第3話 聖水は調味料じゃありません!

 一人暮らしの男子大学生の部屋にある食糧なんてたかが知れてる。

 かろうじて僕の家にあったのは乾麺パスタと細切れ牛肉、そしていつ買ったかも覚えていない調味料群だけだ。

 料理なんて面倒くさいので、作るとしても簡単にできるパスタとか丼物くらいしか作らない。

 あとはぜんぶスーパーの弁当やカップラーメン、お金に余裕がある時はファミレスに行ったりしている。


「あまりにも貧相すぎて言葉を失いました」


「お前の胸よりは――――いや、なんでもない」


 瑠香から負のオーラが立ち上りそうになるのが見えて口をつぐんだ。

 沈黙はきん、雄弁は銀だ。


「ていうか独り暮らしの男のキッチンなんてこんなもんだぞ?」


 むしろなんで食材や調味料がそろっていると思っていたのか?

 その認識がまずおかしいんだ。


「ではご主人様はあまり料理が上手ではないのですね?」


「まあな。そもそも苦手意識があるんだよ」


「料理がまったくできないと?」


「まったくって言うほどではないと自負してる」


「大丈夫ですか? 乾麺パスタは茹でないと食べるのに苦労しますけれど?」


「そこまで苦手じゃねえよ」


 さすがに茹でて食ってるわ。

 料理の上手い下手以前の問題だろそこは。

 馬鹿にしてんのかこいつは?

 しかし自分で言うのも変だけど、こんな材料じゃあ大したものは作れないだろう。


「そんなことないですよ? 安心してください。これだけでも簡単なものであれば作れちゃいますので!」


 そう言って彼女が数少ない食材や調味料の中から選んでいったのは以下だ。


・乾麺パスタ 100g

・細切れ牛肉 50g

・ニンニクチューブ

・一味唐辛子

・コンビニのコーンスナック菓子


「いや、これ本当に大丈夫なのか?」


 今度は僕が絶句しそうになった。

 一味唐辛子まではわかるけど、なんで料理の材料にスナック菓子が入るんだよ?


「お塩が見当たらなかったものですから」


 瑠香が困ったように言う。

 そういえばつい一週間くらい前に使い切ってしまったんだっけ?

 だからって普通はスナック菓子を入れるか?


「塩気も充分にありますし、コーンの風味が出て味に奥行きのあるペペロンチーノになると思うんです!」


 どうやらペペロンチーノを作るらしい。

 どうかしてるとしか思えない。

 僕がため息をついている横で、一人暮らしの手狭なキッチンに立つ彼女はテキパキと準備を進めていく。

 鍋にたっぷりの水を入れて火にかけ、その間にスナック菓子をジップロックに入れて粉々に潰していった。

 その作業が終わると、フライパンを右手に持った。

 そして僕が貸し与えていたハーフパンツを脱ぐ。

 男物のTシャツを貸しているので、ハーフパンツを脱いでも大事なところはギリギリ隠れていて見えない。


 ――――どうしてこいつはハーフパンツを脱いだんだ?


 そんな常識的な考えをもとに彼女の愚行を止めるよりも、見えるか見えないかの際どいエロスに煩悩が強く引き寄せられ、食い入るように見つめてしまう。

 そして彼女はフライパンを股間の下に持って行って――――


「っ!? おいおいおいおいっ、ちょっと待てやコラッ!」


 慌ててそれをやめさせた。

 瑠香がきょとんとした顔で僕を見る。


「何しようとしてんだよっ!?」


「何って、オシッコですけど?」


「頭大丈夫か? それとも僕への嫌がらせか?」


 貧乳いじりでひと悶着あったとはいえ、それなりに友好な関係を築けていたと思っていたのは僕の間違いだったのか?


