第5話 妖精さんの嫉妬
翌日の朝八時。
買い物に出かける支度をしていたところで、僕はふとある問題点に気づいた。
「さすがにノーブラノーパンで僕のとなりを歩かせるのはアウトじゃないか?」
鼻歌を歌いながらベッドを整えている
ネット通販で頼んだ衣服が届くのは明日だ。
もしこのまま歩かせてしまったら、まるで本当に露出調教しているみたいじゃないか。
「胸が無いからノーブラはまだ無視できるとはいえ、下の方は――――」
「なにか仰いましたか、ご主人様?」
「な、なにも言ってないアルよッ!?」
思わずエセ中国人になってしまった。
瑠香がおかしそうにクスクスと笑う。
どうやら僕の失言には気づかなかったようだ。
危ないところだった。
話しかけて来てくれたついでに、ノーブラノーパンの問題点について指摘する。
「大丈夫ですよご主人様」
「先に言っておくが、僕にそういう趣味はないからな?」
「ご主人様が何を仰っているのかわかりませんが、
「なにっ!? 下着なんて持ってたのか?」
出逢った時が全裸だったからそんなもの一切持っていないと思っていたが。
「いいえ持っていません。だからご主人様からお借りしました」
「は?」
「見てください、
瑠香がハーフパンツを下ろす。
本当ならノーパンのはずなのに、そこには黒いボクサータイプのパンツがあった。
ウエストまわりや裾まわりが少し生地の余っている感じがする。
ていうか。
「なに勝手に僕のトランクスを穿いてるんだよっ!?」
「いいじゃありませんか、これくらい」
「よくないよっ!?」
次に僕がそのトランクスを穿く時にムラムラするじゃないかっ!
などと思っていると、瑠香がトランクスのウエスト部分のゴムを両サイドから上に引っ張り上げた。
「せっかくなのでお股に食い込ませてみましょう」
「やめろっ! 今すぐ脱げっ! あ、いや今すぐだと困るから、僕から見えないところに行ってそこで脱げっ!」
「注文が多いご主人様ですね?」
瑠香はやれやれだ、とでも言わんばかりに肩をすくめてみせる。
何様だよ!
僕のことをご主人様とあがめるなら、言うことのひとつくらい聞けよマジで。
「でもよろしいのですか、ご主人様?」
「なにがだよ?」
「このパンツを脱いでしまうと、
「そ、それはっ」
「しかもご主人様は今、脱げとおっしゃいました。
例えがいちいちリアルすぎる。
そういうエロ同人、世の中にはめちゃくちゃあふれている。
「どうしますかご主人様? それでも
「っ、~~~~~くっ、わ、わかったよ! 穿いてていいよ」
「ありがとうございます!」
けっきょく僕のほうが折れた。
普通はこういうのって男より女の方が抵抗あるんじゃないのか?
男の中古トランクスを嬉々として穿くのなんてこいつくらいだろう。
「あれ? そういえば上はどうするんだよ?」
ふと気になってたずねる。
さすがに男の服にはブラの代わりになるようなものなんてないぞ?
まな板バストだからノーブラでも構わないのかもしれないけれど、いちおうなんというか、その……先っちょが透けちゃったりしたら一大事じゃん?
「大丈夫ですよご主人様。ほら? 透けてませんよね?」
瑠香が無い胸をわざわざ張ってくれた。
あまりの虚しさに涙が出そうになるのをこらえて、胸元をじっと見つめる。
「本当だ。透けてない」
僕が貸し与えたのは厚手とはいえ白いディーシャツだ。
腰を反ったり胸を張って服の生地が伸びたりすれば透けて見えてもおかしくない。
ということは、
「妖精って乳首ないのか?」
「そんなわけないじゃないですか。どういう頭してるんですか?」
「着脱式か!」
「違いますから! 人間の体がベースになってるので」
だとするとなぜ透けていないんだ?
