第298話 文章は論理的に書くべき?

 日常会話では、察することが大事なのに、論理的な文章では、そうでは駄目だというのは、少し違う気がする。


 いくら論理的に書いても、自分が本当に伝えようとしていることが、相手に必ず伝わるとは限らない。しかし、それとは反対に、論理的ではなくても、なんとなくニュアンスで伝わるという場合もある。インターネット上で論文を検索して、それを読んでみると、かなり複雑な構文で書かれており、読み解くのが大変であることが分かる。一方で、誰かのブログ記事を検索して、それに目を通してみると、それが未知の分野のことであっても、意外とすんなりと理解できる。


 論理的に書くことがすべてだ、それが正しいというような風潮がある(ような気がする)が、個人的には懐疑的である。そもそも、日本語というのはあまり論理的な言語ではないように思える。それは、日本人の根底に察するという技術が求められているからかもしれない。


 この文章も、論理「的」ではあるが、論理的ではないような気がする。それでも、伝わる人には伝わるのだろうし、伝わらない人には伝わらないのだろう(じゃあ、論理的でも、論理的じゃなくても、どちらでも良いということなのでは?)。

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