第4話 ヤミより深く暗きモノ


 さて、スミレさんは多年草ではあるものの、俺みたいに地下茎を伸ばしたりは出来ない。

 なので、あの『ヤミ花』からは逃れられないのだ。

 何とかしてアレを倒さないと、いずれスミレさんはセイ気を奪いつくされ、絶望の中で死にゆくことになる。


(あの花、何とかしないと……!)

(しないとですー)


 ひとまず俺は、彼奴の姿がギリギリ見える位置に、新芽を5つほど芽吹かせて橋頭堡とした。

 そしてとにかく光合成だ。

 あの強力な絶望エネルギーに対抗するには、それを上回るセイ気が必要である。


(スミレさん、ちょっとこの辺で増えてもいいです?)

(はいー、そうしていただけると心強いですー)


 生育環境としては、湖の周辺が一番なんだけど、エネルギー供給地としては少し離れている。

 俺は他の草花さん達に挨拶をしつつ、日当たりの良い場所にニョキニョキと生えささせてもらった。

 養分と日光を少し奪ってしまうが、そこは根っ子から出るキラキラでお返しすることにしよう。


 そうして3日が経過した。


(思ったほど増えれんな……)


 近くにヤミ花があるせいで、湖の周辺ほどには育つことが出来ない。

 何という忌々しい花だろう。


 他の植物さん達にしても、いまいち意欲が出ないようで、日に日に枯れ葉が目立っていく。

 そこでつい、みなさんに根っ子のキラキラを分け与えていたら、俺自身が育てなくなってしまった。


(こまったな……)

(でもおかげでみんな生きているのですー。ケンジさんがいなかったら、今頃わたしもみなさんも、枯れていたのですー)


 まあ、そうみたいなんだが……。

 俺が生息している範囲は、ヤミ気の影響をあまり受けていないのだ。


 しかしながら、ヤミ花の向こう側に生えている草はどんどん枯れていっているし、木の葉っぱまでパラパラと落ちてきている。

 ほんとヤベエぞ、一体あれは何なんだ。

 誰かあの花の名前を教えてくれ……。


(でも、何か変だな……)


 こんだけ森のセイ気を吸っているわりには、あのヤミ花、全然大きくならない。

 むしろなんか……縮んでないか?



 * * *



 長期戦になると踏んだ俺は、それから少し作戦を変えた。


 まず、ヤミ花から離れた場所に群生地を作ってエネルギーを確保する。

 そして、そのエネルギーを地下茎を通して前線に供給し、ヤミ花を取り囲むようにして生い茂っていった。

 つまり、俺自身の体を防波堤とする方針に切り替えたのだ。


 すると、森に住まう他の植物たちが息を吹き返した。

 不毛となった土の下に眠っていた茎根や種子までが生命活動を再開し、枯れかけていた樹木も、その枝に新芽を芽吹かせていく。

 さらには、俺の活動に興味を持った植物たちが根っ子や茎を伸ばしてきて、ヤミ花との戦いに加わってきたのだ。


(戦っているのは俺は1人ではなかった!)

(そうですよー、わたしもいるのですー)

(えっ! スミレさんいつの間に!?)


 気づけばスミレさんも、少しばかり増えて前線に参加していた。

 こぼれ種で増えるスミレさんであるが、一体どうやってここまで来たのか。


(アリさんに種を運んでもらいましたー)

(そんなことが……!?)


 どうやら、種を甘い物質でコーティングすることで、アリさんを誘引したようだ。

 スミレってアスファルトの裂け目に咲いたりもするし、もともと頑健な植物なんだよな。

 セイ霊体を抱えているともなれば、尚更である。


(よーし、みんな頑張って生きるぞー!)

(おおー)


――ザワザワ、ザワザワ……!


 こうして誰も知らない森の奥で、静かなる戦いが繰り広げられていった。


 戦いは数週間にも及んだだろうか。

 その後もヤミ花は、俺達のセイ気を吸い続けていったが、それでも大きくなったり種を実らせたりすることはなかった。

 やがてどんどん縮んでゆき、最初は20センチくらいあった花も、ついには数センチ程度の小さな花になってしまったのだ。


 そしてある日、異変が起きる。


(ウ、ウウ……! ウグルルゥゥ!)

(なんだ!?)


 突然、ヤミの花が狂犬のような唸り声を上げたのだ!

 ヤミ花の内部にある『霊体』のようなものが顕現し、草体の性質が変化する!


(シ……シネ)


 やがて、その意志は人の言葉となって周囲に解き放たれる。


(シネシネシネシネシネシネ………!)


