第222話 学問的なものは嫌い?

 学問的なものや言い回し、表現が嫌いという人がいる。


 いつものことだが、これをいうと、学問的とはどういうことかという話になる。そして、この説明がそもそも学問的なものなので、ここを読んだだけで、上記のような人はもうこれより後ろは読まない。


 「したがって」とか、「すなわち」とか、「である」という言い回しに嫌悪感を示す人もいる。日常的に使うことは少ないが、正確性を持たせるためには使わざるをえない。けれど、そういう人は、ちょっとでもこういう言葉が出てくると、もう理解しようとするのをやめてしまう。


 前提があって、それに基づいて後を語るという意味では、日常会話も学術的文章も何も変わらない。ただ、いくつもの過程が存在するだけで、いってしまえば、学術的文章の方が読むのが大変、つまりエネルギーを多く消費するというだけである。


 人間は楽な方に流されがちだが、楽をするとは(一般的に)エネルギー消費を抑えるということなのに、どういうわけか、楽をするほど病気にかかったり、早死したりするような気がする。

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