第7話 森のアトリエ
そして――。
「ほんとに何なのかしら……この草」
(…………)
そこは、こじんまりとした木造家屋の中だった。
壁と屋根に大きなガラスを張った、温室のような場所である。
エルフのお姉さんは、鉢に植えた『その草』に水をやりつつ、熱心に本で調べものをしている。
どうやら、植物図鑑のようだが……。
「食用一覧にも、薬用一覧にもない……。ハツカ草に少し似ているけど……違う」
ハツカ草? この世界のハッカかな?
残念ながらハッカはシソ科だ。
その鉢に植わっているのはキク科植物です。
「鑑定(アプレイズ)――」
エルフのお姉さんは、そう唱えてクルッと指をまわす。
すると、鉢植の葉っぱが七色に輝いた。
やがて白い光をだけを残して、しばらくピカピカと点滅する。
「鑑定不能か……ますます奇妙ね」
ほほう、そのような魔法があるのですか。
光り方によってランクが違うのだろう。
お姉さんはしばし難しい顔をしていたが、やがて温室から出て行った。
(さて……)
温室の中は、むせ返るような植物の匂いが充満している。
俺は1つ深呼吸してから、改めて自分が置かれている状況を確認した。
ところ狭しと並べられたプランター。
様々な形の実や花をつけた植物の群。
地面には怪しげな形の根菜が植わっていて、温室の外にも、多種多様なハーブや、生薬の類が栽培されている。
家庭菜園っていうレベルじゃない。
どう見ても植物の研究所だな。
つまるところ俺は……。
(採取されたー!?)
すっかり、囚われの身になってしまったのだ!
* * *
あのあと――。
「誰か……いるの?」
そう言って恐る恐るやってきたお姉さんに、俺はあえて話しかけた。
「ふぉっふぉっふぉ……ワシはこの切り株の亡霊じゃぁ……うらめしやぁー」
「……ヒエッ!?」
出来るだけ野太い声で、長老の木のふりをしてな。
普通の人なら、それだけで飛び上がって逃げていくだろう。
だが、流石はエルフさんであった。
予想通り、すぐにその場に膝をついて、深く頭を下げてきたのだ。
「こ、これは……! いまだ霊体がご健在とは露知らず……!」
「ふぉふぉふぉ……」
やはり、超常的な存在には慣れっこなのだな。
その流れのまま、俺は話をうかがうことに。
「そなた、ワシの一部を奪っていきよったなー?」
「は、はわわっ! 大変申しわけありませんでした! あ、あああ、新しい薬の研究に使おうと思いまして……!」
「新しい薬じゃとお……?」
さぞや霊格の高い御霊と思われたようだ。
お姉さんは気の毒なくらいに畏まっていた。
自然に対する畏敬の念をお持ちであるし、悪い人ではなさそうだが……。
「なーぜーワシがここにいるとわかったー?」
俺達でも見つけるのに苦労した長老さんを、あっさりと発見したのは気になるところだ。
ここは慎重に探りを入れる。
「ち、知人のツテで、イーヴァの古文書館より資料をとりよせまして……」
「ほほーう、イーヴァとな……」
そんな名前の国があるのか。
俺にとってはとても重要な、この世界に関する基礎知識だ。
しかしながら、お姉さんの背景に国家的な何かがあることもわかった。
「よーもーやー、権力者どもの悪事に使うのではあるまいなー?」
「め、滅相もございません! 純粋に平和利用を目的とした研究にございます……!」
「ふむふむー」
俺はそこでチラッと、スミレさんの様子を伺う。
(……コクリ)
陰から見守っていたスミレさんは、こちらを見て一度だけしっかりと頷いた。
俺もまた、このエルフさんは信じて良い方だと思った。
いたって真面目そうだし、邪気のようなものも感じられない。
「そなたの名はー?」
「あ、アリッサムと申します! リミリー群の出自にございますが、今は薬草研究のため、麓のアトリエにて暮らしております……」
「なーるーほーどー」
エルフ族の社会単位は『群』と呼ばれているのか。
おそらく、人とは違った生態を持つのだろうな。
そして彼女の住まいは、山を下ったところにあるどこか……と。
それだけわかれば……まあ今は良しとしようか。
「こたびは見逃す……だが今回かぎりじゃ……」
「は、ははー!」
「けーして悪用するでないぞー? 大事に使うのじゃー」
「畏まりましてございますー!」
アリッサムというエルフさんは、そう言ってさらに深く頭を下げてきた。
そして、慌てる様子もなく山を下っていった。
「俺、ついて行って見ますねっ!」
「は、はい……!」
「スミレさんは、ここで待っていてください……」
実体化しているスミレさんは、気配が大きすぎるからな。
「わかりました……お気をつけて!」
「はい! では!」
そして、俺は地下茎を伝って彼女の後を追った。
そもそも獣道すらない鬱蒼とした森の中だが、アリッサムさんは手にした鉈でパシパシと藪を払いつつ、結構なペースで進んでいく。
そうして、1時間ほど歩いた時の事だったろうか。
「むむっ?」
(……うおっ!)
