第391話 先生
人にものを教える立場の人間を、先生と呼ぶが、この言葉はなかなか良いニュアンスを含んでいる、と感じる。
なぜ先生と呼ぶのか、具体的な起源は知らないが、漢字の意味をそのまま考えると、先に生まれた人のことを示すようである。先に生まれた人すべてが先生かというと疑問だが、少なくとも、先生の立場にある人間は、先に生まれたという性質を帯びている場合が多いように思える。
自分が考える先生とは、生徒に世界の真実を伝える者ではない。先に生まれたというアドバンテージが活かせるのは、生徒の少し先に立って、彼らを導く指標となるときである。このとき、先に生まれたことに意味が生まれる。先に生まれた人間は、それよりあとに生まれた人間よりも、一足先に彼らが今歩いている道を歩いている。だから、それがどのような道か概ね知っている。些細なアドバンテージではあるが、それを使って後ろに続く者を補助するのが、先生ではないだろうか。
先生ができることは、生徒に指示を出すことではない。彼らと一緒に何かをするときに、少しだけリードすることである。
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