「大丈夫ですよご主人様。わたくしはオリーブの妖精です」


 そう言ってふたたびフライパンを股間の下にセットしようとする。


「だからやめろって! 何が大丈夫なんだよっ! わけわかんないよっ!」


 オシッコがしたいならトイレに行ってやってこいよ!

 なんでこれから調理に使うフライパンにするんだよ!

 頭イカれてるのか?

 オリーブの妖精だからオシッコがオリーブになるんだとか、そういうわけでもないだろうし。


わたくしから出る液体はオリーブオイルになるんです」


 マジだった。

 彼女が三度フライパンを股下にセットする。


「というわけでっ」


「っ!? だ、だからやめろって!」


 下半身丸出しでフライパンへ放尿しようとしている彼女を三度止める。


「仮にオリーブオイルになったとして、イメージが悪すぎるだろうが! そんなので作られても食欲をそそられねえよっ!」


「え? でもご主人様、幼木ようぼくだったころのわたくしに美少女のオシッコを飲みたいって毎日のように」


「言ってねえよッ!」


 勝手に過去をねつ造しようとするなよ。

 人より多少性癖がゆがんでいるかもしれないけれど、そこまでじゃねえよ。


「とりあえずズボン穿けよ! 話はそれからだっ!」


 渋々といった様子で瑠香はハーフパンツを穿いて、僕に向きなおる。


「いいか? とりあえずそういう汚い話は無しだ。僕にそういう趣味はない」


「ご主人様がそう仰るのなら」


「わかってくれたか?」


「はい。その代わり、わたくしを泣かせてください」


 また話が飛躍した。

 誰か通訳を頼む。

 日本語を追いきれない。


わたくしの涙もオリーブオイルになるんです」


「お前全身油まみれじゃねえかよ!」


「そういうわけじゃありません。正確に言うとわたくしが意図して出したものはオイルに変化します」


 なんだその都合のいい設定は?

 嘘くさすぎてしょうがない。


「いや、ちょっと待てよ? 意図してオイルにできるってことは、意図しなかったらオイルにならないってことか?」


「ザッツ・ライト! 正解ですご主人様っ! パチパチ~」


「パチパチじゃねえよ!」


 じゃあさっきのフライパン放尿事件はガチでやばかったじゃないか!

 このふざけた妖精のことだ。

 ぜったいにちょっとくらいオイルにしてないやつを混ぜて飯を作ろうとしたに違いない。


「もうお前二度とキッチンに立つな! 飯はカップラーメンにする!」


「わわわっ!? 待ってくださいご主人様! ちょっとした冗談なんですってばあっ!」


 あまりにもしつこく腕にしがみついてきたので、とりあえず今日のところは瑠香に作らせてやることにする。

 無駄なやり取りをしている間に、鍋に入れていた水が沸騰し始めた。


「ナイスタイミングですね!」


 なにがナイスタイミングだよ、ふざけやがって。

 心の中でそう思いながら、瑠香が変なことをしないか見張る。

 彼女は鍋の火を弱火にして、その中に乾麺パスタを入れた。

 そしてタイマーを四分にセットしてスタートボタンを押す。


「パスタの袋に書いてる茹で時間表記は五分だけどいいのか?」


「はい。四分で大丈夫です」


「めちゃくちゃ硬く仕上がるんじゃないのか?」


「パスタの硬さはアルデンテが定番ですから。少し硬いくらいが美味しいんです。それに茹でた後にフライパンでソースと合わせます。その時にも麺に火が入って行くので、一分くらい早めに茹で上げるのがちょうどいいんです」


 スラスラと言いよどむことなく出てくる知識に、僕は懐疑の目を向ける。


「? どうかしましたか、ご主人様?」


「いや。妖精なのに料理のことよく知ってるんだなと思って」


わたくしはオリーブの妖精ですからね。すべてのオリーブと意識がつながっているんです。世界各地の料理店でパスタは作られていますから」


 だからオリーブを使う料理については自然と詳しくなってしまったと言う。

 言ってしまえば自分が焼かれたり煮たりされているのを感覚的に共有しているということだ。

 なんだか複雑な気持ちになる。


 次に瑠香はフライパンに細切れ牛肉とニンニクを少し入れて炒め始めた。


「油を入れなくていいのか?」


「今から入れますよ」


 そう言って彼女は自分の右手を、ジュワジュワと音を立てているフライパンの中にくっつけた。


「な、なにやってんだよお前っ!?」


 自傷衝動でもあるのかこいつはっ!?