――ザワ、ザワワ……!


 周囲の植物たちが一斉に怯え始めた。

 これまでとは桁違いのヤミ気が、ヤミの花から放たれたのだ――!


(く、くるしい……)

(スミレさん!? ううっ!)


 シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ……!


 俺の心臓まで止まりそうになった。

 いや、無いけどな心臓。

 でも本当にそんな感じがして、生きた心地がしなかった。

 これはヤミなんてもんじゃない、もはや呪詛や怨念とでも言うべきものだ。


 ヤバい!

 これはヤバすぎる!


――アア、ヤダア……。

――ツカレタ……。

――シニタイ……。


 ああ、周囲の植物達が絶望している!

 ヤミの花が放つ呪詛によって、生きる力を吸い取られているのだ。

 なんとかして止めさせなければ!


(やめろおおおー!)


 俺はありったけのエネルギーを地下茎に込めて、ヤミ花の間近まで伸びていった!


(ぐおおおー! やべええー! 枯れるううう!)


 ちょっとでも気を抜いたら、ヤミのエネルギーに支配されて、枯れ果ててしまいそうだ!

 俺は勇気を振り絞り、やつのすぐ目の前で一本の新芽を芽吹かせ、その目線の高さまで成長した。


(シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ!)

(うるせーよ! お前! 悪の秘密結社か!)


 全力で生きる気力をへし折りにかかる、純粋なる悪意の塊である。


(どうしてこんなことするんだ! ちったあ仲良くしよーぜ!?)

(シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ!)

(うっせー! 俺は生きるんだ! もっとスミレさんとイチャラブするんだー!)

(シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ!)

(イヤだ生きる! ぜってー生きる!)


 シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ!

 生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる生きる!


 それからは意地の張り合いだった。

 身の毛もよだつほどの死の衝動――タナトスとの戦いだ。


 その過程で俺は思った。

 死という言葉は実際、とても甘い言葉だということに。


 生きるためには意志の力が必要だ。

 しかし死へと向かうには、ただ怠惰であれば良い。


 だからこそ、一切の迷いもためらいもなく、全力で相手を死に誘おうとするヤミ花の力は絶大だった。

 この巨大な森という生命の中にあって、ただの一点に過ぎないはずの黒い花は、それ単独で森を壊滅させてしまうほどの力を秘めていたのだ。


(だが生きる! 俺は生きる! もっとこの世界のことを知りたいんだ! 水をすすって光を浴びて! スミレさんとお喋りしたり! 綺麗な自然の風景や、そこに生きる者達の営みを見ていたいんだー!)

(シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ……)

(森のみんなだって、そう願っているんだー!)

(シネシネシネシ……)


 だがそうやって自分を励ましながら耐えていると、やがてヤミ花の放つ呪詛は弱まっていった。

 いかに揺るぎない意志を持つとて、その身のエネルギーが失われれば活動し続けることは出来ない。

 俺は一瞬、勝利を確信するが――。


(シネシネシネシネシネシネ……シ……シ……)

(ん?)

(シニ……タイ……)

(えっ?)


 突如として、ヤミの花は態度を一変させたのである。

 これまで外に向かって唱えていた死の呪詛を、自らに向かって唱え始めた!


(シニタイシニタイシニタイシニタイシニタイ……)

(お、おいおい……!)


 どうしちゃったんだよ!?

 それはそれで調子狂うぜ……。

 あまりの態度の急変に、俺はヤミより深き漆黒を感じてしまう。

 実に中二病的だが、そう表現するのがまさにピッタリの状況である。


(シニタイシニタイシニタイシニタイシニタイ……)

(まてまて! 俺は生きたかっただけで! お前を殺したかったわけじゃない!)

(シニタイシニタイシニタイシニタイシニタイ……)

(そう言われると今度は、逆に助けたくなっちまうじゃないか!)


 森を滅ぼしかけていた存在に対しては、お人好しに過ぎる発言である。

 しかし、過去に死にたい衝動に駆られたことが何度もある俺は、つい反射的に、そう思ってしまったのだ。


(おい! しっかりしろ! 一体何なんだよお前! ちょっと俺の根汁舐めてみるか!? 元気になるかもしれないぜ!?)


 と言って俺は、えいやと根汁を分泌するが……。


(ゲエエー!? グヘエエー!)

(えっ!?)


 なんと逆に、ヤミ花を苦しめる結果となってしまった!


(コ、コロセ……! ヒトオモイニ! コロセー!)

(う、うおおお!?)


