第8話 楽園(エデン)


 おお、ここはどこだ。

 草はそよぎ、花は咲き、樹木には色とりどりの果実が実る。


(そして俺は……はっ)


 人間の姿になっている!

 しかもすっぽんぽん……。


 これではまるで楽園(エデン)に住まうアダムではないか。

 イブさんはどこだ?

 せめて、股間を隠す葉っぱが欲しいな……。


――しゅるしゅる……


(おや、蛇さん……?)


 見事なアオダイショウじゃないですか。

 いやしかし、楽園に蛇?

 危ないですなぁ……あの木の実を採って食えとか言いませんよね?


――しゅるしゅるしゅる……。


 おお……どこかに行ってしまわれた。

 ああ、イブさん。

 俺のイブさんは何処?

 スミレさんスミレさん……隠れていないで出てきて下さい。


――カサカサ……!


(あっ……)


 茂みから誰か出てきた。

 スミレさんかな?

 俺は手で股間と乳首を隠しつつ、そちらを振り向いてみるが……。


(えっ!?)


 緑の楽園に映える金色の髪。

 天使のごとき気品と、森に生きる者の逞しさとが同居した姿。

 なんと、そこにいたのはアリッサムさんだった!


(えええーっ!?)


 し、しかもすっぽんぽんだ!

 手で体を隠しもしない……。


――??


 アリッサムさんは、俺の姿を見て首をかしげている。

 俺に裸を見られているのに、恥じらう様子は微塵もない。

 エルフってそう言うものなのか?

 手で体を隠して恥ずかしがっている俺の方が変なのか……。


(な、ならば!)


 俺はえいやっと両手を腰にあてた。

 そして誇らしげに見せつける。


――ふふ……。


 わ、笑われた!?

 そんなに粗末なものだったか……。

 結局俺は、精神的ダメージを食らうことに。


 アリッサムさんは怪しい微笑を浮かべると、こちらに向かって歩いてきた。

 そして、俺の目と鼻の先まで迫ってくる。


(う、うおお……)

「じぃー……」


 近くで見ると、その肌は殊更に美しかった。

 毛穴がまるで見えない。

 お豆腐のようにつるつるだ。

 なおかつ血色も良く、瑞々しいハリとツヤがある。


(……あわわわ)


 俺は不覚にも、初心な少年のように、目のやりどころに困ってしまう。

 アリッサムさんは、しばらく興味深げに俺を見つめていたが、やがてその場にしゃがこんだ。


(……!?)


 するってーと、俺の雄しべさんが、彼女の目の前にきちまうわけで……。

 そしてやはり、ここは夢なのか何なのか、俺は一歩も動けないわけで……。


(な、なにをするんだ……うっ!?)


 いつの間にか手にしていた虫眼鏡。

 アリッサムさんは俺のおしべさんを手でつまむと、持ち上げたり引っ張ったり、剥いたり被せたり、色々やりながら、しげしげとそれで観察を始めた。


(ひ、ひいいいー!?)


 そ、そこはデリケートゾーン!

 そんなに弄くりまわすと、生理的現象をもよおすのですがっ!?


(は、はずかしいぃ!?)


 溶けるような感触が下半身に走る。


 やがて少しずつ、足元から感覚が失われていく――。



 * * *



「……はっ」

「……え?」


 目が覚めたら、目の前に大きな果実が浮かんでいた。


(夢じゃなかったぜ……)


 どれだけ眠っていたのはわからないが、部屋の様子が変わっている。

 もしかすると、数日は経過しているかもしれない。

 蒸留窯がグラグラと稼働していて、部屋の中には何とも言えぬ香気――長老さんのアロマ――が立ち込めていた。


「今、声が……」

(やべぇ……)


 寝起きの際に、うめき声が漏れてしまった。

 俺の目の前には『すっぽんぽんのアリッサムさん』が立っている。

 自分の家なのだから好きな格好でいれば良いのだろうが……まるで裸族だ。


 アリッサムさんは虫眼鏡を手に、俺の葉っぱをいじりながら、じっくりと観察をしておられる。

 傍らには紙と鉛筆が置かれ、どうやらスケッチを取っているらしい。


(だからあんな夢を見たのか……)


 俺とてキクの仲間。

 小さいながらも花を咲かし種を飛ばす。

 お姉さんは特に、その蕾の部分が気になるらしく、熱心に指でもみしだきながら観察してくる。

 しかも裸でのう……。


「……気のせいかしら?」

「…………」


――シュウウ……。

――ピチョン……ピチョン……。


 窯から出てくる蒸気が、細い管を伝って冷却され、水滴となってポタポタと瓶の中に落ちていく。

 窓と玄関は開け放たれているが、窯を動かしているので、部屋の中はとても暑い。

 だから裸でいるんだな。

 お姉さんの肌にはうっすらと朱が差し、軽く汗ばんで見えた。


 くっ……エロい!

 こんな姿を、至近距離で見せつけられることになるなんて!


(葉が繁っちまうわーい!)


 図らずも俺は、エルフお姉さんの赤裸々な生態を、逆観察できる状況を手に入れてしまったのだ……。



 * * *



 それから少しして、アリッサムさんは俺に優れた防虫効果があることを発見した。

 その効力はとても強く、温室に置いておくと虫による受粉が進まない程だった。

 だから俺は、大抵の場合、アリッサムさんの自室兼研究所の窓際に置かれることになった。


 ちなみにシャーレを使ってやっていたのは、殺菌作用を調べる実験だったようだ。

 効果はてきめんで、俺の葉っぱを落としたシャーレには、全くと言って良いほど菌が繁殖しなかった。

 これはこれで、使い道がありそうだ。


「よいしょっと」

(うほっ!)


