第390話 客観的な世界
客観的な世界は、どんなときにも存在する。
皆で燥いで楽しんでいるときも、一人で篭って悲しんでいるときも、この物理宇宙が存在し、その座標の一点に地球があって、その中で物質の移動が行われているという事実は、いつもそこにある。楽しい、悲しいというのは、自分の内側にある感情だが、その感情さえも脳内物質の位置関係が作り出している。自分の状態の如何に関わらず、客観的な世界は常にそこにあり、変動し続けている。
自分とは何か、という問いに向き合い続けると、ついに自分が何だか分からなくなる。自分の目の前に自分の手を出して、それをじっと見つめ、ゆっくりと動かしてみると、どのようなプロセスを経て手が動いているのか、どのようにその運動を認識しているのか酷く疑問に思う。
自分が死んで、自分の身体を作る物質の位置関係が変わっても、客観的な世界は存在し続ける。……というようなことを考えていると、どんな悩みもどうでも良くなるのではないか、と思う(経験者は語る)。
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