第18話 とある回復術師の夢
例によって、俺はまた夢を見ていた。
どうやら今度は、立派なお屋敷の中のようだ。
真っ白な壁、高そうな木製の家具、ふかふかのベッド。
さぞや高貴な一族の邸宅だろう。
『クリスト、お前の名前はクリストですよ。誉れ高き侯爵家の血を引く者です……』
『ホギャァ、ホギャァ……』
若いお母さんが、天使の産毛のような金髪を生やした赤子を抱いている。
産んで間もないらしく、全身が汗でテカテカ。
やけにリアルな夢だ。
『おお、耳がとがっているぞ、オレに似たのだな』
ベッドの傍らには、医師とともに、口ひげを生やした逞しいおっさんが立っている。きっとオヤジどのであろうが、歳はかなりいってそうだ。
耳は大してとがっていないが、それなりに眉目秀麗で、エルフの面影があると言えばあるのだろう。
『あなたの体に流れる血が隔世したのね。間違いなく優秀な子に育ちますわ……』
『ふむ、見るからに魔術の才がありそうだ。ともすれば長兄らを食ってしまうかもしれぬなぁ、フハハハハ!』
『そうですわね……うふふっ』
おっさんはどこまでも機嫌が良さそうだが、お母さんはどこか影のある笑みを浮かべた。
年の差もかなりあるようで、恐らくは正妻ではないのだろう。
生まれてきた赤子の血筋も、どことなく怪しいな……。
さらに月日が流れ――。
『できました』
『ほおお、やはりクリストおぼっちゃまは天才にございます』
老いた師の指導の下、翼の折れた小鳥をいともたやすく治療する少年。
まるでその頭の中には、生命活動のメカニズムが全てインプットされているかのようだ。
まだ外科医術もない時代。
顕微鏡すら存在しないその時代にあって、治癒術の能力とはまさに神の恩恵。
クリストと呼ばれる少年は、間違いなくその天賦を身に着けていた。
『もう人間相手に使っても良いですよね?』
『ええ、それはもう……』
『じゃあ……』
すると少年は、道具箱の中から金槌を取り出す。
『お、おぼっちゃま、何を……』
『ふふ……こうするんですよ!』
――ゴシャッ!
そしてなんと、その金槌で自らの鼻を砕いたのである。
『ぬほあっ!?』
血が飛び散り、少年の白い顔と服とが紅に染まる。
あまりの出来事に、老いた師は腰を抜かす。
魔術的な処置で痛みを消したのだろうが、それでもなお痛々しい光景だ。
『くくく……ヒール』
そして少年は、砕いた鼻を自らの回復術で治療した。
すると鷲鼻気味だった鼻が、すっと筋の通った完璧な輪郭へと変貌を遂げる。
『なんか嫌だったんですよね、この鼻……誰に似たんだか』
『ひ、ひいい……』
およそ、齢6つにも満たない少年の所業とは思えなかった。
この一件により、師は完全に匙を投げたようだ。
さらに時は流れ――。
クリストは10歳になった。
成長すればするほどに、剛健な体つきの父とは似ても似つかない優男になっていった。遠目からは、少女と見間違えるほどだ。
父方にはエルフの血が混じっていたようだが、その姿は完全なハーフエルフであり、もはや隔世遺伝という言葉で誤魔化すのは無理であった。
王立学園に進学したクリストは、早くからその頭角を表していく。
勉学において彼に及ぶ者はなく、また、その細身からは想像できないほどの膂力と武芸の才を持っていた。
だが、それもそのはずだった。
彼は常に自らに回復術を施すことによって、人の数倍の鍛錬を行っていたのだ。
彼は、国王が主催する武術大会において、名だたる兵たちを完膚なきまでに叩きのめし、その屈辱によって幾人かを自刃へとおいやった。
その中には血の繋がらぬ父も含まれていた。公衆の面前で、年端も行かぬ我が子――しかも確実に他人の種!――に叩きのめされたのだから、その屈辱はひとしおであっただろう。
それからクリストは、家督を狙う親族達を謀殺し侯爵家の実権を握る。
さらには王立学園を史上最年少で修了し、齢12にして国王付きの回復術師となった。
『ふふふ、お母さまの目論見通りになったのでは?』
『く、クリスト……ここまでやるとは』
謀殺した者の中には、母の腹より生まれた兄弟も含まれていた。
もはや彼女に、実質的な権力など無きに等しかった。
『貴方には感謝しています。本当に良い種を使って私を産んでくれました……くくく……しっかりと親孝行はさせて頂きますよ』
以後母は、事実上の幽閉状態となり、やがて狂乱した。
托卵により家を乗っ取ろうとした女もまた、その宿した種によって支配されてしまうという地獄であった。
闇市で密かに取引されていた『エルフの陰嚢』なるアイテム――。
そのような不気味なものに手を出したのが、運の尽きであっただろう。
その後も巧みな人脈形成により、クリストは侯爵家の家格を上げていく。
容姿端麗、文武両道、門地門閥――。
少年が街を歩けば、多くの娘たちがその頬を花のように染め、男たちは歯ぎしりとともにそれを見送り、もしくは全力で媚びを売った。
人の世の羨望を一身に受けた少年は、王族でさえおいそれと掻き抱けぬという、大陸随一の遊女から懇願される形で、初めて女を知る。
その以後は、貴族の子女から蛮族の娘にいたるまで、手当たり次第に美女を食い漁るようになった。
その種は諸外国にまで撒き散らされ、外交問題になった程だ。
もはや時の王ですら、その放蕩無頼を押し止めることが出来なかった。
『回復術師とは良い身分だな……』
異国の宿にて、満足げな寝息をたてる褐色肌の娘。
その肢体を抱きつつ、美しき獣は微笑んだ。
ちょいと回復術を見せびらかすだけで、女の方からわんさと言い寄ってくる。
稀に拒絶してくる者もいるが、それもまた回復術に物を言わせれば良いだけ。
その者の脳を『治して』やれば良いだけの話であった。
やがてヒトの女も飽きてきた。
ヒトの世界にも飽きてきた。
次は何を狙うかと考えるが、その対象はもちろん決まりきっている。
『ふふふ……』
もとより半分はエルフの血。
人の世を離れ、自然に帰るも一興であろう。
森の奥、山の頂、谷の底までも、俺の色に染めてやる――。
天才回復術師クリストの繁殖欲は、留まることを知らない……。
* * *
「う、うわぁ……きめぇ!」
長い悪夢から覚めた俺は、そう叫んでいた。
「こ……ここは」
あたりを見渡すと、そこはアリサさんのアトリエだった。
どうやら俺は、あの木のベッドに横になっているらしい。
毛皮がいっぱい敷いてあってふかふかだ。
それに……。
「なんだこの気持ちの良い枕……」
頭の下にむっちりとした感触が。
スミレさんの膝枕かな……?
