第八話 自分の感情に


「でも、だからって、帰りが遅くなるのはどうかと思います」


 意外にもそう言ったのは、さつきちゃんの方だった。


「勿論、ミナユキさんの家が、その……ちょっと違うのは知ってます。だけど、それで、もし、ミナユキさんに何かあったら、わたしも雨梨ちゃんも心配します」


 雨梨ちゃんとは、先輩の下の名前だ。昔馴染みなので名前呼び出来るのは羨ましいと思ったが、そんな邪なことを考えていい空気では無かった。


「そうだね」と雨梨先輩も同意するように頷いた。


「この街は治安もいいし、ミナユキくんも男だから大丈夫とか思っているだろうけど。何か事故に巻き込まれる可能性だって無いわけじゃないし……」


 そう言って、先輩はコホンと居住まいを正して、オレの目を真っ直ぐに見た。その綺麗な瞳に貫かれてしまったような感覚に陥り、先輩の目を逸らすことが出来なかった。


「心配するのは家族だけじゃないってこと、ミナユキくんは覚えておいて」


「……はい」


「よろしい」と言って再び、先輩は食事を再開した。


 盗み見るように稲瀬みのりの方に目をやると、先ほどと同じような目でオレを見ていた。刺すような視線に、すぐに目を逸らしてしまった。


 家族はもっと心配していた、とでも言いたげな表情だと思った。


 たった二人の家族なので当然だが、稲瀬みのりはマザコンだ。詩織さんを心配させると、彼女の機嫌を損ねることは何となく分かっていた。


 仕方ない、来週からはちゃんと早めに帰ってやるか。なんて、上から目線な考えを浮かべたところである事に気が付いた。もし、これが雨梨先輩だったら、オレはどう思うだろう。


 例えば逆の立場で、ゲイザーが何かしら家に帰りたくない事情があるとしよう。


 稲瀬家が居るから現実的には無理だけど、オレん家に入り浸るようになるとしよう。


 それを雨梨先輩が心配して、相談してきたとしよう。


 間違いなく、ゲイザー野郎に殺意が沸くだろう。


 つまり、オレは稲瀬みのりにそういう気持ちを抱かせたという事となる。


 最悪だ。思わずその場にうなだれそうになったが、不審になるので堪えた。オレはとんだクソ野郎じゃないか。


「ミナユキさん?」


 表情は不審になっていたのだろう、さつきちゃんがオレに心配そうな声をかけてきた。


「あ、何でも……」


 なんでもないと言いかけて、オレは口を噤んだ。改めて反省したと気持ちを、今告げなければいけないような気がした。


「さっきの話だけど、反省してる」


「ミナユキくん?」と先輩が言った。らしくないオレの言動に不思議がってるようだった。


「きっと逆の立場で、家族がそうだったら、オレも同じ気持ちになってたんだと思った。だから、すいません」


 そう言って、誰にで向けるでもないように頭を下げた。本当は稲瀬みのりに対しての謝罪だが、それを悟られるわけにはいかない。


「そ、そんな、いいのよ。謝らなくて……」


 強く言いすぎたわ、と先輩が焦って弁解する。


「わ、わたしも、すいません」とさつきちゃんも先輩と同じような表情になる。


「顔を上げてください、先輩」


 言われるまま顔を上げる、声の正体は稲瀬みのりだった。


「あまり部長を困らせないでください」


 そう言って彼女は困ったように微笑んだ。その表情を見て、こちらの意図が伝わったことも、許しを得たことも理解した。


 本当によく出来た義妹だ。心が通じ合ったような気がして、不思議と暖かい気分になった。オレはこの感情を知っているような気がした。


「ミナユキくん?」


 先輩の一言で我に返った。


「あ、はい。なんか、すんませんでした」


 何を言っていいのか分からなかったので、よく分からない謝罪をしてしまった。そんなオレを見て、先輩がクスリと笑みを零した。


「素直なのはミナユキくんの魅力の一つよ」


 そう言った先輩の表情は月明かりのような笑顔だった。


 チクリと少し胸が痛んで、罪悪感がオレの心を蝕んだ。


 隠し事が多くて嘘つきな人間が、大好きな人を騙している。


 心の中でもう一人の自分が、お前は先輩に好かれる資格なんて無いと言っている。


 素直でも誠実でもないお前が、あんな心が綺麗な人を好きになってはいけないんだ。


 一度隠し事を抱えると、次から次へとそれが増えていって。いずれ自分がその重みに耐えられなくなってしまうんじゃないかと思った。


 でも全てを吐露出来る程、オレは強い人間でもなかった。


 せめて今オレが出来るのは、なるべくヒトに迷惑を掛けないようにすることだけだと思った。


 でも、それは無理だった。喉元過ぎれば熱さを忘れる鳥頭の馬鹿は、そんな決意をした二日後にまたやらかしてしまうのだった。


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