第6話 遭遇! 雲の上の美少女!

 真咲まさきさんのお店を出て、当初の目的だったスーパーに来ても、瑠香るかの不機嫌さは変わらなかった。


「お~い、瑠香さ~ん? 食材は何を買えばいい?」


「…………」


 無視である。

 酷くねえか?

 瑠香の方から買い物に行きたいって言ってたんだから、それくらいは答えてくれたっていいじゃないか。

 ショッピングカートを押して店内をウロウロする僕の後ろから、ふくれっ面の瑠香が黙ってついてくる。

 ものすごく気まずい。

 とはいえせっかくここまで来たんだから、何も買わずに出ていくわけにもいかない。

 仕方ないけど、今回は僕が適当に思いついた食材を買って回ろう。


「とりあえずまずは油が必要だよな」


 驚くことなかれ、僕の家には油もない。

 基本僕が自分で作るものといえば、乾麺パスタを使ったパスタもどきか牛丼だ。

 パスタは茹で上がったものを醤油とか塩コショウで味付けするだけで油なんていらない。

 牛丼は牛肉から出る油だけで作っている。

 そのため今まで油が不要だった。

 でもこれから瑠香が料理してくれることになっているから、油無しでご飯を作らせるのは無理がある。

 だから僕はまず油コーナーへと向かった。

 カゴの中にサラダ油とオリーブオイルを入れる。


「…………ご主人様」


 ふと今まで無言だった瑠香に呼び止められた。

 彼女は僕がカゴの中に入れたオリーブオイルを取り出す。


「これは必要ありません。わたくしがいるので」


 そのまま棚にオリーブオイルを戻そうとする。

 僕はその手を止めた。


「なに言ってんだよ。必要だろ?」


 そう言うと瑠香はますます表情を険しくした。


「そうですか。ご主人様はわたくしのようなスタイルも悪くて可愛げのない者などいらないと。さっきの喫茶店の店長さんみたいな女性がいいと。そういうことですよね?」


「なんでそういう話になるんだ?」


「だってそうじゃないですか。市販のオリーブオイルがあればそれでいいんですよね?」


「あたり前じゃないか。お前だって自分の手を焼くなんて痛い思いをしなくて済むだろ?」


「……え?」


 瑠香がきょとんとするような顔をした。

 何を驚いているんだこいつは?

 僕にはよくわからない。


「まさかとは思うけど、お前は料理をするたびに自分の手を焼くつもりだったのか?」


「そのつもりでしたけれど?」


「お前、さては馬鹿だろ?」


「え?」


 その様子を見るに、どうやら本気でそう考えていたみたいだ。

 あきれてものも言えなくなる。

 僕は戸惑いの色を浮かべている瑠香の目をしっかりと見つめて言う。


「あのなあ? 一流のシェフが料理の味にコクを出すために、自分の指を包丁で切って血を混ぜるか?」


「それは……しないと思いま……いえ、しませんね」


「だろ? お前がやってるのはそれと同じレベルのことだ」


「でもわたくしはオリーブです」


 どうやらまだわかってないらしい。

 深いため息が出る。


「じゃあ聞くけど、フライパンで自分の手を焼いて痛くないのか?」


「痛いです」


「熱くないのか?」


「熱いです」


「ほれみろ。そんな思いをさせてまで、僕はお前に料理をしてほしくないよ」


 いまだに瑠香が手に持っていたオリーブオイルをひったくる。

 そしてそれを彼女の目の前に突きつけて、見せつけてやる。


「これはお前のために買うんだよ」


「わたくしの、ため?」


「わかったらグダグダ言うなよな。まったく」


 オリーブオイルをカゴに入れなおす。

 チラッ、と瑠香の様子を目の端で盗み見すると、さっきまでのムスッ、とした顔とは打って変わってしゅんとしていた。


「わたくし、可愛げが無いですよね?」


 今度はなんの話だよ、面倒くさい女の子だなあ。

 口に出して言うとまた面倒くさいことになりそうだから、黙って言葉の先をうながす。


「ご主人様に迷惑ばかりかけて……ご主人様を支えるつもりで来たのに」


「今さらかよ!?」


 思わず口をついてツッコミが出てしまった。

 昨日の朝からの出来事を思い返すだけで、無駄にハイテンションで僕を困らせている光景しか浮かばないんだが?

