第5話 植物の時間
気がつけば俺は、爽やかな風の吹き抜ける丘に寝そべっていた。
目の覚めるような青空に、白い雲がゆっくりと流れていく。
「う、ううーん……」
まるで人間みたいな声が口からこぼれる。
夢みたいな景色だ。
俺は無意識のうちに、手で目元をこすっている。
「うん?」
そして気づく。
これは人間の手ではないか。
それに、目も鼻も口もある。
足もあれば胴体もあるぞ?
ということは……。
「……死んだか!」
草としても死んでしまった俺は、ついに天国的な場所に来てしまったのか?
さっきから花のような良い香りがするし、頭の下には柔らかくてひんやりして、そしてとってもすべすべな物体が転がっているし……。
「生きてますよー?」
「えっ?」
だがその時。
見上げていた青空を覆い隠すように、若い女の人の顔が現れたのだ。
くりっとした大きな人懐っこい瞳。
すっと通った鼻筋。
小さくて可愛らしい唇は、見るからに健康的なスミレがかったピンク……。
「あ、あなたは……」
「スミレですよー?」
「なんとっ!」
人外転生のある意味定番!
早くも人間化展開が来てしまったのか!?
さらりとした長い髪が俺の頬にかかり、うっとりするような花の香りとともに鼻腔をくすぐる。
スミレさんは、花びらを衣装化したようなミニドレスに身を包み、ピンクと緑の花冠をかぶっている。
本当に、花の妖精と例えるにふさわしい姿をしておられる……。
「随分と長いこと眠っておられましたのー」
「は、はわわ……」
天国的な場所かと思ったが違った。
ここは間違いなく『天国そのもの』であった!
女の人の膝枕……!
こんなにもすべすべで、柔らかくて……!
「ゆ、夢ですね!?」
「はいー?」
「こんなの絶対、夢でしょう!?」
「ほえほえー?」
「ならば……よし!」
夢の中で何をしたって罪にはならない……!
ヤミ花との戦いで傷ついた心を癒やすのだ。
スミレさんの太ももで『イヤして』もらうのだー!
「んほおおおー!」
俺は仰向けの状態から反転し、スミレさんの太ももの間に鼻をつっこむ!
「ぐりぐりぐり! すーはー!」
そしてグリグリしながら深呼吸!
「きゃっ、くすぐったいですー」
「はぁはぁ! すべすべ! 良い匂い! ふがー!」
「もうー、ケンジさんのエッチぃ……!」
とかなんとか言いつつ、スミレさん嫌がらないぞっ?
ははは、流石は夢の中。
何もかも思いのまま!
「はああーん! たまらはーん!」
しあわせー!
「そんなエッチなケンジさんはこうです、えいっ!」
「あうっ!?」
なにか硬いものが、俺の首筋にぶっ刺さる。
やがて全身麻酔をかけられるが如く意識がぼーっとして、ある地点まできたところでプッツリとシャットダウンしてしまう――。
* * *
(むにゃ……)
そして、気づけばまた草であった。
根と茎と葉っぱだけの存在である。
(なんだ夢か……)
とても素晴らしい夢であったが、過ぎてしまえば夢のまた夢。
今は人ならぬ姿であり、先程まで人の姿であった故か、ことさらに草であることの不自由さを実感するであった。
というか、ここは何処だ?
俺、だいぶ増えているな。
身の丈は50センチほどにも伸びていて、見渡す限りにモジャモジャと繁殖しまくっている。
そんな俺の葉影に隠れるように、あちこちにスミレさんの花が咲いている。
ここはあのヤミ花と戦った跡地かな?
最後にピンピンとスミレさんが飛ばした種が、こうして根付いているのかもしれない。
(えーと……スミレさん?)
俺は近くに咲いている花に話しかけてみる。
ハナに、ハナしかける……。
んっんー、オヤジギャグじゃないぞ? 真面目だぞ?
――ソヨソヨ、ソヨソヨ……。
しかしその花は、風にそよいで揺れているだけだった。
あれ? スミレさん、どこに行っちゃったの?
そして俺は、一体どれだけの間、眠っていたんだ?
いくらお花いっぱいでハーレムみたいだとはいえ、あなたがいなかったら何の意味もないのだけど……。
(えーっとぉ……)
突如として不安がこみ上げてくる。
もしかして俺、一人ぼっちになってしまったんじゃ……。
あれは夢のようで夢ではなくて、スミレさんは、セクハラされたことに嫌気が差して、どこかに行ってしまったのかも……。
(ええ……)
だとしたら、やっちまった感すげえ!
何とかして探し出して、謝らなくては……。
そうして俺が、地下茎を通して意識体を動かそうとした時だった。
――カサカサッ。
近くの茂みをかき分けて、何か人間のようなものが歩いてきたのだ。
「あらケンジさん、お目覚めですー?」
「えっ! スミレさん!?」
なんとそれは、夢の中で見たスミレさん本人だった!
