第2話 オリーブの女の子
本当に
そう考えたところで僕は首をブンブンと横に振った。
いやいやいや、あり得ないだろう。
むかし育てていたオリーブの
鶴もハマグリもびっくりだよ。
「あの時ご主人様が流してくれた涙が植木鉢に落ち、病気で死にかけていた
混乱している僕をよそに、彼女はひとり語りを続けていく。
「でも
彼女は悲しそうに目を伏せた。
長いまつ毛が小刻みに揺れているように見えた。
苦労を乗り越えてきた人間が見せるような雰囲気を
「だから
それは僕がよく見る夢の中の台詞だ。
とうとう僕しかわからないことを言い当てられてしまった。
いよいよ彼女がオリーブの妖精であることに、現実味が出てきた。
なんだか頭がおかしくなりそうだ。
目の前で起こってることはおとぎ話みたいなことなのに、現実味がどうのこうのだなんて。
「本当に、瑠香なのか?」
「はい。ご主人様だけの瑠香です!」
いちいち表現が官能的でドキッ、とする。
西洋人も嫉妬しそうなほど美しいアッシュブロンド。
色白の小顔。
パッチリとした大きな目に澄んだ深青色の瞳。
スッと通った鼻の下にある、桜色のくちびるが鮮やかにうつる。
文句なしの美少女だ。
そんな彼女が言うからこそ、軽い言葉でも最大級の破壊力を持つ。
「瑠香って呼んでください、ご主人様!」
ぴょんぴょんとウサギが跳ねるように喜びをあらわにしている。
僕は一歩あとずさった。
認めたくない気持ちがまだ心の中にあったのだ。
その心を見透かしてか、彼女が頬をプクッと膨らませて睨んできた。
「ご主人様も頑固ですねっ!」
「いや、だってさ。普通信じられないだろ? いきなりそんなこと言われても」
「信じられないと言われても、事実なのですからしょうがないじゃないですか!」
「話が突飛すぎてついていけないよ」
「そんなことありません! むしろ
「うるさいよっ!」
童貞フツメンで取り柄のない男で悪かったな!
知ってたよ!
ほっとけよ!
「というわけでご主人様?
さっきまで不機嫌そうな顔をしていたくせに、一転してお日様のような明るい笑顔をむけてくるんだからズルいと思った。
「……わかったよ。とりあえずは認めるよ」
笑顔の圧に負けて首を縦に振ってしまう。
彼女が満足げにうなずいた。
「それじゃあ呼んでいただけますか?」
「え? なにを?」
「
期待に満ちあふれた、キラキラとした目で見つめられる。
僕は気恥ずかしくなって、彼女から目をそらした。
何度も口をモゴモゴさせたあとで、その名を呼ぶ。
「瑠香」
「『おかえり』もつけてください!」
「注文が多いな?」
「ただいまです、ご主人様!」
有無を言わさない勢いだ。
仕方ない。
「おかえり、瑠香」
僕が言うと、彼女――――瑠香は顔に満面の笑みを浮かべて嬉しそうに微笑んだ。
僕はとうとう恥ずかしさが限界突破して、体ごとそっぽを向く。
そんな僕の横に並び、瑠香は腕にしがみついてきた。
「ちょ、おまえっ!? 放せって!」
「放しません! もうご主人様のそばを離れたくありませんから!」
「いろいろ当たってるんだって――――いや、当たってはいないか?」
「それ以上言うと
胸の話はタブーらしかった。
搾り殺すだってさ。
僕から油でも取るつもりか?
しかし胸が貧相すぎて当たってないとはいえ、こんなに可愛らしい女の子に抱き着かれて平静を保つのは難しい。
「とりあえず離れてくれ! お前が思っているほどに僕の理性は強くない!」
すると瑠香に挑発的な視線を向けられた。
「
なんで上から目線なんだこいつは。
こいつの貞操観念はどうなっているんだ?
思うことはたくさんあるけれど、今は一刻も早くこいつから離れないと僕の理性がやばい。
「僕の腕を放してくれ、瑠香」
「はぁいっ!」
瑠香は宣言通りに僕の腕を放してくれた。
ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべながら。
「お前さ、なんでそんなに名前にこだわるんだよ?」
ふと気になって聞いてみた。
すると当たり前のようにこんな言葉が返ってきた。
「
そう言われて、不思議と悪い気はしなかった。
今日が土曜日だったことに、これほど感謝したことはない。
平日で大学の講義があったりしたら、自分の身に起きた出来事に動揺して、心を落ち着けられないままになっていただろう。
とりあえず僕がまずしたことと言えば、彼女の洋服をネットで買ってあげたことだ。
おかげで先月のバイト代の三分の一が飛んでしまった。
今月はもう贅沢はできない。
残りのほとんどの金は家賃に吸い取られる。
ちなみに瑠香は最後まで僕が彼女のためにお金を使うことを止めようとしてきた。
「ご主人様にお金を使わせるなんてとんでもございません!