 お姉さんはその日も、あられなきお姿であった。

 スカートは穿いているが、上は薄い布を羽織っただけだ。

 今から温室での作業に連れて行かれるのだが、温室の中は暑いしな……。

 俺のおかげで虫に刺されなくなったお姉さんは、近ごろどんどん開放的になっていく。


「ふんふふーん……」


 鼻歌交じりで、快適そうに薬用植物の世話をするアリッサムさん。

 虫はみんな、温室の隅の方でピタッと停止している。

 今は長老さんの木を使った実験をしているらしく、蒸留した液体、煮出した液体、すりつぶした粉などを、様々な鉢植えの植物に与えて効果を試している。


(どうなるんだろうな……)


 そういや長老さんの周囲は、明らかの他の場所より草が繁っていたな。

 そのような木の欠片から得られたエキスであれば、さぞかし植物には良いだろう。


 しかし、数に限りのあるものである。

 使い切ったらそれまでだ。

 その辺、アリッサムさんは何かアイデアをお持ちなのだろうか?


「これでよし……と」


 温室での作業が終わったようだ。

 俺は鉢ごと家の中へと連れ戻される。


(おや?)


 だがアリッサムさんは、俺の隣に、さらにいくつかの鉢植えを持ってきた。

 そして、長老さんの木の粉末を金属の皿に乗せ、火バサミでつかんで、ロウソクの火の上で炙り始める。

 ふむ、今度はお香のように焚いてみるのか。


――チリチリチリ……。


 皿の上で熱され、徐々に煙をあげ始める粉末。

 やがて得も言われぬ香気が、部屋中に満ちてゆく――。


(ふおっ!?)

「はううっ!?」


 俺とお姉さんは、同時に身震いした。

 部屋にキラキラと神秘的な粒子が漂い、それが全身の神経をくすぐってくるのだ。


(ふおお……!)

「はわわわ……!」


 すごい効き目だ。

 腹の底から、とめどなく活力が湧き上がってくる。


 おそらくは。長年の生命活動によって溜め込まれたセイ気なのだろう。

 しかも練りに練られた老練の技である。

 それが煙となって蒸散し、呼吸を通じて俺とお姉さん、そして周囲の植物に吸収されていく。


 まるで、全身の細胞を撫で回されているみたいだ。

 全身に熱い気が巡り、勝手に葉は繁り、蕾は膨らみ、根にも活力が漲ってくる。


 い、いかん……!

 これは効きすぎるぞ、お姉さん!

 大丈夫なのかっ!?


「は、はあああ……!♡」

(ぬあっ!?)


 するとお姉さん、突如として艶声を漏らした!

 頬を紅潮させ、胸を抑えてモジモジしだす!


「く……! くうぅ……!♡」

(あわわわ……)


 かと言って、途中で作業を止めるわけにもいかない。

 貴重な貴重な霊木だからな……。

 それからしばし、おしっこを我慢するみたいにモジモジしながら、お姉さんは何とか、皿に乗せた粉末を焚ききった。


「ひ……ひいいいん!♡」


 そしてすぐに火を消し、家から飛び出していった。

 いけませんぜお姉さん……。

 これ、嗅ぐだけでビンビンになるヤツですわ!


「はぁはぁ……」

(むむっ?)


 だがお姉さん、わりとすぐに戻ってきた。

 そして俺の鉢をかかえて――。


(うおっ!)


 すごい勢いで外に駆け出す!

 どこへ連れて行こうと言うのかね!?


 今の俺は優秀な虫除け。

 どこにだって付いていくけど……!


「はあ、はあ……」


 連れて来られたのは、ハーブ園の近くだった。

 ちょうど木陰になっているその場所に、デッキチェアーが一脚置いてあるのだ。


「こ、こんなに効くなんて……♡」

(…………)


 お姉さんは、明らかに身を持て余していた。

 おしっこどころでは済まなかったのかな……。


「はぁ……はぁ……♡」


 デッキチェアーの横に俺を置き、辺りを見渡してから腰を下ろす。

 ここは結構な森の奥だし、そうそう誰も来ないだろうけど……。


「は、はあ……♡」

(ま、まさか……!?)


 お姉さんはそのまま身を横たえると、足を伸ばして胸をそらす。


――サラサラサラ……。


 近くには沢があるのか、水の流れる音が聞こえていくる……。


――ピチャピチャ……クチュ。


 水の跳ねる音も……聞こえてくる。

 大自然を巡る、命の音か……。


「は、はあああっ……!♡」

(わー!?)


 んなわけあるかー!

 お、おねーさーん!?


「だ、だめ……もう止まらな……あっ!♡」


 なんと! 

 お香でギンギンになったエルフさんは、ついに森の妖精になってしまった!

 セイ気あふれる声を上げ、汗を飛び散らせ、ビクンビクンと、まるで踊るようにして……。


(あわわわ……!)


 いくつかの蕾が、それに当てられるようにして花開いた。

 芳しき香気を放ちつつ、恥じらうようにして葉を茂らせる。


 俺もまた、全身の血行が良くなるのを抑えきれない。

 葉は勝手に茂り、茎は伸び、根は深く深く張っていく……!


(こ、これは……オガる!)


 オガっちまう!

 ついつい、方言も出ちまうべさっ!


「ああーんっ!♡」

(ぬわー!?)


 これ以上はイカーン!


 見ざる! 聞かざる!

 俺は全ての感覚器官を塞ぎ、じっと花の嵐が過ぎ去るのを待った。


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