と一瞬思うが、もっとしっかり、むっちりしている。
ボリューム感がちげえ……。
「スンスン……」
そしてフローラルなスミレさんとは違う、シトラス系の爽やかな香り。
アリサさんとも違う。
彼女の体臭は、アブラナ科の花のように……どことなく脂っこい。
手でサワサワと触ってみると、その青白い色に見合ったかのようなひんやり感。
まちがいない。
これはビアナさんの膝枕である!
「すう……すう……」
「うおおお……」
何という素敵な目覚めか。
悪夢を見た後だから、殊更にそう感じるぜ……。
ビアナさんは、俺に膝枕をしたまま眠っておられた。
俺は確か、闇のキノコに立ち向かっていって……それからどうなったんだ?
スミレさんに、とっても良いことをしてもらった気がするんだけど、よく覚えていないんだよな……。
「えーと……」
体を起こし、改めて辺りを見渡してみる。
窓辺に鉢植えが2つ並べておいてある。
片方は俺の草、もう片方はスミレさんの草だ。
ということは。
「す、スミレさん?」
近くにいるんでしょうかね……!?
「ん……」
「あっ」
ビアナさんが目を覚ました。
肩の上のフワフワがパチっと目を開いて俺の方を見る。
「お、おはようございます」
「目が覚めたのね……調子はどう?」
ええ、まったく最高ですよ!
なにせ、ビアナさんの膝の上で寝ていたんですから。
「うふふ、どうやら回復したようね。姿もそのままだし……」
「え……あっ!?」
言われて見れば!
膝枕してもらっていたということは、頭があるということで。
太ももをサワサワ出来たということは、手もあるということで!
「ああーっ!?」
体が……ある!
手も足もヘソもある!
そして!
「い、いやーん!」
すっぽんぽんである!
どうしてスミレさんみたいに服を着ていないんだっ!?
肌の張りツヤからして、10代半ばの頃のようだが……。
「い、いつから俺、この姿に?」
「あのキノコ達に挑みかかった時からずっとよ。あなたが絶望の淵に落ちた瞬間に、突然実体化したの」
「え、ええ……?」
前世のことを強く思い出したからだろうか?
よくわからんが、とにかく人間の姿に戻れたのは喜ばしいことだ……。
「スミレさんは?」
「アリサと一緒に、リミリーの集落に行っているわ。夕方までには戻るでしょう」
「そうなんですか……長老さんの木の件ですかね?」
「ええ、長老樹の苗の側に、スミレさまの花を植えるの。そうしておけば、長老樹のセイ霊が復活した時に、すぐにわかるから」
なるほどな、せっかくだから俺も一緒に植えて欲しいところだが……。
「ケンジさんの草は、庭に区画を設けてたくさん植え込んであるわ。ここを活動の拠点にすることも出来るんじゃないかしら」
「アリサさん、嫌がらなかったんですかね……」
木の棒をぶっさして、ここから先は進入禁止!
って、息巻いてたのに。
「スミレさまが全幅の信頼をおく方ですからね、アリサとて無下にはしないわ」
「そ、それは良かった……」
何だかんだとご近所さんだからな。
仲良くしてもらえるに越したことはない。
日帰り出来るということは、リミリーの集落とはそう遠い場所ではないのだろう。
そのうち繁りに行ってみよーっと。
「えーと……ビアナさん、ところでなんですが」
「何かしら?」
彼女はそのうち、人の国に戻っていってしまうのだろう。
だから今のうちに聞いておこう。
「クリストっていう人物に、心当たりあります?」
「えっ?」
先程の、やたらとリアルな夢のことについて。
彼女に膝枕してもらっている時に見た夢だ。
きっと、人の世で活動しているビアナさんの記憶と関係があるはず……。
「どうして、その名前を……」
するとビアナさんは、そう言って目を丸くした。
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