第四話 ただいまは?
稲瀬みのりが部屋を出て行って、コロコロしていたコロコロを引き出しにしまった。パーカーを脱ぎ捨てたオレは再びベッドへと身を沈める。
隠し事だらけですね。
という一言が脳裏に浮かんで、部活のメンバーの事が脳裏を掠める。家の事情、昔の自分、先輩への気持ち。なるほど、確かにオレは言えない事だらけだ。
勿論、先輩に好きって卒業までには必ず言うつもりだ。他の二つもいつか伝えられるのだろうか。
いつよ。
じゃあいつ言うの。
今は無理。
先輩に想いが伝わったらというのはどうか。それが原因で別れる羽目になったらどうすんだよ。そう考えると、親父が詩織さんに言えないのも納得がいく。
言葉に出来やしない想いが絡んで、希望を閉じ込めてしまっているかのように思えた。
先輩が月だとしたら、秘密という枷が雲だ。雨はやがて止む、空はいつか晴れる。
それなら自分で作り出してしまった雲は、いつどうやってどのように除けることが出来るのだろう。
結果として痛みや傷を負っても構わない。最高の瞬間が訪れれば、何もかもちっぽけに感じるに違いないから。結局のところ、最大の敵である臆病にバイバイ出来ればそれに超したことはない。
一階からバタンと玄関の閉まる音がした。親父が帰ってきたのだろう。気づけば時刻は夜の十一時、今日も残業だったのか。
きっと稲瀬みのりは寝ているだろうから、静かに階段を降りてキッチンへと向かった。背広のジャケットを脱いだ親父が、ネクタイを緩めている姿があった。
「おかえりは?」と親父がオレを見るなり言った。
「ただいまは?」というこっちの台詞に既視感を覚える。
おい、それってよぉ。帰宅時の稲瀬みのりと同じやりとりじゃねえか、まるで親子じゃないか。
「なんだ、どうした?」と親父がテーブルの席に座る。
そんな台詞まで似るんじゃねえよ、と悪態をつきそうになったのをグッと堪えた。
「あら、ミナユキくん。眠れないの?」
そう言って詩織さんがビールを親父の前に注いだ瞬間、親父はオレを睨みつけるように衝撃の一言を繰り出した。
「飲ませないぞ」
「もう飲まねえよ」
そう言った瞬間、自分の顔から血の気が引いていくような気持ちになった。オレは今、何を言った。もう飲まねえよと言った。間違いなく言った。これじゃ、まるで以前に飲んでいたかのような物言いじゃないか。
「どうしたミナユキ、そんなに飲みたかったのか?」
楽観的な態度で冗談を続ける親父に対して、オレは焦りを露わにしてしまう。
「お、親父。おま、それ言ったら……まるで」
オレの様子に最初こそ意味が分かっていなかったようだが、やがてピンときたのだろう。グラスを空にした親父が得意げに鼻で笑った。
「もしかしてお前、不良やってたこと隠したいのか?」
衝撃の一言にオレは立ったまま固まってしまう。そんな様子も気にせずに、親父はべらべらと話を続ける。
「すまんなぁ、詩織さんには言ってしまった。お前粗暴だし、元ヤンのオーラあるし、隠してたってどうせバレてたぞ」
親父の隣に腰かけた詩織さんが、空のグラスにビールを注ぎながらニコニコしていた。
「ごめんなさい、聞いちゃいました。あ、でも、みのりにはまだ言ってないから安心して?」
安心しての一言に、オレは何故か我に返った。
「で、でもよ。親父……っていうか、詩織さん」
一言喋ってみると次の言葉が思いつかず、しどろもどろになってしまう。自分の過去のことを何て説明したらわからない、でも言わないわけにはいかない。
「つか、息子がワルやってた。その、どうしようもない奴だって、思われたら……」
そんなオレの様子を見て、親父は実に愉快そうにビールを煽っていた。この状況をまるで酒のツマミにしているみたいだから、怒りを覚えかけた。
「やっぱりミナヒトさんの言った通り、ミナユキくんは良い子だった」
激昂しかけたオレの気持ちを抑えたのは、詩織さんの一言だった。ちなみにミナヒトとは親父の実名だ。
「ミナユキくんは、自分のせいで私とミナヒトさんの仲がこじれてしまうって、思ったんでしょう?」
オレの気持ちをハッキリと代弁されてしまい、照れ隠しにそんな事は無いと言いかけた。しかし詩織さんの眼を見ると、そんなことは言えなくなってしまった。
「お前、詩織さんはそんなんで俺を嫌うような人じゃないぞ?」
「分かってるよ」
済まなかったと言おうとしたが、よく考えてみればこれはただの親父の惚気だというのに気が付いた。隣を見ると、詩織さんも満更でもなさそうな顔をしている。
これ以上邪魔するのは、というよりもオレがもう見てられなくなったので退散することにした。きっと今日は夢見が悪いに違いない。
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