第17話 ダークゲート
「菌類ですか……少し厄介ですね」
ビアナさんは一歩前に出る。
「どうされるのです?」
「はい、スミレさま。ダークゲートを開きます」
不安げに問うスミレさんに対し、ビアナさんは慣れたような口調で言う。
「もとより無の輩は、冥き世界より引きずり出された者。ゲートを開きさえすれば、自ずからもとの世界へと帰っていくでしょう」
「だったら……!」
俺は勢い込んで言う。
そんな簡単に解決できるものなら、すぐにでもやっちゃって下さい!
「ですが、ダークゲートを開くには『生贄』が必要です。それに相手は菌類ですので、全てを除去することは不可能……」
「むむっ?」
そう簡単には行かないってことか。
全てを除去することは出来なくても、あらかた帰してくれれば、後は俺が地道にやっつけるが……。
「い、生贄って、どんなものを用意すれば良いんです?」
問題はそこだ。
俺は、恐る恐る聞いてみる。
するとビアナさんは、その表情に影を浮かべつつ言った。
「深い絶望、もしくは破壊衝動を抱えた人間……通常は、罪人を用いるのですが……」
「ふあ!?」
うおおっ! なんかヤベえ話だ。
その先はあんまり聞きたくない。
ともあれ、ダークゲートを開く儀式とは、かくも残酷なものであるらしい。
通常じゃなかったらどうするんだろ……。
「と、とにかく強い負の感情があれば良いんですね?」
「ええ……。その感情が、この世界と冥き世界を結ぶ間隙となるのです。あとはその間隙を、わたくしどもの秘術で拡張すれば……」
「な、なるほど」
「ですので、ここはいったん引き、人間の国より適当な贄を見繕ってくることにいたしましょう……」
「えっ、今から?」
そんなに悠長なことで大丈夫なのだろうか。
あと、適当な贄とか……簡単に言うなぁ。
ヒトの世界は、罪深き者達でいっぱいですか!?
――キノッ……。
――コオッ?
闇のキノコ達は、少し離れた場所からこちらを伺っている。
周囲の植物もあまり枯らさないみたいだし、ヤミ花とはまた違う性質を持つのだろうか。
「ヤミの菌類は高い知能をもっています。活発に動くほど、自らの消滅を早めることを知っていて、あえて地中の深くで眠っているのです。おそらく、このタイミングで現れたのは、わたしの体から、冥き世界の匂いを感じたためでしょう」
「ほ、ほう……」
ビアナさん、普通に良い匂いするけどな。
きっと、冥き世界のものにしかわからぬ芳香を纏っておられるのだ。
「じゃあ、なんでさっきはスミレさんを」
「恐らくは、セイ霊様を質にとって、我々を冥き世界に戻すようにと交渉するつもりだったのでは……」
「ま、まじすか、頭いいな」
――キノッ!
――コオオー!
キノコさん達は、エイエイオーってな感じで体をぴょこぴょこさせ、俺達に対して何かを主張しているようであった。
帰せ帰せー! とでも言っているのか?
傍目からは卑猥な動きをしているようにしか見えないのだが。
「ですので、私どもが立ち去れば、再び地に潜ることでしょう。それで時間を稼ぐことが出来ます」
「そうですね……」
確かにそうなんだけど、あんな不気味なキノコが地中に眠っているかと思うと、おちおち昼寝もできないよ。
スミレさんも動きたくない時期だろうし。
出来ればここでやっつけてしまいたいのだが……。
「うーん」
そこで俺は、ビアナさんに提案した。
「俺を生贄にすることは出来ませんか?」
「え?」
「ケンジさん!?」
その場の全員が、驚きの目で俺を見る。
「何度か経験があるんですけど、あのヤミ植物に触れるとすっごいネガティブ思考に襲われるんです。その絶望を使って、ダークゲートを開くことは出来ませんかね?」
「…………」
するとビアナさんは、俺から目をそらして考え込んだ。
何か、後ろめたいことがあるようだ。
その様子から察するに、出来ることは出来るのだろう、しかし……。
「……それは本来、許されないことなのです」
間違いなく、禁忌なのだろうな。
そして恐らく、人間たちはそういうことをしばしばやっているし、ビアナさんもそれを知っている。
人の絶望を集めて冥き世界を開き、手に入れた無の輩でさらなる絶望を作り出す。
そんな『絶望の無限増殖』とでも言うべき手法が存在するのだ。
俺はそれらを考慮に入れつつ、改めてビアナさんにお願いした。
「いいえ今回のケースは、許されるケースだと思います! なんたって、俺達が今からやろうとしているのは、無の輩を元の世界に帰してあげることなんですから」
「そう……だけど」
「戦争に使うわけじゃないんです! 危険はあるでしょうけど、俺なら大丈夫! なんたって、この森中に生えているんですからね!」
と言って改めて、俺は3人の顔を見た。
みんな不安そうではあるものの、何かを期待するような目でもある。
「あなた……」
特にアリサさんの、俺を見直したかのような顔は見ものであった。
ふふふ、俺はやるときはやる。
ただの卑猥草ではないのだよっ!