「人間化しているー!? てか俺、喋れてるー!?」
「はいー、良く聞こえますよー」
どこから声出てるんだろうな……。
しかも生前のような死んだオッサン声ではなく、10代の若き日の頃のような溌剌とした声だ。
原理は良くわからないけど、とにかくスミレさんは人の姿として実体化していて、俺はそんな彼女と普通に会話することが出来る……。
「ケンジさんはまだ、セイ霊体が十分ではないみたいですねー。私はいっぱいキラキラを頂いたおかげで、こうして本来の姿を取り戻して動けるようになりましたー」
「そ、そうなんですか……」
どうやら、草木に宿るセイ霊体とは、ある程度の力を獲得すると精霊のように実体化するようだ。
ということは俺も、頑張って茂れば人間の姿に戻れるんだな!
やったね! かんばるぞー!
「セイ霊体が強くなると、軽いものなら動かせるようになりますー、えーい!」
スミレさんは手に持っていた種を、可愛らしい掛け声とともに放り投げた。
あんまり飛んでいないけど……。
「動けると言っても、本体から遠くには離れられませーん。だからこうして、こぼれ種を投げてまわっていたのですー」
「なるほど……」
地下茎を伸ばせないスミレさんは、そうやって増えるしかないからな。
「あの……スミレさん。俺が生まれ落ちた場所に湖があるんですけど、良ければ行ってみませんか!? 日当たりも良いし、水分にも困りませんよ?」
「まあ、そんな素敵な場所があるんですー?」
「はい、とても良いところですよ、あと……」
やはり、夢の中でのことを謝っておこう。
「その……夢の中とは言え、あんなことをしてしまってごめんなさい……きっと疲れていたんです。もう二度とあんなことしません……」
と言って、草体をシュンとさせて頭を下げる。
しかしスミレさんは……。
「ほえー? なんのことですー?」
「えっ?」
まったく身に覚えが無いようだった。
ほっ……。
本当にただの夢であったか。
* * *
それから俺とスミレさんは、湖の方向へと茂っていった。
スミレさんが種を投げ、俺がその周りに根っ子のキラキラをかけて、種を芽吹かせていく。
スミレさんの種は、早ければ3日ほどで発芽して、キラキラによる成長促進によって、約2週間で花を咲かせた。
一ヶ月に移動できる距離は、およそ50m。
湖までは150m程なので、3ヶ月でたどり着けるな。
と、思ったのだが。
「暑くて、やる気がでませんー」
「ええーっ?」
暑い季節になってきたせいで、すっかり熱中症みたくなってしまった。
確かのこの辺りは、かなり温暖な地域のようだ。
日本で言ったら、九州の南くらいか。
雪なんて、奇跡でも起こらない限り降らないだろう。
スミレさんは暑さに弱いようで、今の時期に花を咲かせるのは難しいようだ。
「そういや、俺もなんかダルいですね……」
「でしょー? しばらくここで休みましょうー」
結局、ひと夏を寝て過ごすことに。
可愛い女の人と、森の隠れ家でひと夏しっぽり……なんて状況だったら夢のようだったんだけど、スミレさんはひたすらグーグー寝ているし、俺もまた暑さのせいでだるいのだった。
こうして初めてのサマーは儚く過ぎてゆき、秋の訪れとなった。
俺もスミレさんも元気を取り戻して、再び湖に向けて種を飛ばしていく。
しかし……。
「あうー、そろそろ冬眠の準備ですー」
「えーっ!?」
なんとスミレさん、そう言って成長を止め、せっせと株に栄養を蓄え始めた!
そしてまもなく葉っぱを散らして、球根みたいな状態になってしまった……。
「また来年ですー、おやすみなさーい」
「ええーっ!?」
ああ、なんて呑気なのだろう植物の世界!
人間の世界とは、そもそものタイムスケールが違う……。
春になったら起きて、夏になったらお昼寝して、秋になったら美味しいもの食べて、冬になったらまた眠る。
そのくらいの『のんびり』したライフサイクルなのだ!
「お、俺もこの時間感覚に馴染まないといけないのか……」
スミレさんが長い年月を生きてこられたのも、植物の時間に身を委ねることが出来たからだろう。
すっかり俺の根元に引きこもって、すやすやと寝息を立てておらる。
完全に、眠れる森の美女……。
「さ、さて……」
俺はと言えば、そんなに冬眠したくないんだよな。
むしろ他の植物の活動が鈍ってきている今こそが、生い繁るチャンスのようにも思える。
この草は、寒さには強い品種なのだ。
仕方ないので、冬は1人で活動することに。
そして時々、俺の生え際で眠っているスミレさんの寝顔を眺めてホッコリする。
今度は逆に、俺が膝枕をしてあげているみたいだ。
人間化したスミレさんの姿が寒々しかったので、せっせと葉と茎を茂らせてオフトゥンにしてあげる。
「むにゃむにゃ……もう食べられませんー」
おかげでどうやら、良い夢を見ているようだ
こうして冬は過ぎていった。
やがて春が来て、鳥の声とともに、森は新たなる命を芽吹かせていく。
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