第22話 エルフ風邪


 それからしばらくして、アリサさんが風邪をひいた。


「一生の不覚だわ……ケフッ」


 ビアナさんはお城に戻ってしまっていて、スミレさんも建物の陰でスヤスヤとお休みになっているので、仕方なく俺が看病することに。


「こんな葉っぱの世話になるなんて……ゴフッ、ゴフッ」


 こんな時まで悪態をつくアリサさんに、内心で『めんこくないなー』と思いつつ、俺は絞った手ぬぐいで彼女の背中の汗をふいてあげていた。

 アリサさんは、薄手のシーツで体の前を隠しつつ、熱で赤らんだ耳をしんなりさせている。

 かなりきつそうだ。


「か、風邪をなめてはいけないぞっ? 俺は前世では、風邪をこじらせて死んだんだからなっ!」

「べ、べつになめてないし……」


 あくまでも俺は真面目な対応。

 エルフの肌は透き通るように綺麗で、メガネを外して頬を赤らめたアリサさんの姿は、黙ってさえいれば眼福この上ない……などとは、けして考えていない。


 ちなみに、布の服を手に入れたので、葉っぱ一枚からも卒業できた。


「じゃあ、前は自分でな」

「わ、わかってるわよ……。もう、なんでこんな暑い時期に風邪なんてひくかな……ケホッ、ケホッ!」


 夏風邪を引くのはなんとやらだが、エルフでも風邪ひくんだな。

 それもかなり酷く、立ち上がるとフラフラして危なっかしいほどだ。

 体温計なんてないけど、熱は40度を超えているんじゃなかろうか。

 目の前に指を2本出して見せたら、3本に見えるとか言っていたし……。


「ぼちぼち、薬の時間か……」


 と言って俺は、近くの薬棚に手を伸ばす。


「えーと、今日もこの、カッコントウみたいなのか?」

「いえ、この間作ったのにしましょう……少し熱を下げなきゃ」

「ふむ」


 昨日までは、植物の根を砕いた薬を飲んでいたのだが、それはどうやら、ひき始めに飲むもののようだ。

 今、アリサさんが指定してきたのは、スミレさんの花から作った粉薬。 

 非常に強力な、解熱鎮痛作用がある。


「ほい、水」

「うう……どうも……ゴクゴク」


 粉薬を一包、コップの水で流し込む。


「じゃあ……寝るわ。くれぐれも言っておくけど、変なことをしたらタダじゃ済まないんだから……」

「し、しないって! 温室もちゃんと見ておくから安心して休めよ……」

「う、ううん……」


 病人を襲うほど落ちぶれてはいない……。

 アリサさんは最後まで悪態をつきつつ、シーツをかぶって横になった。

 解熱剤には眠くなる効果もある。

 今はとにかく、寝るに限るだろう。


 俺は彼女が落ち着いたのを確認してから温室に向かった。

 この時期は、温室内が暑くなりすぎないよう、窓を開けたりして気温を調整しなければならない。



 * * *



「すぴー、くかー」

「…………」


 建物の裏の目立たないところで、スミレさんは自らの株とともに眠っていた。

 何もこんなところに生えなくても……。

 ちょうど日陰で涼しいんだろうけど、ナメクジでも這ってそうな場所だ。


 近くの沢まで水を汲みに行って、ハーブがたくさん生えている庭に、適当に撒いてやる。

 やっぱり手足があるって便利だ。

 さらに俺は草でもあるので、どの植物が何を欲しがっているとか、そういうのが一目でわかってしまう。

 薬草研究家の助手としては、この上ないだろう。


 庭の手入れが終わったら、近くのデッキチェアに座って一休み。

 お茶でも欲しいところだが、勝手に淹れたらアリサさんが怒りそうだ。

 桶の水で我慢しておく。


「ゴクゴク……ふう」


 柄杓ですくって飲む。

 沢の水は、よく冷えていて美味しい。

 何だか生前のことを思い出すな。

 農作業の後に、縁側で氷水作って飲むが好きだったのだ。


「さーて……」


 この先どうしたものか。

 衣食住には困らないし、スミレさんとも仲良しになった。

 エルフさんともお近づきになれて世界が広がった。

 現状に大きな不満はないのだが……。


「俺……どのくらい生きるんだ?」


 やっぱり草だし、寿命なんてものは無いのだろうな。

 下手すりゃホントに、星の終わりまで生きてしまうのか?

 スケールがデカ過ぎて、自分の将来がまったく想像できん……。

 それに俺の精神は、そのタイムスケールに耐えられるのだろうか。


 何か……規模のでかい暇つぶしが必要ではないか?

