第289話 知らない内に統制されている私たち

 悪戯されるのは嬉しくないが、悪戯をしたいという気持ちは、誰しも一度は抱いたことがあると思う。だから、子どもが悪戯をしても、それ自体を叱るのはあまり良くないのではないだろうか。また、注意をしても何度も同じことをするのなら話は別だが、最初からそのことについて責め立てるのもどうかと思う。


 社会的な規範から外れる行動をしてみたいという気持ちは、どんな人間の中にも必ず存在すると、個人的には考える。自分の中にもそういう気持ちは存在する。たとえば、スーパーで売られているものを奪って自分のものにしてやりたいとか、一度家屋を爆弾で爆破してみたいとかである(これはオーバーすぎか)。でも、実際にそれをやろうとは思わない。けれど、そういうことは物理的に不可能なことではないので、やろうと思えばできないことではない。


 勘違いしがちだが、そういうことを考える人は、頭がおかしいのではない。多くの人は、そういう発想をすること自体がいけないことだと捉えていると思われる。そうして、そういう考えを現実味がないものと判断して、すぐに自分の頭の中から排除しようとするが、一度立ち止まって考えてみれば、それがもの凄く簡単な行為だということに気がつくはずである。どこまでリアリティをもって考えられるのかというのが、差を生むのだろう。

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