 そんなに不味かったんか……。

 とにかくこいつには、この森の常識が通用しない。

 今、目の前で悶え苦しんでいるのは、もはや理解を超えたヤミの塊であった。

 ドロドロとした気持ち悪い影が、渾身の呪詛を周囲に撒き散らしている――。


(どうにも、ならねえのか……)


 死ねではなくて、生きたいと言えば良いのに。

 死にたいじゃなくて、素直に助けを求めたら良いのに。

 それを言わない、やらないのが、コイツの矜持だとでも言うのだろうか。

 一体この生物は、何の意味があってこの世に存在している……!?


(だが……)


 こうして自然の一部として存在しているということは、何らかの役割を持っているということなのだろう。

 死と再生を繰り返すのが世の摂理だとも言う。

 こんなも禍々しいヤミの塊であっても、この広い宇宙の中にあっては、必要とされている要素の1つなのかもしれない……。


(お前は……俺なのか……)


 もしかして、俺の中にも『ヤミの花』は咲いているのか……?


 そうやって一瞬、俺が心を許した瞬間だった。


(グヘヘ! ソウダヨ!)

(うっ!?)


 その隙間を縫うように、残り僅かな奴のヤミが、針のような鋭さで俺の中心に刺さりこんできた!


(うわああああー!?)

(ミチヅレニ、シテヤル!)


 ああ、バカだな……。

 本当に俺はバカだ。

 ほんの一瞬のミスで、今までの努力が水の泡だぜ。

 

 何のために生きているんだよお前。

 無駄に世の中引っ掻き回しているだけなんじゃねーの? 

 まったくはた迷惑なやつだ。


 まるで苦しみを産み出すために苦しんでいるみたいだな。

 何もしないでいる方がよっぽどマシだろうよ。

 楽になるのは簡単だ。

 全てをオレに委ねればいい……。

 

 何考えるな、静かにしろ。

 今すぐに連れて行ってやるよ。

 死という静寂が支配する、本当の楽園にな――。


 俺のなかに生じたもう1人の『オレ』が、甘い言葉で死地へと誘惑する。


(ああ……もう、どうでもいい……)


 内なる声にいざなわれて、俺は一切の生命活動を放棄した。

 そうか……。

 この花の本当の名前が、今わかった気がする。


 これは『ムの花』だ。

 セイもヤミもない、死でも再生でもない。

 ただ何もないム――無、夢、无……。

 そんな『ムの世界』へと全てをいざなう花なのだ。


 そんな恐ろしいものにうっかり心を許すなんて。

 ほんと、俺って奴はバカだなあ……。

 死んでやり直そう……いや、やり直すことすらバカバカしい。

 このままムに還っちまおう……。


 土などではなく、本当のムへと、今度こそ還るのだ……。


――ケンジさーん!


(グワッ! ナンダ!)


――パチーン! パチーン!


 いてて!

 なんか、BB弾みたいな硬いものが飛んできた……。


――諦めちゃダメー! えーい!

――ピンピン!

――パチーン! パチーン!


 スミレさんがなんか頑張っているな……。

 このパチパチした硬いものを飛ばしているのは彼女か?


 なんでこんな無駄なことを……。


(グエエー! シビレル……)


 あれ、でも何かちょっと楽になったかも。

 硬くて丸い種が、俺の茎に刺さりこんで、そこからジワっと暖かい感覚が広がっていく。


(ケンジさーん! 頑張ってー! こっちに戻ってきてー!)


 なんだろうなこれ。

 どこかで経験したことのある感覚……。

 

(ああそうか、これは……)


 局所麻酔だ。

 昔、骨折の治療をした時に打たれたことがある。

 痛みが消えて、患部がボーっと暖かくなってくるんだ。


 その麻酔のおかげか、さっきまでやたらと自分を否定していた感情も、強力な鎮痛作用とともに霧散していくような気がする。

 ああ、そしてなんか気持ちいい……。


(あいしているわー!)


 スミレさんの必死の叫びが、弱り果てた俺の心を包み込んでいく。

 暖かい……まるで体いっぱいにお日様を浴びているみたいで、無性に涙がでてきやがる……。


(グ、グエエ……クッソ…………グフゥッ!)


 やがてムの花は、全てのエネルギーを放出しきったのか、そのままクッタリと動かなくなった。

 そして一粒の種も、一欠片の花弁すらも残さずに、綺麗さっぱり森の中から消えてしまった。


(よかった……ケンジさん)

(うう……)


 最後に、安堵したようなスミレさんの声が聞こえる。

 俺はそのまま、意識を失う――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る