 せっかくファンタジーな世界に生まれ変わったんだし、エルフの生態研究でもしてみようか……。

 1人のエルフの人生を追うだけで、1000年は暇を潰せる。


「うーむ……」


 改めて考えてみれば、草って最強だな。

 エルフですら生老病死の四大苦からは逃れられないのに、俺ときたらどうですか。

 老いず、病まず、無限の繁殖力さえ持っている。

 まさに完全無欠の生命体だ。


 何というか……随分と苦しい死に方ではあったけど、結果として、望みうる全てを手に入れたな。

 俺は結局、世俗から離れてのんびり出来れば、それでよかったのだ。

 気の向いた時に人の姿にもなれるし、ある意味、究極のスローライフである。


 前いた世界の人達にも、教えられるものなら教えてあげたい。

 草に転生するのも、案外ありですよと。


「ふっ……」


 そんなことを考えつつ、俺は独りほくそ笑む。

 今となっては、どうやったって無理な話だ。

 誰かがそんなストーリーを思いついて、あっちの世界で書いてくれることを期待するばかりである。



 * * *



――ムシッ、ムシッ……。


「……大丈夫かな」


 アトリエの方を見ながら呟く。

 他にすることがないので、今は庭の雑草を抜いている。

 エルフが重い病気にかかることは滅多に無いそうだが、アリサさん、本当に大丈夫だろうか。


 俺やスミレさんが居なかったら、どうしていたんだろう。

 そう考えると、少し心配になる。

 一見、完璧に見えるエルフにも、何かしらの脆弱性があるのではないかと。


 これまでに得た情報から考えても、エルフというのは、素晴らしく上手く出来た生き物だ。

 まず、その社会にカーストみたいなものがない。

 はっきりとした指導者は存在せず、群ごとに富を共有しているから、貧富の差というものも存在しないのだ。


 さらには誰しもが美形で、その生涯に幾人もの相手との交際を経験する。

 失恋の苦しみを味わうことはあるようだが、ヒトのそれよりは重くない。

 寿命が長いぶん、何度でもやり直せるのだからな。


 職業に関しても同様で、生涯においていくつもの仕事を経験する。

 アリサさんくらいの年齢にもなれば、大抵のことは出来るようになるようだ。

 多くの人間のように、何かに特化して終わるということはない。

 長い時間をかけて、いくつものスキルを習得していく。


 それでいてエルフとは、ヒトに比べると、かなり早くに自立するようだ。

 7歳ほどで狩猟採取の術を身につけ、森の中で単独生活を送れるようになる。

 これは、都市生活を送っている人間には、絶対に真似できないことだな。

 その気になれば出来るのかもしれないけど……相当な社会変革が必要になるだろう。


 いざとなれば我が身1つで生きていけるこの特性が、エルフ族の最大の強みだ。

 この早熟さと万能さが、カーストレスな社会を築く基礎となっている。


 自分1人で生きていけるから、誰にも従属せずに済むし、逆に従属を求める必要もない。

 他者から鞭打たれることもなければ、誰かを鞭打つこともないのだ。

 ブラック企業なんて、発生しようもない。


 偉い人に頭を下げる必要もないし、嫌な相手とは無理に付き合わなくて良い。

 唯一の上位者は自然であり、自分たちより強大な力と知識を持つセイ霊が、しばしば崇拝の対象となるのみだ。


 自由と平等、自立と共存が一体になった、まさに絵に書いたようなユートピア。

 どことなく孤高で、とっつきにくい印象はあるものの、心を許した相手にはとことん情熱的なのもエルフの特徴だ。

 人間のような外敵さえいなければ、エルフの一族は、この星の終わりまで、森の中で幸福に生き続けることだろう。


 それに比べて人間は――。


「ふぅ……」


 気づけば俺はまた、人を悲観してため息をついていた。

 草をむしる手も止まっている。


 これは、草になってから特に強く思うようになったことなのだが、人間というのは、本当に余裕のない生き物だ。

 高寿命化した現代人とて、常に時間に追われている。

 その心のゆとりは、1000年の時を生きるエルフとは比べようもないし、それが中世の人々ともなれば尚更だ。


 そんな短い生涯なのに、しばしば無益な争いを起こして自らの社会を損ねている。

 さらには怠惰であったり、強欲であったり、傲慢であったり……。

 その悪性を挙げれば、切りが無いほどだ。

 どうして人間は――俺自身も含めて――こんなにも頭が悪いのだろう。


「うーん……」


 そんなことを思いつつ、俺は光合成をするようにして空を見上げた。

 寿命とか、知能とか、そもそもの性格とか……遺伝的な要因が深く関わっているのだろうけど。

 エルフ達の生態を知れば知るほど、人間というものが、未だ進化の途上にあることを思い知らされる。


 どうすれば、ヒトは少しでもエルフに近づけるのだろう。

 俺はそんなことを、草をむしりながら考え続ける。


 せめて、もう少し寿命が長ければ――。


 そして、ふとそんなことを思いつく。

 もしエルフみたいに、何百年もの時を若い姿を保ったまま過ごせるのなら……。

 こんな人間でも、まだ少しは、ゆとりを持って生きられるのかもしれない。


「だったら……」


 やはりアリサさんの研究には、計り知れない価値があるのだろうか。


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