「本当に良いのね?」
「もちろんですビアナさん! やるなって言われたって、勝手にやっちゃいますから!」
知らない誰かを生贄にするよりよっぽど良い!
例え罪を犯した人とはいえ、そんな業の深いことをしてしまっては、この先、良い夢なんて見れなくなってしまいそうだ。
「じゃあ行きます! 後は任せましたー!」
そして俺は勇ましく、闇キノコに向って真正面からぶつかっていく!
――キノッ!?
――コォ!?
(ふおおお……!?)
すると不思議と、過去の黒い記憶が蘇ってきた――。
* * *
俺の最も暗い過去の出来事。
それは、オヤジが事故で死んだ時のことだ。
『いまごろ、何しにきただぁ!』
葬儀場に駆けつけた俺は、そんな感じで、知らない爺さんに怒鳴られた。
どうしても抜けられなかった仕事のせいで、俺が葬儀に駆けつけたのは、告別式も終わる頃だった。
仕事があって抜け出せられなかった――なんて話してもわかってもらえるわけがなかった。
身内の死には何事にも優先して駆けつける。
それが田舎の常識なのだから。
だが都会では、家族が死んでも仕事を続けることがプロなのだという考えがマジで存在する。
俺の務めていた会社もそうだった。
忌引申請など通るわけもなく、客先も待ってはくれなかった。
寝ずに仕事を片付けて、何とか葬儀に駆けつけたのがそのタイミングだったのだ。
田舎で針のむしろのような時を過ごし、憔悴した母を家に残して会社に戻れば、そこで待っていたのは上司、同僚、客先からの叱責だった。
自分の仕事は片付けたつもりだったが、俺がいないことで、他の人の仕事が滞ってしまったらしい。
別に、人命がかかっているような仕事ではなかったんだけどな……。
後々思えば、その多くが不要不急だった。
忌引を取ることさえ出来ないほど、余裕のない企業経営。
少しでも利益を増やそうとして、そういうことをやっているのだろうけど。
つまり俺が葬儀に遅れた理由は、純粋に会社の利益のためだった。
社員には会社の利益を増幅する義務があるが、会社には社員の人生を守る義務はないのだ。
なんか……時代が中世レベルに退行してないか?
そんなことが常識としてまかり通る世の中に嫌気が差し、程なくして俺は、社会から脱落した。
もう、こんな国どうでもいい。
勝手に苦しんで、勝手に滅べよ。
そんなことを考えながら。
口うるさい年寄が幅をきかせる田舎へと、帰っていったのだ――。
* * *
「……さん! ケンジさん!」
気づけば俺の前に、目に涙を浮かべたスミレさんがいた。
俺の肩を掴んでゆすりながら、必死に名前を呼びかけてくる。
「しっかりして! ケンジさん!」
「お……俺は……」
あれ? 何しようとしてたんだっけ?
ああもう、何もかもどうも良いな……。
「いけないわ、戻ってこれてない!」
「まったく! なんて無茶を!」
両側にはビアナさんとアリサさんもいた。
まさに両手と眼の前に花だが、今は何とも感じないや。
どうでもいい、何もかもがどうでもいい。
このまま土に還っちまいてぇ……。
「俺……だめなやつです」
「そんなことないわ! ケンジさんのおかげでキノコさん達はみんな、もといた世界に帰れました!」
ふーん……。
だからなんだ?
この世界がクソであることに変わりはない。
どうせみんないつか、生きることに絶望して死ぬんだ……。
「ケンジさん! ひざまくらの先をするんじゃなったんですか!?」
「ええ……?」
耳かきですか?
いやでもさ、俺ってば耳ないじゃないですか。
なのにどうしてあんなに、はしゃいでたんだろ。
バカかな?
「こんなにセイ霊さまが励ましてくれてるのに! しっかりしなさいよ、この卑猥草! ひざまくらの先とか、どんな約束してんのよ!」
「スミレさま、何とかして彼にセイ気をわけ与えられませんか? このままでは枯れ果ててしまいます……」
「はい……こうなったら!」
するとスミレさん、何かを決意した顔になった。
真摯な眼差しで俺を見据え、深呼吸をする。
「ケンジさん、わたしもっとあなたと一緒に居たいです。だからどうか……もどってきて!」
――ブチュ!
「……んむっ?」
あれ?
俺、草だよな?
なんでこんな風に、唇に柔らかいもん感じてるの?
「んん……!」
そしてスミレさん、どうしてそんなにお顔を真っ赤に?
(こ、これは……)
キスってやつでは無いですか?
齢39にして初めてのチューですか?
どんな寂しい人生だよ……。
(ああでも……)
やっぱりスミレさん唇だ。
はちみつみたいな、甘い味がするや――。
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