差異があって、奥が深い料理なんだなと思った。
感心している間に、瑠香がパスタを手に取ってゆで汁の中に入れようとした。
僕はそれに待ったをかける。
「ちょっと待ってくれ。二人前で作れるか?」
「もしかしてデブになるのがマイブームなんですか?」
「ちげーよっ! ていうか僕が食べるわけじゃないから」
「へ?」
「瑠香の分だよ。今まで食べてなかっただろ?」
もしかしたら妖精だから食事なんて必要ないのかもしれない。
でも僕ひとりだけ食べるなんてなんだか気まずいし、申し訳ない気持ちになってくる。
それにやっぱりご飯はひとりで食べるより、誰かと一緒に食べたほうが美味しい。
「わ、わかりました……ご主人様がそう仰るのなら」
瑠香は顔を赤くして、二人前のパスタをゆで汁の中に入れた。
なんで恥ずかしがってるんだ?
あたり前のことを言っただけなのに。
「それではちょっと分量を変更しないといけませんね」
「二人前になるとやっぱり増えるんだ?」
「はい。単純に二倍にしないといけませんから」
そう言って瑠香があらためて材料を測りなおしていく。
そのついでにスライスしたポークランチョンミートを、さらに千切りみたいに切り刻んだ。
そのうちのひと欠片を瑠香が口に含む。
何回か噛みしめたあとで、うんとうなずいた。
「パンチェッタとは食感も味も違いますけど、これはこれで塩気があって美味しいですね」
どうやらウチのシェフもポークランチョンミートをお気に召してくれたらしい。
神楽坂さんに今度お礼を言っておかなきゃ……大学で気さくに話しかけられる自信はないけれど。
「ではいよいよ本格的に調理に入っていきましょう。とりあえずフライパンにオリーブオイルを引いて、ポークランチョンミートを入れてから火にかけます」
「火をつけてから入れるのはダメなのか?」
「ダメってことはないですけど、フライパンがアツアツになる前に入れるのがベストですね」
「なにか理由があるのか?」
僕がたずねると、瑠香は得意顔をしてピンと人差し指を立てた。
「冷たいフライパンから素材を温めていくことで、素材のうま味を油に移すのが目的です」
瑠香いわく、料理の基本だそうだ。
この場合、ポークランチョンミートに含まれる香草などのうま味をオリーブオイルにうつしたいとのこと。
ちなみにニンニク片やホールの唐辛子を使う時にも、料理によってはそういう手法をとることもあるとか。
しばらくするとフライパンからパチパチと音が鳴り、油が弾けていく。
「ここまできたら、パンチェッタの場合は弱火に落として中に火を入れていくんですけど……」
「けど?」
「今日使っているポークランチョンミートはもともと加熱処理されているものなので、そこまでする必要はありません。なのでもう少し表面がカリッとするまで中火で攻めます」
それから一分ほど加熱しただろうか。
ポークランチョンミートに良い感じに焦げ目がついている。
そこで瑠香はゆで汁を加えた。
ペペロンチーノの時にも見た乳化ってやつだ。
「そしたらあとはパスタが茹で上がるまで待機です」
「卵液は混ぜないのか?」
せっかく調理前に溶いたのにずっと放置状態だ。
「いま入れちゃうと出来上がりがボソボソとしちゃいますので。フライパンの温度が少し落ちてから入れるのが基本です」
やがてパスタが茹で上がる。
ペペロンチーノの時とおなじで、硬めに茹で上げたものだ。
それをフライパンの中に入れて混ぜ合わせていく。
乳化したソースを麺に少し吸わせてあげるイメージらしい。
「最後に卵液を入れて、ゆで汁でつなぎながら温めなおして完成です」
瑠香がテキパキとした所作で料理を仕上げ、器にパスタを盛り付けていく。
その上からあらびきコショウを振りかけた。
平皿に盛られたそれは、お店で見るようなカルボナーラよりも美味しそうに見えた。
