第117話 省略や付加による印象の変化

 言葉は、色々と省略や付加ができるわけだが、意味は同じなのに、表現を変えると、たちまち印象が変わってしまう(その印象こそが、その言葉の意味なのだ、と捉えることもできる)。


 たとえば、自分が言ったことを相手から肯定されて、「そうだろう?」と言う場合、「だ」は「であ」の省略だから、「そうであろう?」と言うと、何だか厳かな雰囲気になる。少なくとも、現代でこんな言い方をする人はほとんどいないし、もしいたら、ああ、気取っている人なんだな、と思わるに違いない。ほかにも、予測や推測の意味を含めて、「こういうことになるだろう」と言う場合、「なる」の語尾と口語的な表現の「だ」を省略して「こういうことになろう」と言っても、同様の効果が認められる。


 誰かを遊びに誘うときは、「一緒に遊ぼう」と言うのが普通だが、最後の語尾を省略して「一緒に遊ぼ」と言うと、ポップな感じになったり、可愛さが増したりする。「どうしようか?」と言うのではなく、「どうしよっか?」と二つ目の「う」を促音に変えても、同じような印象を受ける。


 こういうふうに形が変化したら、こういう意味に変化する、と教えられたわけでもないのに、自然と印象が変化するという意味で、言葉の省略や付加は不思議である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る