「大問題だよっ!」
「そして使いたいときにいつでも使っていただければ」
「突っ込まないからな?」
言葉の意味でも
彼女の主張を全部無視して、とりあえず五日分くらいしのげそうな量を買った。
洋服を選んでいる時に、唯一彼女が注文してきたことがあった。
「下着は可愛いものにしてください」
やっぱり女の子だから、そういうものくらいは可愛いものがつけたいのか。
そう思っていたら、
「ご主人様が欲情して襲ってくれるように」
「却下」
「できればパンツは紐パンで! もしもの時にすぐに脱げるように」
「却下だッ!」
とはいえ見た目は年頃の女の子なんだ。
オリーブの妖精と人間の感覚が同じなのかはわからないけれど、きっとダサいものよりは人気のものがいいだろう。
ネットで十代の女の子にどんなものが人気なのかを調べていると、プチプラなんて言葉もチラホラ見かける。
某大手通販サイトでそういうものを見ていったのだが、Aカップのブラとなるとそもそもサイズがなかったり、可愛いデザインのものが無かったりで探すのもひと苦労だ。
「これはもしや貧乳にはブラなんて必要ないという世の中共通の――――」「ご主人様?」
右の二の腕を恐ろしいほどの力で握られる。
「いいオイルが搾(しぼ)れそうですね?」
自慢じゃないけれど大学に入学してから運動不足気味の僕は、高校時代の部活で鍛えたムキムキボディなんてとうの昔に衰えていて、ややたるみ気味だ。
油の乗りはいいかもしれない。
「……申し訳ございませんでした瑠香様」
体の芯まで凍てつかせるほどの冷酷な笑みを受けて、僕は迷うことなく白旗を振ったのだった。
洋服を選び終えた後は、とりあえずネットで『捜索願』やら『誘拐』というワードを打って検索にかけてみた。
万が一にも彼女が普通の女の子で、なにか事件にからまれている可能性があったら大変なことになる。
それが発覚した瞬間に僕の人生がお釈迦になってしまう。
「ご主人様も心配性ですね。ご主人様しか知らないようなことを言ったのに、信じてくれないのですか?」
「万が一ってことがあるだろ? 犯罪歴なんてついてみろ? 目も当てられないよ」
「それではご主人様が安心できるように、
「やめろ」
「ご主人様が『瑠香』の前に
「やめろって言ってるだろっ!」
サラッと黒歴史を語るんじゃない!
なにがオリーブのオリ子だよ!
どんなネーミングセンスだよ!
しかも本当のことだからなおさらタチ悪いよ!
「無礼を承知で申し上げますが、
「うるせえよっ!」
「ご主人様のセンスのなさには脱帽いたしました」
言われなくてもわかってるよ!
ほっとけよ!
そんなやり取りをしながら、検索を終える。
どうやら今のところ、怪しい事件は見当たらなかった。
もちろん情報が公開されていない可能性もあるけれど。
ふと瑠香を見ると、何かをじっと考えている素振りを見せていた。
腕を組むと胸も少し膨らんで……いや、気のせいだな。
「邪悪な気配を察知しました」
「邪悪な気配を出しているのはお前だッ!」
無表情で握りこぶしをバキバキ鳴らしてるんじゃない!
もうちょっと美少女というキャラを考えろよ!
右手に握っている棍棒はどこから持ってきたんだよ!?
「ご主人様にはお仕置きが必要のようですね?」
ま、まずいっ!?
このままでは僕がミンチにされてしまう!
「落ち着くんだ瑠香! 僕はお前のおっぱいに恋い焦がれている!」
って、何を言っているんだ僕は!
アホか!
ただのセクハラじゃないか!
侮辱の罪に加えてわいせつまで働くなんて。
いよいよ僕もここまでかっ!?
「そ、そんなに
殺されると思って身構えていたら、僕を殺そうとしていた相手が態度を一転させ、恥ずかしそうにモジモジしながら僕を見つめてきた。
あれ?
もしかしてこの女、すごくチョロいのでは?
「おっぱいに貴賤はない。僕はお前のおっぱいを誇らしく思う」
「そんなっ……ご主人様が
だれもンなこと言ってねえよ。
それに舐めることは置いといて、揉めるほどねえだろお前の膨らみは。
そう思ったけれど、口にするのをグッとこらえた。
「ご主人様がそう仰るのであれば仕方ありません。指一本で見逃してあげます♪」
「何を我慢したんだっ!?」
ここは笑顔で僕の失言を受け流す場面だろ!
僕の指を一本犠牲にしようとするなよ!
おののく僕に対して、瑠香はクスクスとリラックスした笑みを浮かべている。
「冗談ですよ、ご主人様」
ようやく肩のこわばりが解ける。
まったく笑えない冗談はやめてほしい。
「話がそれちゃいましたけれど、ご主人様に提案したいことがあります」
「提案?」
また唐突な話だな。
僕に害が及ばないことなら何でもいいけれど。
そう考えながら、彼女の続きの言葉を待つ。
「もしよろしければ、
なぜいきなりそんな話になるのか?
彼女の意図がわからずに、僕は首をかしげたのだった。
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