疑問に思いながらもじっと胸元を見つめていると、瑠香が頬を染めて体をねじった。
「ご、ご主人様ったらそんなに見つめて……
「いや、まったく。僕は大きい方が好みだしな」
「死んでください」
「ま、待てっ!? 人間の首は三百六十度まわらないからその手を僕の頭から放せっ!」
「やってみなければわかりませんっ!」
「やらんでもわかるわっ!」
独り暮らしだった時とは違って、朝から騒がしい一日であった。
◇◆◇◆◇
朝から無駄に疲れるやり取りをしてしまったため、部屋を出るのが遅れてしまった。
僕は瑠香を連れて早足で歩き、とある場所に立ち寄った。
スーパーの近くにある喫茶店だ。
店の名前は『クローブ』。
地域密着型の小さな店だけれど、コーヒーや紅茶がものすごく美味しいと評判で、隠れた名店として人気だ。
「あら
僕らがお店に入ると、綺麗なお姉さんが出迎えてくれた。
落ち着いたブラウンの髪を三つ編みにしてまとめている彼女は
このお店をひとりで切り盛りしている。
今年で二十九歳になるって話だけど、アラサーに見えないくらい若々しい笑顔が特徴的というか、素敵だ。
真咲さんが微笑むだけで心が温かくなる。
まるで陽だまりに手を置いている時のような安心感だ。
思わず顔がにやけてしまう。
「キモいですご主人様」
瑠香が僕の脇腹を肘で突いて半眼で睨んできた。
せっかく真咲さんの温かさを身に染みて感じているのに水を差すようなことをするんじゃないよ!
「いつもの席で待ってて? お店開けたばかりでちょっとまだいろいろ手が回ってないの」
「大丈夫です! 待ちます!」
「ありがと」
普通のお店は開店した時にはお客さんの受け入れ態勢を万全にしているんだろうけれど、クローブは真咲さんのおっとりした性格も相まって、全体的にゆるい雰囲気だ。
そういうところもこのお店の魅力だ。
店内の席数が極端に少ないこともあって、オープンから少しすると満席でテイクアウトのみになってしまうのが難点だった。
僕はいつもの二人掛けのテーブル席に座る。
お店のキッチンでパタパタと仕事をしている真咲さんがよく見える席だ。
テーブルをはさんで向かい側に座る瑠香はものすごく不機嫌そうだった。
「どうしたんだ瑠香? ムスッとして」
「なんでもございません」
「?」
何か変なことを言っただろうか?
まあいいや。
そんなことよりも真咲さんだ。
しばらく真咲さんのパタパタ具合を目で追って楽しむ。
やがて準備ができた真咲さんがメニュー表を持ってやってきた。
「お待たせ。今日は何を飲むの?」
「ブレンドコーヒーお願いします! 瑠香は?」
「え? わたくし、ですか?」
「お前意外に誰がいるんだよ?」
「でもっ……」
瑠香はなぜか遠慮している。
そういえばこいつ、僕から何かをしようとすると極端に嫌がるよな。
服を買うためにネット通販を見てた時もそうだったし。
「真咲さんの作る飲み物、なんでも美味いんだぞ?」
もう一度推してみる。
するとようやく、小さな声でこうつぶやいた。
「では、ハーブティーを」
真咲さんが伝票に注文を書き込んでいく。
「波瑠くんがブレンドコーヒーで、彼女さんがハーブティーね」
僕が女の子を連れてきたことなんて初めてだからか、真咲さんが勘違いをしてそう言った。
僕はあわてて訂正する。
「彼女じゃないですよ」
「あれ? 違った? それじゃあおふたりはどういう関係?」
「えっと……」
僕は口ごもる。
そういえばその問いに対する回答を考えていなかった。
まさかオリーブの妖精だなんてふざけた事実を言うわけにもいかないし。
「い、妹です」
悩んだあげくそう言ってしまう。
真咲さんが口元を手でおさえて、上品に笑った。
「それは無理があるわよ。肌も黄色肌じゃないし、髪の色だって違うじゃない」
ですよね。
ついた嘘がすぐにバレることってなかなか恥ずかしいよね。
そう思ってあたふたしていたら、
「何を隠したいのかわからないけれど、とりあえずケンカをするならお店の外でお願いね?」
真咲さんが意味深なことを言ってウインクしてきた。
ケンカ?
僕が?
誰と?
首をひねりながら視線を瑠香に向けると、瑠香は来た時以上に不機嫌な顔で窓の外の通りを見つめていた。
僕が何をしたっていうんだ?
疑問に思うも答えはわからぬまま。
あまりの気まずさに、せっかく真咲さんが作ってくれたコーヒーの味もよくわからないまま飲み干してしまったのだった。
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