「ふあっ!? あ、熱いですっ!」


「あたり前だ! はやくフライパンからっ――――」


 手を放せ。

 そう言おうとして、ふわっと香ってきた匂いに気づく。

 オリーブの香りだ。

 深い森の中にいるような、自然の甘さ。


「はうぅ、とても熱かったです」


 瑠香が火傷している自分の右手に「ふーっ、ふーっ」と息を吹きかけている。

 信じられないことに、赤くただれていた右手は、みるみるうちにもとの色白の素肌に回復していった。


「うそ、だろっ?」


 驚いている僕を放置して、瑠香は鍋の中身を手際よく炒めていく。

 ニンニクの匂いが香ってきたところで一味唐辛子を振りかけた。

 僕はおそるおそるたずねてみる。


「大丈夫なのか?」


「何がですか?」


「何がって、右手だよ。さっきまであんなに焼けただれて」


「妖精ですから。これくらいどうってことはありません!」


 本人が笑顔で言っているんだから大丈夫なんだろう。

 僕はフライパンに目を移す。

 決して牛肉だけから染み出したものだけじゃない油がそこにあった。


「いま中火なんですけど、本当はニンニクの風味をじっくり引き出すために、弱火じゃないといけないんです。でも今回はニンニクチューブを使っているので、そんなことしなくてもオイルソースに風味がうつりますので」


 料理について解説している瑠香の言葉がまったく頭に入ってこない。

 やっぱりこいつは妖精なんだ。

 そう思わざるをえなかった。

 さっきまで心のどこかで疑っていた僕を見て、なぜ瑠香が料理を作らせてほしいと言ったのか。

 その理由がようやくわかった。


「十分にニンニクの香りが出たら、ここでゆで汁を油と同じ量だけ加えます」


 アツアツのフライパンに水分を加えることで、ジュワッ、と音を立てて蒸気がたちのぼる。

 急激に熱されて、ゆで汁が一部蒸発したんだろう。


「なんで油と同じ量のゆで汁なんだ?」


 僕がたずねると、彼女はこころよく答えてくれる。


「同じ量だけ加えることで、素材から出たうま味のソースとオイルの乳化がしやすく、バランスの良い味に仕上がるんです」


 そう言い終わったところでちょうど麺が茹で上がった。

 瑠香がトングで茹で上がった麺をフライパンに移していく。

 そこへ最初に粉々に砕いたスナック菓子も入れた。

 弱火にかけながらフライパンを煽って麺とソースとスナック菓子をからめていく。


「本当はゆで汁にたっぷりのお塩を入れないといけないんです。そうすることで麺に塩気が入って行って、深みのある味わいのペペロンチーノになるんです。今日はお塩がなかったので、塩気の強いスナック菓子を後入れして代用してますが」


 そうこう言っているうちに、ニンニクの香りにまざってコーンの風味がたちのぼってきた。

 さらにその匂いの奥に、ほのかにオリーブの香りもしっかりついている。

 控えめに言っても、ものすごく食欲をそそる匂いだ。


「できました! 今日のお昼ご飯はこれで決まりですっ!」


 オリーブの妖精特製 コーンスナック菓子を使ったペペロンチーノ。


 瑠香が平皿に出来上がった料理を盛り付けていく。

 材料を見た時は「マジかよ?」と思ったけど、盛り付けられたそれを見ていると、ものすごく美味しそうに見えたのだった。

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