突然、まるで俺の尾行に気付いたように、こちらに視線を向けてきたのだ。
どうやらそこは、すでに彼女にとっては庭みたいな場所のようだった。
そんな身近な場所に見覚えのない草が生えていたら、確かに気になるだろう。
なんたって彼女は、薬草の研究をしているのだから……。
「何? この草……」
(あわわわ……)
俺の前にしゃがみ込み、興味深げに観察してくるエルフさん。
そして俺もまた、そんな彼女のある部分に目が釘付けになっていた。
(で、でかい……!)
こうして間近で見るとな……。
改めてその大きさを実感する。
はちきれんばかりの果実が、葉の先に触れ合わんばかりの距離にあった。
(吸い寄せられる……!)
おっとりしたスミレさんとは、また違った魅力のある方だった。
理性的でありながら、猫科の獣のような野性味を持ち合わせる女性だ。
初めて間近で見るエルフということもあり、俺はついつい見入ってしまった。
そして――。
「ちょっと抜いてこ」
(……あっ!?)
――ブチブチ!
(アーッ!?)
まさに油断大敵!
こうして俺は、意識体ごと収穫されてしまった!
(スミレさん! ごめーん!)
出来るだけ早く帰りますうううー!
そんな俺の心の叫びは、森中にこだましなかった――。
* * *
「……ということで、鉢植えだ!?」
良い土を使ってくれて、肥料もたっぷり。
温室の中は適度に暖かく、いたれりつくせりなのだが。
「……移動できん!」
群生地から遠く離されたことで、意識体を動かせなくなってしまった!
こうなったら早く花を咲かせて、種でも飛ばすしかない……。
もしくは、鉢底の穴からコッソリ茎を伸ばしていくか。
ううむ……やらかした。
――キイ……パタン。
(……あっ!)
アリッサムさんが戻ってきた。
俺は独り言をやめて、ただの鉢植えになりすます。
もっとこう……土に近い場所に移動してもらえると有難いのだが。
いま置かれているのは丸テーブル上で、日当たりは良いのだけど、地面まで茎を伸ばすにはちと遠すぎる。
「よいしょっと」
(うおっ?)
するとお姉さん、俺を持ち上げてどこかへと運んでいく。
どうやら、家の中に持っていくみたいだが……。
――キイ……パタン。
(はぁはぁ……)
エルフお姉さんの部屋……。
どんな素敵な場所だろうと不覚にもワクワクしてしまったのだが、実際に入ってみると、期待していたのとはかなり違った。
(おほぉ?)
控えめに言って散らかっていたし、女の子っぽくもなかった。
その代わりに、ツンとした薬品臭が鼻につく。
窓は奥に1つあるだけで薄暗く、手狭な空間には木の棚がたくさん置いてある。
乾燥させた植物の葉や根、木の実や花びらの入ったガラス瓶が、その棚の上に並べられている。
薬の調合に使う道具――あのアブローラーみたいなのでゴリゴリするやつ――も置いてある。
やっぱり研究所のようだ。
暖炉の近くには蒸留窯らしき装置がおいてあり、研究用か自分用かはわからないけど、足元の木箱にワインの空き瓶が何本もつっこんである。
この世界にも、アルコールは存在するんだ……。
そして実際に薬として使われているのか、生薬を漬け込んだ瓶も並んでいる。
果たして、どんな効果があるのやら。
(ふむふむ……)
机上には、無数の書物が積み重なっている。
羊皮紙とかじゃない、きちんと植物の繊維を漉いて作った紙だ。
部屋の様子をざっと見ただけでも、現代でも通用するほどの技術と知性が、この地にもあるのだと実感する。
そして、この世界に来て初めての生活感ある光景だ。
それを前にして俺は、図らずも安心感を覚えてしまうのだった。
――ゴトッ。
やがてお姉さんは、俺を窓際に置いた。
そしてどこからか、ガラス製のシャーレのようなものを持ってくる。
中には透明な液体が入っている。
――プチッ!
(いてっ!?)
葉っぱの先っちょをむしられた。
お姉さんは、それをさらにナイフで小さくし、爪楊枝の先ほどの量をシャーレに投入する。
そして日陰に置いて、厚みのあるガラス板で蓋をした。
(何の実験だろう……?)
良くわからないが、結果が出るのが楽しみだ。
続いてアリッサムさんは、リュックの中から長老さんの木片を取り出した。
包みを解いてその香りを嗅ぎ、ウットリとした表情を浮かべる。
「……大切に使わせていただきます」
と言って恭しく拝んだ後、薬棚にしまった。
「ふぅ……」
そして疲れたようにため息をつき、壁際のベッドに腰掛ける。
直径2mはあろうかという太い幹を、半分に割って作った贅沢な代物だ。
上には分厚い毛皮が何枚も敷いてあって、寝心地はとても良さそう。
エルフさんはそれからしばらく、俺の姿をジトッとした目で眺めておられた。
さて一体、何を考えておられるのか。
「……ふわぁ」
だがやはり、長い山歩きで疲れたのだろうな。
ほどなくして横になり、そのまま眠ってしまわれた。
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