 僕のツッコミに瑠香がますます気分を落とした。

 そんな彼女の頭に手を置いて撫でてやる。

 サラサラのアッシュブロンドだ。ものすごく触り心地が良い。


「ご主人様?」


 瑠香が僕を見上げる。

 僕は彼女の目を見つめ返す。


「迷惑ばかりかけられてるけど、その分だけ僕も迷惑をかけてるんだからお相子だよ」


 まず僕はキッチン周りを彼女に任せきりだ。

 真咲さんの店に寄った時だって、理由はよくわからないけれど怒らせちゃったみたいだし。


「瑠香にかけられる迷惑は嫌じゃないよ。可愛げがないって言ったら嘘になる」


「ご主人様がわたくしを可愛いって」


 瑠香の顔を見て「ブサイクだ」なんて言うやつは目の病気だから眼科に行ったほうが良い。

 とはいえ、


「まあ、胸がないのは事実だけどな」


「…………っ!」


 正直に言葉を伝えたら、歓喜の表情をあふれさせていた瑠香の顔が凍り、高速の平手打ちをお見舞いされたのだった。





 ふたたび怒ってしまった瑠香は、僕にメモだけ渡してスーパーの外へ出て行ってしまった。


「外で待っていますので買ってきてください」


 とのことだった。

 ものすごく恐ろしい表情で睨まれながらそう言われた。

 まったく。僕が何をしたっていうんだ?


「とりあえず塩とオリーブオイルと1.6mm乾麺パスタ。ホールの唐辛子に卵と生クリーム」


 買い物リストを確認しながら、カゴに入れたものと照らし合わせていく。

 まだカゴに入れてないリストは残り二つだ。


「パルミジャーノチーズ?」


 たぶん乳製品コーナーの隣のチーズコーナーにあるんだろうけど、初めて聞くチーズの種類だ。

 パルメザンでもゴーダでもブルーでもチェダーでもなく、パルミジャーノ。


「チーズはいいとして……パンチェッタってなんだ?」


 パンの一種か?

 菓子パンかな?

 あいつ見た目はまだ高校生だからな。

 まだまだそういうものが好きなお年頃なのか。

 そんなことを考えながらにやけていると、後ろからトントンと肩を叩かれた。

 なんだよ瑠香のやつ。

 やっぱりひとりでいることが心細くて僕のところに戻ってきたのか?