「今日のお昼ご飯はこれで決まりです!」
オリーブの妖精特製 ポークランチョンミートを使ったカルボナーラ。
「出来立てを召し上がれ♪」
たちのぼる匂いは濃厚でクリーミー。
朝からご飯を食べていないこともあって、美味しそうな匂いにやられた僕のお腹がグルルルと鳴ったのだった。
◇◆◇◆◇
それでは実食と行こう。
「いただきます!」
ペペロンチーノの時とおなじように割り箸でいただく。
とろみのあるソースを麺にうまくからめて、つるっとひと口。
「どうですか? ご主人様?」
瑠香が味の感想を求めてくるが、僕はそれどころじゃなかった。
言葉を失うとはこのことを言うんだろう。
普通の家庭で出てくる料理のレベルを超えてしまっている。
「ご主人様?」
僕が何も言わないことに、不安そうな目をして顔をのぞき込んでくる瑠香。
そんな彼女に対して僕は感嘆の息を漏らした。
「こんなにパスタな濃厚はカルボナーラだ」
「……もとからダメだとは思ってましたが、ここまで頭が悪いとは」
瑠香が口元を手で抑え、悲しみに揺れ動く瞳を僕に向けてそう言った。
うるせえよ。
脳内感動バロメーターがふり切ってしまってちょっと変な日本語を製造してしまっただけだろうが。
「いや、めちゃくちゃ美味いよ。びっくりした。たったあれだけの材料でこんなに美味いカルボナーラになるなんて」
「? 何を勘違いされているのか知りませんけれど、材料自体は一般的なカルボナーラとほぼおなじですよ? パンチェッタを使っていなかったり、チーズの種類が違ったりしていますけれど」
「そうなのか?」
意外だった。
もっと調味料とかイタリア発の謎の材料が入るものだと思ってた。
「そもそも伝統的なカルボナーラは生クリームなんて入りません。だからもっと基本の材料は少なかったりします。カルボナーラはローマの三大パスタのひとつです。そう言われるくらいに多くの人に好かれ、作られているパスタなんです。ごちゃごちゃと複雑な作り方をするわけないじゃないですか」
たしかにその通りだ。
材料や調理法に凝りまくって料理の難易度をあげてしまったら、それだけそれを作れる料理人の数がプロ・アマを問わずに減るということだ。
作り手の数が減ればおのずと知名度も下がる。
「シンプル・イズ・ザ・ベストですよ。それがカルボナーラというパスタが人気であり、世界で愛されている理由のひとつです。
もちろんシンプルだと言っても、決して一朝一夕で完璧に作れるようになるものではない。
シンプルだからこそ難しい部分もあったりする。
そこが料理の難しいところで、楽しいところでもあるんだと瑠香は笑顔で語った。
瑠香のパスタ雑学を聞きながら、カルボナーラを五分で平らげてしまった。
あとを引く美味しさで、また食べたいと純粋に思う。
それと同時に、あることが気になった。
「なあ瑠香。今度、食器を買いに行かないか?」
まだ自分が作ったパスタを食べている途中の瑠香が、口の中のものを飲み込んでから首を傾げた。
「食器、ですか?」
「うん。盛り付ける皿がこれじゃあ味気ないだろ?」
僕はテーブルに並んでいる皿を指さす。
独り暮らしの男の家にある食器なんて最低限のものしかない。
僕が使っているのはトーストなんかを乗せたりする平皿で、瑠香が使っているのは味噌汁を入れる茶椀だ。
「
「僕が気にするんだよ。せっかく瑠香がこんなに美味しい料理を作ってくれてるのに、食べる時にこれじゃあちょっとね」
「わかりました。ご主人様の仰せのままに」
そう言って瑠香は微笑み、
「美味しいと言っていただいて、ありがとうございます」
最後にペコッ、と頭を下げてきたのだった。
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