 まったく。


「しょうがない奴だな、お子様なんだか……ら?」


 ふり返るとそこにいたのは瑠香じゃなかった。

 つやのある黒髪をハーフアップにしてまとめているのが特徴的な女の子。


「か、神楽坂かぐらざかさまっ!?」


「クスッ。なんで『様』づけなの? しかも苗字だし。おなじ学年でおなじ学科なんだから下の名前で呼んでよ」


「僕のくちびるは『優衣ゆい』って名前を口にすると悪魔に縫い付けられるんだ」


「もう言ってるじゃん。私の名前を呼ぶと悪魔がどーのこーのって、もしかしてからかってる?」


「めめめめめめっそうもございませんッ」


 僕があわてて首を横に振ると、神楽坂優衣はパッチリとした大きな目を細めて可笑しそうに笑った。

 神楽坂さんは僕の大学の同級生だ。

 大学内でもトップクラスに可愛い女の子として知られている。

 去年のミスコンにも選ばれているくらいだ。

 そろそろ大学を越えて日本や世界に羽ばたいてもおかしくないと個人的には思っている。

 浜辺に打ち上げられるゴミに等しい僕ら一般人からすると、雲の上の存在だ。

 そんな相手に僕は恋をしてしまっている。

 近くにいるだけでも心拍数があがって息苦しいというのに、大学の外でばったり遭遇したばかりでなく、神楽坂さんの方から話しかけてくれるなんて。

 彼女は流れる横髪を気にして右手で抑えながら、僕のショッピングカートの中身をのぞき込んできた。


「すごいね! 波瑠はるくんてちゃんと自炊するんだ?」


「ま、まあね!」


 すまない瑠香。

 あとで土下座でもなんでもするから今だけは許してくれ。


「その右手に持っているものは何?」


 瑠香が渡してくれたメモを指して、神楽坂さんがたずねてくる。


「買い物リストだよ」


「へぇ。しっかりメモ取って買いに来るんだ? あれ? でもこれ波瑠くんの文字じゃないよね?」


 しまったあっ!?

 メモに書かれている文字は丸っこくて可愛らしいものだ。

 どうする?

 どうする僕?


「い、いや、実は僕も頑張ればこれくらいの文字を書けたりしちゃって」


「え? それは無理じゃない?」


 即答かよ。

 ちょっと傷ついたわ。


「だって波瑠くんの文字、すごく汚いもん。ペンの持ち方もおかしいし」


 よく見ていらっしゃいますね。

 大学では喋ったことすらほとんどないというのに。


「なんか女の子が書いた文字っぽいし……もしかして彼女さんがいたりして?」


 そんなものは断じていない!

 僕が心に決めているのは、あなただけです神楽坂さまっ!

 僕は神楽坂さまで童貞を捨て――――って、ンな気持ち悪い事考えてる場合か!

 彼女がいるだなんて思われたら非常にまずいことになるし、かといってオリーブの妖精と同居してるなんてふざけたことも言えない。

 なんとかこの状況を切り抜ける言葉を絞り出さねば!


「じ、実はさっきスーパーに来る途中で拾ったんですよ」


「……拾った?」


 あああああああああああああっ、僕のバカ!

 誰かもわからない他人が落としていった買い物リストを参考に買い物をする馬鹿がどこにいるって言うんだよ!

 こんなしょうもない嘘、すぐにバレてしまうに違いないっ――――


「なんだそういうことだったんだ。それなら納得」


 納得されてしまった。

 神楽坂さんの中で僕はどういう人間だと思われているんだ?

 まあピンチを脱することができたのならそれでいいや。

 神楽坂さんはいまだに僕の持っているメモを見ている。


「ふぅん? カルボナーラの材料みたいだね」


「え? わかるの?」


「うん。でもたぶん、パンチェッタは普通のスーパーには売ってないと思う」


「そうなの?」


 さてはこの菓子パン、地方限定とかそういうタイプのものだな?

 なんて心の中で思っていたことが口に出てしまったみたいだ。

 神楽坂さんはお腹を押さえて笑い出した。


「ちがうちがう。パンチェッタは簡単に言うと塩漬けの豚肉だから」


 そうなのか。

 まったく知らなかった。

 しかし神楽坂さんも料理に詳しいなあ。

 材料を見ただけでカルボナーラだって言い当てたくらいだし。


「私のお父さん、沖縄で創作イタリアン料理店をやってるから。パスタは小さいころからいっぱい食べてきたし」


「神楽坂さん、沖縄出身なのっ!?」


「お母さんが沖縄の人なの。だから苗字は沖縄っぽくないでしょ?」


 そう言ってはにかむ神楽坂さんは本当に可愛かった。

 しかしまさか沖縄の出身だったとは。

 どうりで目鼻立ちがくっきりしているわけだ。

 可愛くもあり、美しくもある、まさに女神のような顔は男の心を奪い去るために備わっているに違いない。


「ちなみにパンチェッタの代わりになりそうなものを知ってるけど、よかったらそっちを買っていったら?」


 神楽坂さんが提案してくれる。

 美少女の申し出を断ったら末代まで呪われるって古事記にも書いてあるとかないとか。


「買います!」


 秒速で返事をした僕に、神楽坂さんは華奢な肩をクツクツと揺らして笑っていた。

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